第16話 眷属
いつもの柔和な顔を脱ぎ捨てたヒメウツギは、迫力満点の低音質な声で話し始めた。
「私は、九尾の狐の眷属同士の縄張り争いだと思っています」
「え?眷属?何それ???」
まず、その眷属の意味がよく分からない。そして、どうしてその眷属が縄張り争いなどをするのかも分からない。知識のなさは物事の理解力に直結する。たくさん本を読んで、様々な分野の知識をアップデートしていかなければならない。
ヒメウツギは僕のために説明をしてくれた。ありがたいことだ。
「眷属とは、日本においては神使ですが、所謂、動物の姿をした超自然的な存在です」
分かったような分からないような話しだ。
「物凄い動物と考えればいいの?」
「まあ、少し違いますが、その頂点が九尾の狐さまだと言えば分かりやすいかと思います」
「なるほど」
完全に理解した訳ではないが、九尾の狐を頂点とする、動物の姿をした強い妖で概ね間違っていないはずだ。
そして、ヒメウツギが何故これほど厳しい表情をしているのかが少しだけ分かった。徐々にその眷属が茨城県に集まりつつあるのだ。どれほどの強さなのかは想像できないが、あの煙の妖がそれほどでもないと言うのなら、今の僕ではとても太刀打ちできない。
突然背中が薄寒くなった。
全身から汗が引き、暑いとか寒いとかの感覚がどこかへ遠ざかる。はっきりと感じられるのは聴覚と視覚だけだ。そして、腰の内側が熱くなってきた。尻尾がこの話に反応しているのかもしれない。
「眷属については、また今度詳しく説明したします。今は、九尾の狐の部下で、様々な動物の姿をしているものと認識してください」
「うん。分かったよ」
尻尾がさらに熱い。体の中で火を出しているような気になる。
ヒメウツギは説明を続ける。
「眷属の力は、九尾の狐さまには及びませんが、それぞれが特徴のある力を有しており、今の我々では束になっても敵うものではありません。最大の懸念は、奴らが集まってくるのが予想よりも早すぎる事です。私たちの預かり知らぬところで何かが起こっていると考えるのが妥当かと」
ヒメウツギの話が一段落したところで、涼海さんが思い切り手を上げた。きっと、何か話したくてうずうずしていたのだろう。
雄二がどうぞと涼海さんに手を差し出すと、涼海さんは待っていましたと身体を浮かせ、宙空の目立つ位置へ上がって話し始めた。幽霊はふわふわと浮けて羨ましい。
「私もヒメウツギの言うように縄張り争いの可能性が高いと思う。私が戦った煙の妖は、明らかに雄二くんを脅すために放たれた妖よ。弱すぎず強すぎずだったもの。ただ、私の実力を知らずにやってきたのが運の尽き。まさか私にやっつけられるとは思っていなかったと思うけどね」
涼海さんはファイティングポーズからのワンツーパンチを披露して胸を張った。
あの妖の黒い銛に刺されながらも頑張って倒したのは僕なのにと思ったが、涼海さんの知識がなければ解決しなかった部分もあるので、何も言わずにいることにした。
ようやく少し風を感じた。ねっとりした暑さの下に転がる瓦礫の山を見れば、動物の毛が風で揺れている。すると、毛が風に舞って浮いた。初めは一本、二本だった。しかし、あれよあれよと言ううちに周りに散っていた毛の殆どが宙に舞った。
動物の毛は宙空に集まり、だんだんとまとまっていく。何かを形成しているように見える。
「む。雄二さま。下がってください」
ヒメウツギは僕の身体を駆け上がって肩に飛び乗ると、宙に固まっていく毛を睨みつけた。僕もヒメウツギの言う通りに、後ろに少し下がって間合いをとる。すると、涼海さんがスッと僕の横に寄ってきた。すでに手印を作って、小さく何かを呟いている。
止めどなく毛が集まる宙空から、今まで少しも感じなかった妖気が急激に増していく。この禍々しさは妖のものだ。周りに誰もいないことを確認して僕も尻尾を出す。崇高な黒い尻尾が雄二の頭の上に屹立すると、雄二の身体に急速に力が漲る。大きく息を吸って、息を吐く。吐いた息にも僕の気を感じる。
自分の行動全てに尻尾の力が宿っているのを感じる。これまでにはなかった感覚だ。煙の妖との戦いを経て、少しずつ尻尾の力の引き出し方が分かってきたのかもしれない。過信はしないが、妖術と霊術と陰陽術の戦いというものがイメージできてきたようにも思う。
