第17話 クマサミット
サミットとは、指導者級の人間が集まって会議をする場のことを言う。
最も有名なのはG7サミットと呼ばれるもので、これは日本を含むグレートセブン(グループオブセブンとも)と呼ばれる民主主義国家の指導者が集まって議論をする会議のことだ。会場は各国の持ち回りで、最近の傾向としては小さな観光都市が選ばれる事が多い。どの国の会場も警備は厳しいが、それを掻い潜り、数分でも観光できた取材者は非常に優秀な取材者と言える。日本の外務省は近くの国から職員をかき集め、人海戦術で各国の首脳会談を円滑にし、SPも日本とは比較にならない警備をする。バイ会談ともなれば、各国の関係者で埋まる狭いスペースで、お互いの国のカメラマンが場所取りの火花を散らす。決して負けてはならない戦いがそこにはあるのだ。
そんな取材者にはお土産が渡されるが、国のセンスが試される為、がっかりするようなお土産しか出さない国は当然マスコミの評判が悪くなる。日本はお土産がやたらと豪華で食事も美味しいので各国の記者が最も行きたがる国の一つだ。G20、ASEAN、APECになるとお土産はあれだが警備が緩く、街でご飯を食べたりくらいはできたりする。G7広島や東京オリンピックは国内では散々こき下ろされているが、海外記者の満足度は非常に高かった。あまり日本のマスコミの言うことを真に受けてはいけない。
「では、第一回クマサミットを始めます」
僕の宣言で会議が始まった。実際のところサミットの事は詳しく知らない。
参加者は僕とヒメウツギと涼海さんの三人。皆同等の投票権を持っている。会場はもちろん僕の部屋だ。部屋の真ん中にはちゃぶ台が置かれ、そのほとんどをスナック菓子とジュースが占めているが、端には申し訳程度にノートも置かれている。これに議事を書き込むのだ。指でボールペンをくるっと回し、ノートに第一回クマサミットと書き込んだ。
「で、この『熊』をどうするかだけど…まずは本人の意見を聞かないとダメだと思うんだよね」
すかさずヒメウツギが手を上げた。
「雄二さま。こやつは我らを殺そうとした奴です。意見など微塵も聞く必要はありません」
声に迫力があるので、これは本当に怒っている。この熊はきっと過去にもヒメウツギを怒らせることをやったのだ。
「でも、滅する事ができないんでしょ?このまま放置もちょっとねえ…」
そう言うと涼海さんは僕のカバンをチラッと見た。その中には小さくなった熊の霊が入っている。ガサゴソ音がするので、熊が外に出ようと頑張っているのだろう。しかし、このリュックは涼海さんの陰陽術で封印されているので、霊は決して出られない。
「どうする?一回外に出してみる?」と僕が今一度提案すると、「そのまま熊野神社に封印しましょう」とヒメウツギは半ば本気でそんなことを言う。
勿論、熊野神社は熊を祀っている神社ではないので、そんな事はできない。
「うーん。ヒメウツギ、そのリュック、僕気に入っているから勘弁してよ」
すると、涼海さんが助け舟を出してくれた。
「そうねえ。封印って言っても禁足地を作るのは結構大変なのよ。土地の気の流れを調べた上で封印しなければならないし、その守護を誰に託すのかも決めなければいけないよ。淡路島の伊弉諾神宮みたいに、伊弉諾の霊がそこを出ないような禁足地にするには、かなりの労力が必要よ」
「それに、この『熊』はそこまでするような怨霊じゃないと思う」と僕も涼海さんに乗る。
形勢不利のヒメウツギも負けてはいない。背筋を伸ばし、僕と涼海さんに睨みを効かす。
「いいですか。憂いのある霊を野放しにしておくなど絶対にやってはいけません。過去、放っておいた霊が巨大な怨霊と化した例はいくらでもあります」
