第15話 調査
雄二は一週間ほどで退院した。
抉られた肩にはハッキリと傷跡が残り痛々しい。僕の尻尾の力を使えば傷跡も痛みもなくなるとは思うが、いきなり傷跡がなくなると色々と面倒になると思い、少なくとも高校受験が終わるまではこのままにしておくことにした。毎日包帯を替えないとならないのは非常に面倒だがこれは仕方がない。家へ戻ると、家族は僕を暖かく迎えてくれた。父も母も尻尾のことには触れずにいるが、きっと何らかの事は話し合ったのだと思う。ただ、結論は目に見えている。母は丹禅寺のことを頭の片隅に追いやり、妖怪の類がいることから目を背け、僕と妖との関わりを完全に断とうとしている。だから今回のことは、通り魔の犯罪だとして丹禅寺には連絡していないと思う。
そうそう。入院中、あの茨城県警の河野という刑事が何度か病室に来た。当たり前だが、捜査がかなり行き詰まっているのを感じた。僕は見てもいないものを答えることはできないので、最後まで何も見ていないで通した。新しい情報はもたらされなかったが、茨城県警刑事の河野は、グレーの髪を掻きながら被害のあった建物や施設、標識などがかなり酷い壊され方をしていると教えてくれた。人的被害は僕だけだが、僕が入院している間にも、茨城県の建物で二件の被害があったとのことだ。
これからもどこかで被害が被害は出るのだろう。もし、人的被害が出た場合、僕はどうすれば良いのか?その答えは近いうちに自分で導き出さなければならないだろう。
「この辺りかなあ?」
僕はそれとなく涼海さんに聞いてみる。住宅街が寂しくなってきたので恐らくこの辺に違いない。
「うん。多分。何かの『動物』さんの匂いがしてきたよ」
涼海さんは、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら住宅街の道を進んでいく。涼海さんは、無重力の中にいるようなものなので、ジャンプしながらどんどん先へと行ってしまう。
僕はハンカチで汗を拭いながら涼海さんを追う。
ここは、茨城県小美玉市のとある住宅街だ。小美玉市は笠間市と隣り合ってはいるが、笠間市民は特別な用事や車でもなければまず行かない場所だ。
今日は退院して初めての休日で、家族にはリハビリの散歩と称してここまで調査しに来たのだ。住宅街は笠間市と同じような感じだが、道も畑も小美玉市の方が広い。小美玉市までは時間がかかると事前に調べていたが、予想以上に遠かった。笠間から電車で水戸まで出て、そこから関鉄バスに揺られること二十分。朝早く出たというのにもう昼近い。国道6号沿いのバス停近くにあった、にんたまラーメンという某漫画のタイトルのような店で昼食を取り、ここまで歩いてきたのだ。
目指すは、報告にあった山中薬師という寺だ。
住宅街を抜けたこのあたりは、防風林や竹林に囲まれているので風はあまり吹かず、南に昇った太陽が容赦なく僕を照らす。目線の先で軽やかに飛んでいる鈴海さんが羨ましい。
軽やかな動きの涼海さんを見ながら、今週初めの事を思い出す。
ヒメウツギに一つの報告が入った。小美玉市の石船神社に祀られた狐が、神社近くの山中薬師の石碑が『犬』に壊されたと言ってきたのだ。現地で待つというその石船神社の稲荷狐に詳しい話を聞き、僕と涼海さんとヒメウツギの三人でその場所の調査をすることになった。
僕の肩に乗るヒメウツギは、さっきから神経質なくらい周りを警戒している。尻尾が逆立っているので、臨戦体制とも言える。『犬』というワードを聞いてからずっとこの調子なので、その『犬』というのはかなりヤバい奴なのだろう。
県道59号線沿いの広い平屋を曲がると、昔ここにあったという小学校の記念碑があった。その先に見える赤い寺が目的地の山中薬師だろう。ここからではヒメウツギの部下がいるのかはまだ分からない。
ヒメウツギとは真逆に、涼海さんは何の警戒もなくその寺へと入って行った。
「うわ。涼海さん大丈夫かなあ」
「今のところ妖気も感じないので大丈夫でしょう。あ、あそこに立っているのが石船神社にいるオオハルシャギクです」
「オオハルシャギク?」
「秋桜とも言います」
「ふーん」
恐らくコスモスのことだろうとは思うが、花に詳しくないので自信はない。
オオハルシャギクはヒメウツギよりも少し大きくて、色も少し黄色によっている。ヒメウツギのように真っ白な狐の方が珍しいのだろう。
僕とヒメウツギが山中薬師の前に来ると、その狐が恭しく頭を下げた。
「ヒメウツギさま。オオハルシャギクにございます。この度は遠いところまでご足労おかけして大変感謝しております」
「いや、楽にしてくれ」