僕とヒメウツギ、涼海さんも全員が臨戦体制に入った。
オオハルシャギクはこれに巻き込まれたら命はないと、寺の敷地から外に出たところにある草地からことの成り行きを見守っている。
まだ、昼の真っ只中だ。
こんな環境でも実力を出せる妖がいるとすれば、それはとんでもない強さを持っているに違いない。妖は闇と同体だと、いつかヒメウツギが言っていた。僕たちと白い九尾の狐の戦いは、闇と光、陰と陽という相対する力の戦いでもある。陽の力の強い時間帯にこうも容易く妖に出てこられては敵わない。
動物の毛は、ついには悪魔のような顔を形成した。
釣り上がった目と、大きな裂けた口。それが炎のように揺らめいて宙空に浮いている。
これが『犬』なのか『熊』なのかは分からない。この気からは、邪悪な意思しか感じない。どこからともなく饐えた臭いが漂ってきた。あれだけ暑かった境内が鳥肌が出るほどに寒くなっている。
この臭いと気温の低下は、妖が来た証拠だ。僕はここまでの経験から、この二つが揃った時に強力な霊や妖が近くにいるという事を学んでいる。
「くくく。お前ら俺たちの警告を無視したな。家で大人しくしておけばいいものを。くくく」
腹の立つ笑い方をすると、毛の塊に空いた口がやけに低い声で饒舌に話す。毛の塊は宙空で活発に動き、裂けた口が更に大きく裂けて顔の半分が笑った口になった。見ていて気持ちのいいものではない。
「あなたたちは何が目的なの?これだけ街のものを破壊してどうするの?」
僕が質問すると、毛の塊は海の波のように揺らめき、げっげっげと気味悪く笑った。
「おい、ヒメウツギぃぃ。こんな奴で俺たちと対決するつもりなのか?うひひひぃ。笑っちまうなあ」
「そうか。お前は————ええと…何て名前だっけ?」
どうやらヒメウツギは本当に名前を忘れているようだ。目が泳いでいるので間違いない。
「てめえ、ふざけるな!!俺様を忘れたとは言わさねえぞ!!」
「だから今思い出しているだろ。何百年と会っていなければ名前も忘れる」
「普通、仇敵の名前くらい覚えているだろ」
ヒメウツギは顳顬に青筋を作った。今の台詞に相当イラついたようだ。
「お前は冗談部門で、仇敵ではない。早々に退散しろ。今なら許してやる」
毛の塊は、ゆらゆらと盛大に揺れて目を大きくして怒りを表現した。ヒメウツギの会話の後に見ると、確かにあまり恐怖を感じない。本当に冗談部門の妖なのかもしれない。
「弱小軍団が偉そうな口を叩くな!!お前なんか一撃で…」
敵の話途中にヒメウツギは僕の耳に囁いた。
「雄二さま。あいつはこの世から消さなければなりません。何というか表現が難しいですが、生命力だけは圧倒的に強いクマムシか蜚蠊(フェーリャン)のようなものとお考えください」
「フェーリャン?」
「聞こえているぞ!!誰がゴキブリだ!!」
「わざわざ中国の発音にしてやったのに何故お前に分かるのか?」
こんな無駄話を繰り広げていると、涼海さんがぼそっと「準備できたよ」と言った。ヒメウツギは頷くと、お堂の三時方向を指差した。
「目標、道路沿いの桜の木。敵目標に軸線を合わせろ!!」
「ターゲットスコープオープン。電影クロスゲージ明度20」
この二人は何をやっているのか?きっと23:00から栃テレで再放送している◯ンダムでも見て影響されたのだろう。
「最終ロック解除」とヒメウツギが静かに言うと、「エネルギー充填120パーセント!!」と涼海さんが返す。
「撃て!!」
「波動砲、発射!!」
あ、宇宙戦艦の方だったかと思った瞬間、涼海さんの術式が桜の木へ放たれた。
僕の術とは全く異なる術式が飛ぶ。術式は本物の波動砲のように、何本もの光の束が畝って本当にビームが飛んでいるように見える。涼海さんはこういう見た目にするために必死に特訓したはずだ。
桜の木が眩い光に包まれた。眩しすぎて見ていられず、僕は手で目を遮った。
徐々に光が薄くなっていく。光の残像が残っているが、何とか桜の木を見る。木の前には何かが立っている。身体のほとんどが焦げているが大きな動物が二本の足で立っているのは分かる。
ようやく残像が少なくなり、何が立っているのか分かった。やはり『熊』だった。熊は黒焦げで立っているのやっとという感じだ。あれではもう戦闘にならないだろう。
