第19話 魂

 闇の衣が溶け、そこに立っていたのは人間だった。いや、人間の形をしているだけで人間ではないのかもしれない。


 長い黒髪の女性で、年は若い。服装はミナペルホネンのような動物柄をあしらったシャツと黒いスカートで、表参道あたりを歩いていそうに見える。大人っぽいので田舎の人間ではなさそうに見える。あんな華奢な腕であの棍棒を振り回していたのかと思うと、若干背中に寒気がする。

「す、涼海さん。あれは妖怪なの?」

「分からない。でも、何だか実態がありそうな感じがするのよねえ。私の勘だけど」

「じゃあ、霊なの?」

「うーん。魂の欠片というか、魂の一部を具現化したものだと思うよ。ほら、彼女、今風の服だし、髪型も最近の感じじゃない。だとすれば、『犬』が本体から魂を取り出したか、出来立てほやほやの霊かだね」

 どちらにしても、『犬』のやっている事は許されないことのような気がする。

「今、この魂を倒しても、本体は大丈夫なの?」

「魂の総量にもよるけど、この感じなら大丈夫だと思うよ。でも、万が一ってことがあるから、トドメは私に任せて!!」

 何だかよく分からないが、最後は涼海さんに任せる他ないようだ。

 そう言えば、いつもの様に周囲が寒くなっていない。これを取ってみても妖や悪霊の類ではないのかもしれない。

「じゃあ、まずこの霊に集中しよう!!」

 気合いの入った声が返ってくるかと思いきや、「うーん霊なのかなあ…」とまだ煮え切らない事を言っている。さすがに目の前の敵に集中してほしい。


 こっちが話している間に、攻撃の態勢を整えた黒髪の女性が、今度は手印を作って呪文を唱え始めた。フワッとした青い光が女性を包み、風も吹いていないのに長い髪が揺れる。


「あ、あれまずい!!」

 慌てて涼海さんも手印を作って、呪文を唱える。尋常ではない焦り方なのは、相手の術式が凄いことの裏返しだ。

 先手必勝の言葉通りに、向こうの女性が一瞬速く呪文を言い終わった。

 女性の手に青い光が集まっていき、複雑な手印を作った手が淡く輝く。隣では涼海さんが必死に呪文を唱えている。女性の手に集まった青い光が徐々に膨張していく。こうなると僕はどうしていいのか分からない。しかし、あれを発動させてはまずいのは明らかだ。

 女性の作り出している術式を少しでも遅らせようと僕は走った。しかし、女性は僕を嘲笑うかのように宙に浮いた。あっという間に十メートルは上にいる。あの高さではもう僕の剣は届かない。戦いにおいては、例えそれが一秒に満たない時間であっても、自由な時間を作れるのならほぼ勝ったも同然だ。


 とうとう女性の術が発動する。


 淡い光が僕たちの周りに拡散していく。これが何の効果なのかは分からないが、後ろから「避けろー」と絶叫する涼海さんの声を聞けば、相当にヤバい光なのは分かる。

 こうなれば、三十六計逃げるに如かず。

 雄二は尻尾の力で気のバリアを張り、全速力で涼海さんの方へと走った。後ろを見ていては速度がでない。兎に角、尻尾のバリアを信じて走った。徐々に背中が熱くなってくる。あと少しで涼海さんと合流できると思った瞬間、背中に太陽がくっついたのかと思うような熱を感じた。