ヒメウツギにそう言われるとちょっと怖くなる。僕は霊のプロフェッショナルではないし、巨大な怨霊というものがどれほどのものかも分からないのだ。
「怨霊ってどういうものなの?」
僕は涼海さんに聞いた。涼海さんは立ち上がって手で大きく弧を描いた。
「もう、本当にね、すっごく大きいの。現世の恨みが大きれば大きいほど大きくて強い霊になるのよ。大抵は名のある人物の場合が大きいわね。だから怨霊にならないように恨みを持って死んだ有名人はほとんどが神社に祀られているの」
「ふーん。太宰府とかもそうなの?」
「あれは典型的な場所ね。右大臣にまで上り詰めた菅原道真公に藤原氏が難癖つけて太宰府に流し、その地で一生を終えさせたのだから、それはもう物凄い恨みを持っているわよね。だから、道真公が怨霊化して京都を襲わないように、神社にいくつもの結界を作って祀っているよね」
「ふーん。じゃあ、この『熊』の霊も生前強い恨みを持って死んだの?」
「それは分からないなあ。ヒメウツギは何か知っているの?」
ヒメウツギが考えている隙に、僕は議事録に怨霊と神社のこと、禁足地について書き込んだ。
昔の人にとってはこんなこと常識だったのだろうが、数百年も経てばそれは常識ではなくなる。寺も神社もそれぞれの役割があり、そこに地域社会が密接に絡んでいたはずだ。今はしがらみがどんどん消えているので、その辺りの常識がもう誰にも分からなくなっている。だから僕もこうして勉強していかなければならない。
思い出せそうでも出せない様子のヒメウツギを見て、僕は「そうだ。ヒメウツギ。あの熊の名前は思い出せた?」と尋ねた。そして、ちゃぶ台の上のスナック菓子をひとつまみ口へと運ぶ。
ヒメウツギは、様々な事を思い出そうとして若干不機嫌になっていた顔を崩した。
「ああ。名前ですか。思い出せませんね。ただ、昔の有名な人物だったとか吐かしていた気もします」
「ええ!!あの熊さん、人間だったの?」
「本人がそう言っているだけなので、本当にそうなのかは分かりませんよ」
相も変わらずヒメウツギは連れない態度を貫いている。
「うーん。だったら、やっぱりあそこから出して、言い分を聞いてみようよ」
当然、ヒメウツギは首を振って反対した。
「雄二さまは純粋なので、あの手の霊の話に騙される可能性があります」
う…痛いところを…そう。僕は騙されやすい体質なのだ。ただ、人の言うことを信用しない人間は、最後の最後に裏切られると思っている。
「じ、じゃあ、ヒメウツギが騙されないようにちゃんと見ていてよ」
「ですから、私が嘘ですと言っても、雄二さまが納得されない事が予想されるので、反対しているのです」
すると、涼海さんがスナック菓子をパクッと食べてニコッとしてから手をあげた。
「はあはぁ…嘘をついているかどうかなら少しは分かるから、話しを聞いて見ようよ、ね?はあはぁ…」
「なんで、そんなに疲れているの?」
「お、陰陽術を最大限に使うとスナック菓子を食べられるの…だから、ちょっと頑張っちゃった…」
これには僕もヒメウツギも顔を顰めてしまった。スナック菓子を食べるためにどれだけの力を使ったというのだろうか?まあ、ヒメウツギと僕がパクパク食べているのを見たら食べたくなるかもしれない。
「じゃあ、ヒメウツギ。ちょっとリュックを開けて話を聞いてみるよ」
「はい。話半分で聞いてくださいね」
「分かったよ」
僕は苦笑いをしながらリュックの肩ベルトを握って、自分の場所へと手繰り寄せると、中の熊が更に暴れた。ガサガサッと大きな音がする。僕はリュックの口のチャックを少しだけ開けた。
「ここから出せー!!」