「げふっ!!」
熊がくしゃみなのか咳なのか分からない声を発すると、口から黒い煙が舞い上がった。恨みがましい目をこちらに向けると、熊はそのまま前に倒れた。受け身なしで地ベタにぶつかったので相当痛そうだ。
ヒメウツギは非常に申し訳なさそうな顔をして僕を見た。
「雄二さま。今回の件はここまでの一連の流れとはほとんど関係ありません。ほとんどというのは関係なくもないという意味でして…」
「何だかはっきりしないね。結局、こいつは誰なの?」
「はい。九尾の狐さまが日本に渡ってくる遥か前から日本に住み着いている熊の霊です。見ての通り攻撃力はスライムかドラキー並みなのですが、生命力はカービィの星の夢ほどあります」
「うん。ヒメウツギと涼海さんが僕のいない間にゲームをやっているのはよく分かったよ」
「うっ。しまった。————ええと、それで、この熊はですね、我々のような土着ではない妖を嫌っておりまして、海外から入ってきた妖を日本から追い出そうとするのです」と心底まずったという顔をした。
雄二は、戦いにも色々な視点があるのだと今更ながらに気づいた。九尾の狐同士の戦いの中には、土着と外来の戦いというものも含まれていたのだ。
「まあ、タケミカヅチと大国主みたいなものだよね。気持ち的には微妙だけど、分からない話しでもないけどね…」
「ほう。タケミカヅチを知っているのですか?」
「え?だって鹿島神宮は茨城県にあるんだよ。高天原からやってきた一族のタケミカヅチが、元々日本に住んでいた大国主を出雲から追い出したのは茨城県民ならみんな知っているよ」
「ああ。なるほど。でも今は日本の神様の話は置いておいきましょう。あの熊を滅するのは九尾の狐を滅するよりも大変だと言われています。事実、敗北を繰り返してはおりますが、今の時代まで生き延びています」
「ふーん。そんな『熊』が何で今になってここに現れたの?」
「はい。源翁心昭が殺生石に九尾の狐の魂を封印しましたが、いつの日か復活する事は周知の事実でした。ですので、この『熊』はその日が来るまでこの周辺に待機していたのでしょう。すると、ここに来て妖が原因と思われる破損事件が頻発したので、これは使えると思い、そこがオオハルシャギクにわざわざ自分の姿を見せて、我々を誘き出したのです」
「なるほど。僕たちはまんまとそこの熊に騙されてしまったということか」
「騙されたと言いますか…私の読みが外れたということです」
ヒメウツギはガックリと肩を落とした。
「でも、狐ちゃんがここに行こうって言ってくれたおかげで、一つはっきりしたよ」
涼海さんは、甘い匂いの魔力に吸い込まれるように僕の尻尾に抱きつくと、尻尾からエナジー補填をしながらそんなことを言う。
「何がはっきりしたの?」
「今、茨城県で悪さをしているのは『犬』関係の妖だけよ」
「え?そうなの?」
「うん。私が現地を見た限り、このお寺以外の被害はみんな同じ手口で、現場から感じられる気も同じ。だからこれで眷属同士の縄張り争いという線は消えたわ。私たちが対峙しなければならないのは、目下のところ『犬』の連中だけよ」
「じゃあ、ここに来たのは意味があるってことか。よかったねヒメウツギ」
「はい。ありがとうございます、雄二さま」
ヒメウツギは納得しかねる顔だったが、少しでも前進するのは良いことだと思う。最近はコスパだのタイパだのがもてはやされているが、時間をかけて調べる事は大事だと思う。
「よし。色々分かったところで、うちに帰ろうか」
「そうですね」とヒメウツギも同意した。涼海さんは尻尾がしまわれてしまうのを残念そうにしていたが、何とか踏ん切りをつけて尻尾から離れた。
尻尾をしまうと、僕の周りに暑さが戻り、壊れた石碑の瓦礫とうつ伏せになって伸びている『熊』が残った。
僕たちが敷地を出ようとすると、オオハルシャギクが草むらから飛び出し、全速力で走ってきた。そして僕を通せんぼするようにちょこんと座る。
「どうしたの?」
「はい。雄二さま。ヒメウツギさま。あの…この鬼熊どうすれば良いでしょう?」
オオハルシャギクは、困った目で熊を見た。熊はイビキをかいて寝そべっている。