 気づけば、僕は青い光に包まれていた。

 瞬間、焼却炉に入れられたような感覚を味わう。これは確かにヤバい。頭のてっぺんからつま先まで熱くない箇所がないのだ。

 慌てて僕はは尻尾の力で周囲の気温を下げた。しかし、体感温度はまるで下がらない。この青い光の熱さは、気温とかそういう事ではないようだ。

 このままでは、数秒で消し炭になってしまう。僕は必死に熱に抗いながら、振り返って女性の方を見た。

 女性は空中に浮きながら、口に手を当てて薄く笑いながら僕たちを見ている。

 戦いにおいて、自分の時間を作ることは決定的な勝機をもたらすが、過ぎた余裕は敗因になる。できる時にさっさと殺さないと戦況は一変するのだ。

 あの女性が高みの見物をした事で、僕にも時間ができた。それはコンマ一秒という時間だが、逆転するには充分な時間だ。この異常な熱さに耐え、僕は手に持っていた想具の剣を、槍投げの要領で女性へと投げつけた。剣は僕の想像した通りに真っ直ぐ女性へと飛んだ。気の剣に物理法則は適用されない。弾丸のような速さで飛んだ剣は、見事女性の肩を貫いた。

 僕の周りから青い光が消えた。そして、あれだけ感じた熱さも治った。

 彼女の肩から白い煙が上がり、肩を抑えて空中で悶えていたが、やがて気を失った女性は地面へと落下した。今度はあの女性をキャッチしに走る。後ろから「頭打って死ね!!」などと暴言が聞こえたが、それに構わず僕は落下地点へと走り、滑り込むようにジャンプした。背中にものすごい衝撃があった。女性の全体重が僕の背中へと容赦無くのしかかった。

「うぐぁ!!」

 思わず声が出てしまったが、女性が頭から地面に激突するのは止められたようだ。半分実態がないから大丈夫だろうと思っていたせいで、背中が相当痛い。

「大丈夫?」

 涼海さんは、ムスッとした顔で全然心配しいてなさそうに聞いてきた。

「痛た…うん。大丈夫」

 僕は地面から起き上がると服に付いた砂利を落とし、うつ伏せになって転がっている女性を仰向けにした。

 女性の肩は抉れて穴が空いてしまっているが、血は出ていない。いったいどういう構造になっているのかと思うが、ここで考えたところで分かるはずがない。あとで、涼海さんに教えてもらおう。

「ええと、どうすれば治療できるの?」

「あのねえ、雄二くんはこの女に殺されかけたのよ。こんなやつ消滅させていいわよ」

「でも、この魂の本体は別のところにあるんでしょ?そしたらこうなった経緯が聞けるんじゃない?」

「まあ、そうだけどさ…魂と本体が縛られているとなると、元の人間に戻すのはかなり大変だよ」

「どうして?」

 涼海さんは、目線を外して腕を組んで考え込んだ。悪口は言うが基本的に優しい性格なので、事実をどうオブラートに包むのかを考えているのだ。

 考えがまとまったのか涼海さんは、寝転がる女性の周りに何かの石を置きながら、「これで結界を張るのよ」と言うと、険しい顔を僕に向けて説明を始めた。かなりシビアな話なようだ。

「ええとね、生身の人間の魂を肉体から分離させるには、これはもう禁呪クラスの術式を使うしかないの。そして、分離させた魂に言うことを聞かせるには、それなりの霊力というか、妖力?を持っていないと無理なので、彼女を操っている妖は相当な奴ね。現代においてこれだけの術式が使える人間がいたことに驚くけど、それを操れる妖となると、九尾の狐とまではいかなくてもそれ相応な奴よ」

「要するに元に戻すには、彼女を操っている『犬』をやっつけなければならないってこと?」

「それに加えて禁呪を解いて、今一度肉体に魂を戻さなければならないわ。彼女の肉体と『犬』がどこにいるのか分からない今、彼女を人間に戻すのは極めて難しいよ」

「この女性はもう操られていないの?」

「うん。雄二くんの剣が突き刺さったことで身体から不純な気が抜けたから大丈夫よ」

「ふう。良かった」

 『犬』のやる事はあまりに手が込んでいる。これだけの妖となると権謀術数に優れ、この手のことができるのだろうか?それとも何かそれ以外の要因があるのだろうか?色々な事が頭の中で渦巻いて思考がパンクしそうになったが、僕はふと冷静になった。