ヒメウツギがそう言うと、勿体無いお言葉と言いながらオオハルシャギクが顔をあげた。
「では、わかっていることを教えてくれ」
「承知いたしました」
オオハルシャギクは、チラッと後ろを見た。意気揚々と山中薬師に入って行った幽霊が気になるのだろう。
「あれは放っておいて大丈夫だ。我々の味方だ。そして、単独でもかなり強い」
「そう…なのですか?」
味方とはいえ、鈴海さんは見た目に強そうに見えないし、人間の幽霊では弱いと思われても仕方がない。何せ、今の人間は涼海さんのような陰陽術で妖と戦えない。そして、強力な霊力を持った人間も殆どいない。時代とはいえ、人間の霊的弱体化は目を覆うばかりだ。
ヒメウツギがそう言うのだからと納得したのか、オオハルシャギクは僕達に説明を始めた。
「つい、一週間ほど前のことです。夜になったので、私はいつものように周辺の見廻りへと出かけました。奇しくもヒメウツギ様から『犬』に注意せよと言われたばかりでしたので、私めも警戒はしておりました。そして、この近くを見廻っていた時、若干ではありますが妖の気を感じたのです。『犬』は相当の手練れだと聞いておりました故、私めは慎重に気配を消して妖気を感じる方へと向かいました。そして、この山中薬師にたどり着いたのです」
その時の事を思い出すように、オオハルシャギクはキョロッとした真っ黒な目で寺を見つめた。寺の前では何をしているのか、涼海さんが忙しなく動いている。じっとしているのが苦手なのか、家でも二階と一階を行ったり来たりしているのをよく見かける。
あれだけ動いても暑さを感じないのは羨ましい。雄二は額から止めどなく落ちてくる汗をハンカチで拭いた。さっき拭いたばかりのハンカチは湿っている。
それにしても暑すぎないかと、今日の気温に文句を言いたくなる。
「果たして、その妖気を出していた『犬』はそこにおりました。暗くてどうやったのかは見えませんでしたが、大きな身体を揺らし、そこが石碑を粉々に砕きました。あれほどの大きさの妖相手では、戦っても勝ち目はありませんでしたので、私めはその様子を目に焼き付けることにしました」
ヒメウツギの目が鋭くなった。『犬』の情報を少しでも集めたいのだ。
「『犬』は事前の情報の通り真っ黒な毛をしておりました。そして、大きさは大凡で六尺六寸。『犬』というよりは熊に近い印象で、その図体にそぐわず俊敏な動きをします。そして、恐るべくはその部下です。『犬』の周りには数体の妖がおりましたが、私めの見立てでは、その部下でも相当の強さを持っています。彼らもまた熊のような大きさの黒毛『犬』でございました」
神妙な顔をして熟考していたヒメウツギがここで口を挟んだ。
「そこまでは分かった。奴らが何故、わざわざ分かるように毛を残して様々な施設を破壊しているのだと思う?」
「我々と人間に警告を発しているのではないでしょうか。先日雄二さまが襲われたという事は、少なくとも『犬』は雄二さまの事を知っています。『犬』の部下の中でも煙の妖はそれほど強い部類ではないと思います。恐らくは大人しくしていろという一種の脅しなのではないでしょうか」
単純に疑問なのだが、僕を脅してどうなるというのだろうか?さっさと倒してしまった方が向こうも楽なのではないかと思う。
「あ、あの。オオハルシャギクさん。何故『犬』はそんな周りくどい事をするのですか?一気に僕を倒した方が効率的な感じがするのですが?」
「なるほど」
オオハルシャギクはヒメウツギを見た。ヒメウツギはオオハルシャギクの視線を受け取り、頷くことで、続きを話してくれと伝えた。
「では、その質問にお答えいたします。九尾の狐さまは、現在、善の魂と悪の魂に分かれております。元々は一つの魂でございますので、善の魂が宿る雄二さまが死ぬと、悪の九尾の狐も完全な魂に戻れないかもしれません。そこで、白い九尾の狐が復活するまでの間、雄二さまには生きていてもらいたいのかと」
すると、ヒメウツギがその話しを引き取って口を開いた。
「オオハルシャギクの言うことも一理ある。しかし、一つ聞きたいことがある」
「はい。なんでしょうか?」
「私の匂い鑑定によれば、これはそもそも『犬』の匂いではないように感じるのだが、オオハルシャギクの見た『犬』は本当に『犬』だったのか?」
いきなりそんな事を言われたオオハルシャギクは動きを止めて固まった。そして、上を見ながらその時の事を思い出してみる。狐ともなれば、獣の匂いは嗅ぎ分けられる。ただ、妖の匂いの違いと言われればいささか勝手が違うのは事実だ。自分の見た『犬』は『犬』ではなかったのだろうか?