「鬼熊?ああ、この熊はそういう種類の妖怪なの?」
すかさず肩の上で説明が始まった。
「この『熊』は妖というよりは霊に近いようにも思いますので、種類は特定できません。もしかすると、古代の神の残滓なのかもしれません。いずれにしても、気づいたらそのうちどこかに行くと思いますし。そのままにしておいて問題ないと思います」
それだけは勘弁してくれという気持ちを顔に貼り付けて、オオハルシャギクが食い下がる。
「でも、この鬼熊にここに居座られても迷惑です」
ヒメウツギは困った顔をして「確かに本人のそのつもりはなくとも、邪魔だよなあ」などと神妙に言う。
「でも、この熊さんは、『犬』に会ったら戦ってくれるんじゃないの?」と僕が聞くと、ヒメウツギは「いや、そうかもしれませんが、この熊は見ての通り戦いには向いていないのです」と話した。
「でも死なないんでしょ?」
「それは…何とも言えませんが、陰陽師、坊主、妖、悪霊等が永きにわたってこの熊と対決していますが、誰一人として滅せていないのは事実です」
「すごいね。不死身の霊だ。佐白山で修行でもしてもらったら?」
「雄二さま。この『熊』は私たちを倒そうとしていたのですよ。それに、ここまで弱くては戦力には…ちょっと…」
「でも、この石碑はこの『熊』さんが壊したんでしょ?力の使い方が悪いんじゃないの?」
雄二にそう言われてヒメウツギは瓦礫を見た。
確かに力がなければこのような事はできない。が、これを本当にこの『熊』がやったと信じられない自分がいるのも事実だ。何しろ、この熊が戦った相手に一撃くれたという話しを聞いた事がないのだ。
「雄二さま。この熊は、二千年以上、戦いに一度も勝ったことがないのです。それは戦いに向いていないのと同義です」
「そうかなあ?」
「そうです」
このままでは『熊』の教育を押し付けられるのは間違いない。ヒメウツギは盛大に反対した。
それを見たオオハルシャギクはこのままではこの『熊』を置いていかれると思い、今度は土下座をしてお願いしてきた。
「ヒメウツギさま。この鬼熊の扱いはお任せいたします。何卒よろしくお願いします」
ヒメウツギは、く…卑怯な。と思ったがもう遅い。直属の部下が土下座までしてお願いした案件を、このまま放置はできない。
「じゃあ、私が熊ちゃんを小さくするよ。これなら持ち運びも楽だよ」
涼海さんは、いつの間にか手印を作って、何かの呪文を唱えた。暫く呪文を唱えていると、うつ伏せで気絶している熊が少しずつ小さくなってきることに気づいた。二メートルはあろうかという巨体は、少しだけ小さくなっている。涼海さんは呪文を唱え続ける。唱える度に熊は縮んでいく。最終的に熊はヒメウツギよりも小さくなった。
「ここまでちっちゃくなれば大丈夫でしょ」
「そうだね。暫く僕のリュックの中で大人しくしていてもらおう」
雄二は小さくなった熊を拾い上げると、リュックに入れてチャックを閉めた。
「では、オオハルシャギク。また何かあればすぐに連絡してくれ」
「はい。分かりました」
オオハルシャギクは、恭しくヒメウツギに礼をして、三人を送り出した。
夕刻を迎えた小美玉市は、夕日で真っ赤に染められている。オオハルシャギクはそろそろ見回りの時間だなと、大船神社内の稲荷神社から外へと出た。
ヒメウツギがあの『熊』を持って行ってくれて本当に助かった。自分は見たことがないが、ヒメウツギは昔にあの熊を見たことがある様子だった。あの熊がどのように石碑を壊したのかは分からないが、オオハルシャギクは一つだけ気になっていることがあった。石碑が壊される直前、突然頭が痛くなったのだ。気圧が変わったようにも思うが、それが何を意味しているのかは分からない。その後、とんでもない音がしてあの石碑は見る影も無くなっていた。
同夕刻。僕たちは、笠間市の自宅へと戻ってきた。
涼海さんは早速僕のベッドに寝そべって疲れを取り始め、ヒメウツギは他の狐たちと連絡をとって情報を集め始めた。
僕は風呂に入って汗を流した。
さて、これからあの熊について議論だな。僕は、夕食後に行われる『熊』サミットに気合いを入れた。
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