 今、この状況を誰かに見られたらまずい。


「す、涼海さん。彼女を運べる?」

「え?私が?」

 あからさまに嫌な顔をする。涼海さんは非常に美人なのだが、自分以外の美人が嫌いなのだ。

「ちょっと、ここをお願い。僕は鳥丸さんを起こすよ」

「あ、ちょっと!!」という涼海さんの声を背に、僕は校門の内側に寝そべる鳥丸さんのところに走った。

 助かったことに、鳥丸さんは自分のリュックを枕にして絶賛気絶中だった。安堵した僕は鳥丸さんを起こしにかかる。

「鳥丸さん!!鳥丸さん!!」

 何度か呼びかけると、鳥丸さんは目を覚ました。

「あれ?私は?」

「良かった。そこの倒れていたからびっくりしたよ。大丈夫?」

「え?でも、私また変な音を聞いて、志田くんに会った…んだよね?」

 僕はすっとぼけて、素知らぬ顔をした。

「え?何の話し?鳥丸さんがそこに倒れていて危なかったからここまで運んできたんだよ」

「え?私がそこに倒れて?」

「そうだよ。僕が剣道部の部室と格技場の鍵を閉めて、校門を出たら鳥丸さんが倒れていたんだよ」

 僕は校門の外を指差す。よく見れば校門の上部は棍棒で抉られているが全損とまではいかないし、目立たないと言えば目立たないのでここは乗り切れそうだ。

 鳥丸さんはぼーっとした頭で何があったのか思い出しているようだが、僕の言葉で混乱しているようだ。そこに仕事を終えた担任の小林が帰宅するためにこちらへと歩いてくる。

 僕と鳥丸さんを見て、ニヤッと笑うと「おいおい。そこの優秀な二人。学校で会うのはやめておけよ。噂が広まるのは早いぞ」と僕たちを揶揄った。

 鳥丸さんは真っ赤な顔をして、私そんなんじゃ…などと消えいりそうな声で言うと、「あ、塾に行ってきまーす!!」と猛ダッシュで走って行った。

 嬉しそうな顔をした小林先生に、「あ、僕も帰ります。先生さようなら」と努めて冷静に挨拶して、僕は校門を出た。出た先の道路にはジトっとした目で僕を威嚇する涼海さんがいた。ここですんなり帰らないと先生に怪しまれる。僕は涼海さんに手で申し訳ないのジェスチャーをして一旦校門から離れた。小林先生とは反対方向に歩き、先生が見えなくなった瞬間に、猛ダッシュで学校まで走って戻った。


 校門の前では涼海さんが、女性の周りに不思議な魔法陣のようなものを作って呪文を唱えていた。


 肩を抉られて気絶した女性は、その魔法陣の真ん中で身を捩って苦しんでいる。涼海さんが何をしているのかが気になるが、いきなりこの女性の魂を消す事はないと思いたい。

「ふう。よし。ここまでくれば…」

 涼海さんの表情が少し緩んだ。極度の集中のために僕が横にいることに気づいていないようだ。

「何か手伝う?」

 僕を見た瞬間、緩んだ表情を硬くすると、「あ!!ちょっと、こいつを助けようとなんて思っていないからね!!」などと言う。

 よく分からないツンデレだが、まあ、涼海さんぽいと言えば涼海さんぽい。

「運ぶの手伝うよ。どうすればいいの?」

「うん。まずは気の力でこの娘を保護して。調べたらこの魂は特殊な環境でしか動けないようになっていたの。だからその環境を雄二くんの部屋に作りましょう。そうしないとこの魂は早晩消えるわ。この魂が消滅したらもう『犬』へは辿り着けないかもしれないよ。それに、現代に生きる人間が、本当にあんな事ができるのか聞いてみないと…まあ、どちらにしても、話しを聞くにはヒメウツギの力も借りないと厳しいわ。だから慎重に運んでね」

 涼海さんが話を聞く気になってくれたのは有難いが、この女性の魂を、家までは気をつけて運ばなければならない。


 僕は尻尾の力を借りて、女性の身体を気で包んだ。


 そして、涼海さんにガードをしてもらいながら、ゆっくりと女性を家へと運んだ。

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