首を傾げるオオハルシャギクにヒメウツギは更に突っ込んで聞く。
「オオハルシャギクは、とても『犬』のようには見えず『熊』のようだったと言った。それは本当に『熊』だったのではないか?」
オオハルシャギクは、集中してもう一度その時の事を思い出す。確かに『犬』に気をつけろと言われていたので、あれは『犬』だと思って見ていたが、実は『熊』だったのかもしれない。しかし、本当に『熊』だったかと言われればそれもまた怪しいのである。
しばし沈黙が辺りを支配した。
すると、誰も来ないので、頬を膨らませた涼海さんがこちらへとやってきた。
「もう。何で誰も来ないのよぅ!!」と肩を怒らせご立腹だ。怒る姿の方が可愛いとは絶対に言えない。
なるべく涼海さんの顔を見ないように謝る。
「涼海さん。ごめんなさい。そこが破壊された一部始終を見ていたオオハルシャギクに話を聞いていたんだよ」
「だったら、向こうの現場で話せばいいじゃない」
いつになく正論で怒っているのは、向こうで何かを見つけたからだろう。涼海さんはこれで意外と鋭い。僕はよく消しゴムをなくしてしまうのだが、涼海さんは今で言うプロファイリングですぐに見つけてくれるのだ。
「何か分かったの?」
「もっちろんよ。今からそれを説明してあげる。あっちへ行きましょ」
胸を突き出して自信満々に言うと、文字通り飛び跳ねて山中薬師の方へと行ってしまった。
「じゃあ、あっちに移動しようか」
すぐに行かないと拗ねてしまい、後で機嫌を取るのが面倒になる。ここはさっさと行くに限る。
僕が歩き出すと、今度は核心に迫る話をしていたヒメウツギとオオハルシャギクがムスッとしながらついて来た。バラバラに話すと全くもって良いことがない。真面目な話しはみんなが揃ってからだと僕は学んだ。
僕と狐たちが敷地内に入ると、涼海さんが破壊された石碑の前で招きをしている。早速そこへと行くと、涼海さんが石碑の残骸を指差した。
「ここに動物の毛があるよ」
「ええと…ああ、確かに黒い動物の毛があるね」
警察やオオハルシャギクの言うように黒い動物の毛がそこかしこに落ちている。
その毛が何の毛であるのか僕にはわからないが、この現場の凄まじさは見ただけで分かる。
石碑は半壊していて、半分は台座に残っていた。残りの半分は大小様々な形の残骸になって地面に転がっている。何故警察がここまで捜査に苦労しているのかがこれで分かった。
これは人間ができる壊し方ではない。
どんな力の強い人間でも、金属バットやハンマーを使ってさえこんなことはできない。勿論電動ドリルでも無理だ。ではどんな道具を使えばこうなるかと言うと、恐らく重機でも使わないと無理だろう。学校の校門もこの石碑も、人間が壊したと想定するのは無理があるのだ。犯人を探す警察も一体何が起きているのか分からないだろう。これで、警察が僕の目撃証言を重視するのが分かった。
「ねえ、雄二くん。これ何の毛だか分かる?」
「え?分からないよ。涼海さんは分かるの?」
「うふふ。私は修行の為、山に篭ってこの毛の主とよく戦ったのよ。だから、すぐ分かったわ」
ヒメウツギとオオハルシャギクは、本当か?という表情で涼海さんを見る。その涼海さんは自信満々の顔で「これは『熊』の毛よ!!」と言った。
僕とヒメウツギとオオハルシャギクはお互いの目を見た。これはやはり『熊』がファクトなのではないだろうか。
そうすると、この事態がさらに混沌としてくる。何故、『犬』と『熊』が張り合うように人間の施設を壊しているのだろうか?
「困ったな」とヒメウツギが言うと、オオハルシャギクが「困りましたね」と答えた。
彼らはこの事態の真実が見えているのだろうか?
「ヒメウツギはどういうことか分かったの?」
「そうですね…だいたいの事はわかりました」
「え?じゃあ、教えてよ」
「はい…」
ヒメウツギはすぐには答えず、壊れた石碑をじっと見た。
相変わらず寺の境内も風はなく、暑さが吹き溜まっている。汗がとめどなく出るので喉が渇く。ヒメウツギはどう答えるかを考えている。たまらず僕はリュックのサイドポケットから水を取り出して一口飲んだ。
時間が止まったかのような空間に、近くの県道59号線を走る車の音だけが聞こえる。
「では、私の見解を話します」
ヒメウツギは、視線を僕の目に移してそう言った。
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