熊の大きな声が部屋に響く。
「うるさい!!静かにしろ!!」とヒメウツギが怒った。
「うるせー!!お前にとやかく言われたくねえんだよ!!」
リュックの中の熊も負けじと叫ぶ。
すると、涼海さんが人差し指をリュックの口へ向けた。狙いを定め、「バーン!!」と言うと何やら白い気のようなものがリュックへと飛んだ。
「うごおおお!!」
熊の叫び声が聞こえた。普通にしていても叫んでもうるさい。口だけ封印した方がいいかもしれない。
「いい、熊ちゃん?私たちは話し合いをしたいの。だからそっちも私たちの話に耳を傾けて。でないとまた今のが飛んでいくよ」
熊は小さく唸っているが、涼海さんの弾をくらいたくないないのか黙っている。
「うん。ではまず最初に名前を教えてよ」
「名前?そこのキツネに聞けばいいだろ」
不貞腐れた声がリュックの中から聞こえた。どうやら話しには応じてくれるようだ。涼海さんの弾は霊には堪えるのだろう。
「ヒメウツギは覚えてないって言うんだ。だから教えてよ」
「こいつまだ思い出せないのか?たった千年くらいしか経ってねえぞ」
いや、それは忘れるだろという突っ込みは霊には言っても無駄なようだ。
「まあ、そういうことだからまずは名前を教えてよ。僕は志田雄二。こっちはヒメウツギで、こっちは陰陽師の涼海凪さん」
「ヒメウツギだ」と感情のない声で言う。
「凪ちゃんです」
気を宿した人差し指をリュックに向け、涼海さんも挨拶する。本心では凪ちゃんと呼ばれたいようだ。
「なんだか変な組み合わせだな。敵と味方が入り混じっているぞ」
「今の時代、敵も味方もないですよ。人権というものが確立されているので何をどう考えても罰せられる事はありません。利害が一致すればこうしてみんなで力を合わせて活動できるんです」
「人権?なんだそれは?」
僕は、公民の教科書を手に取り、それらしい事を読む。
「ええとですね、ある一定の制限の中で個人の権利が保障される事です。身分というものがなく、好きなだけ勉強できるし、どんな職業も選べて、平和と安全を見出す活動はダメだけど、それ以外は基本的に何をしても大丈夫な権利を持つ事だよ」
「お前、どんな夢の世界の話しをしているんだ?弱肉強食の世界でそんなことができるはずないだろ」
熊は呆れ返って言う。
「えー。でも熊さんは今の世界を見てるでしょ?最近戦争しているの見た?」
涼海さんの質問を、熊はしばらく考える。
「ふむ。そういえばここ百年くらいは見ていないかもな」
「そう。ようやく日本にも民主主義が行き渡って、人権が尊重されるようになったんだ。だから、変な指導者が戦争しろ!!って言っても誰も言うこと聞かないよ」と僕が言うと、熊はリュックの中から隣にいるような大声で「それは、本当か!?」と叫んだ。
その驚き方からして、この熊はそんな世界になっているとは思っていなかったようだ。
「本当だよ。日本の近くにはそんな綺麗事が通じない国がたくさんあるけど、少なくとも日本では人権というものが機能していると思うよ」
「ふむ。そこが熊よ。それは私も保障する」
ヒメウツギは僕の肩に乗って偉そうに言った。にわかに信じられなかったのか、熊は「ふん…それが本当なら今度きちんと説明してくれ」と言った。
「勿論。ちゃんと説明するよ」と僕は言う。
そう言ってしまった手前、雄二は日本の歴史と国の仕組みをきちんと勉強しようと決めた。ここをきちんと理解しなければ、今後あらゆる場面で困るのは目に見えている。
熊は急に真面目な声になった。
「では私も名を名乗ろう。今は、蝉丸と呼ばれている。古くは熊襲兄建(くまそえたける)と呼ばれ、朝廷の小碓尊(おうすのみこと)に殺された者だ。奴は後に俺の名前の一部をとって日本武尊(やまとたけるのみこと)と名乗ったそうだ。蝉丸は、俺を倒した小碓尊が俺の死後、勝手に付けた名前だ」
「何?お前があの熊襲兄健なのか?」とヒメウツギが怪訝そうに聞いた。本当か判断しかねているのだろう。
「そうだ。あの小碓尊が連れてきた女が夜陰に乗じて俺を殺したんだ」
蝉丸は心底悔しそうに語った。その話を聞きながら涼海さんは僕とヒメウツギの目を見て頷いた。どうやら蝉丸の話しに嘘はないようだ。
「小碓尊が女装して殺したんじゃないのか?」
「言っちゃ悪いが、警備はかなり厳重にしていた。男が紛れ込むのは不可能だし、女装なんてできる訳がない。小碓尊は女を使って俺を殺した後、怨霊になられては敵わないと、俺の亡骸に訳の分からない術式を使ったんだ。それが失敗して、俺は熊の姿で半永久的に生きながらえる霊にされてしまった。だから、俺は元々この日本に住んでいない奴らに復讐するために行動している。勿論、小碓尊たちの朝廷が、昔からあの地に住んでいた俺たちを『まつろわぬ人々』などとして下に見たのも気に食わないし、熊よりも黒い蝉の方がお似合いだとか言って、俺に蝉丸と名付けたのも気に食わない」
この話を聞く限り、蝉丸が海外から日本に入ってきた者を嫌うのは最もな事だ。
「なるほど。それで古代の中国から来た九尾の狐を倒そうと動いたんだね。でも、今の時代は海外から人も物もたくさん入ってくる時代なんだ。敵はこの国の平和を破壊する者だよ」
「この国の良さを消す奴らを認めろと言う意見には乗れない。だが、この国を破壊する奴らも許せない」
「それなら、僕らに力を貸してよ」
「は?」
蝉丸は素っ頓狂な声を出した。
僕とヒメウツギは、源翁心昭が九尾の狐の魂が善と悪に分けたこと、その悪の魂が復活しそうな事をできる限り丁寧に説明した。蝉丸は黙ってその話しを聞いていた。
僕たちの説明が終わると、リュックの中から大きな声でこう宣言した。
「とりあえず、難しい事は抜きにして、悪い九尾の狐には俺の一撃くらわせてやるぜ!!」
どうやら、僕らの説得が実を結んだようだ。ヒメウツギはまだ不機嫌な顔をしているが、僕は変に拗れなくて良かったと少し安心した。
「そう言えば、ヒメウツギはいつ蝉丸に会ったの?」
「九尾の狐さまが日本に渡ってきて、朝廷と戦っている時です。あの時、敵の陰陽師に混じってこの蝉丸がやって来たのです。此奴は散々九尾の狐さまの悪口を言い、この日本から出て、元に帰れと仕切りに言っていました」
「はあ、そう言うことか」
九尾の狐の側からすれば、それはかなり腹が立つことだろう。
戦いばかりでなく、世の中の物事は様々な側面から成り立っている。一つの面からしか見られない事も多いと思うが、なるべく違う面も見られるようにしようと、僕は思った。
蝉丸は、リュックから出たあと、山で修行すると言って左白山へと向かった。ヒメウツギも涼海さんも何も言わず見送ったので、蝉丸は嘘を付かずに左白山に行くと判断したのだろう。
部屋に戻って、僕はヒメウツギに聞いてみた。
「修行って何をするんだろうね?」
「あの石碑を破壊した力はなかなかのものです。ですが、実践であれを敵に当てられないのでしょう。原因は分かりませんが、それをなんとか克服しようとしているのかもしれません」
「あれが当たればどれくらいの攻撃力なの?」
「そうですね…アトラスかベリアルの攻撃力くらいはあると思います」
「ふーん…」
ヒメウツギは◯ラクエを、律儀に1、2から始めているのだろう。
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