第13話 通り魔

 目を開けると、若干ぼやけた視界に見たことのない天井が見えた。


 どうも記憶がはっきりとしない。ここはどこだろうと思っていると僕の視界にヌッと女性の顔が現れた。

「うわっ」

 驚いて声が出てしまう。

 いや、顔が一つであれば僕だってそんなに驚かない。でも二首の人間の顔が出てきたらそれは驚くというものだ。よく見れば、左の顔はナースキャップを被った女性で右側の首は涼海さんだった。

 ナースキャップを被った顔がニコッと笑った。

「あ、気がついたんですね。よかった。ちょっと先生を呼んできますね」

 そう言うと顔が引っ込んだ。その女性看護師さんはベッドの横の棒に点滴の容器を吊るし、小走りに部屋を出て行った。僕の視界に入るのは鈴海さんの顔だけになった。

「雄二くん大丈夫?」といつになく心配そうな声で聞いてくる。

「うん。大丈夫」

 とは言ったものの、涼海さんの顔があまりに不安そうだったので、実は結構まずい状況だったのだろうと直感する。目を覚ました事で、知りたい事がどんどん思い浮かぶ。あの後どうなったのか?そして、僕の身体はどうなっているのか?


 とりあえず確定しているのはここが病院だということだ。


 少し落ち着いたので、周囲を見た。

 ここは六畳くらいの個室でそこまで広くはない。壁は真っ白で、お見舞いに来る人用に椅子が二脚と物置用の机が置かれている。その来客用の椅子に涼海さんが座り、机にはフルーツが乗っている。

 何故、お見舞いにはフルーツなのかと思っていると、廊下からドタドタと走ってくる音が聞こえた。この部屋に先ほどのナースに連れられて白衣を着ながら小太りのおじさんが走ってきた。きっと医者だろう。

「おお。意識が戻ったか。起き上がれる?」

 上半身を起こすと、腰から背中にかけて鋭い痛みが駆け巡る。

「痛っ!!」

 医者は頭をかきながら、「ごめんごめん。無理しなくていいよ」と謝ったが、「すぐ終わるから診察はさせて」と結局は上半身を起こしたまま診察が始まった。

 聴診器で心音を聞くところから始まって、目、耳などを診た後、関節が曲がるかなどのチェックをする。最後に血液を取ると、「じゃ、明日の朝にまた来るよ」と言って、先生は診察の経過を何も説明しないで部屋を出ていってしまった。

 呆然と先生を見送った後、注射針とガーゼの片付けをしている女性看護師さんに聞く。

「あ、あの。僕はここにいつからいるのですか?」

「ええと、志田さんは一昨日の夕方からですね」

「えっ。二日間も寝ていたんですか?」

「はい。通り魔に襲われたとかでICUに入ってから、一日寝て今ようやく目を覚ました感じですね。肩の裂傷が酷かったのですが、救急隊の輸血が早かったのが功を奏しました」

 流石にびっくりだ。

 ただ、肩の傷が致命傷にならなかったのは、絶対に涼海さんのおかげだ。彼女があの時治療をしてくれなかったら、僕はあの妖の負の気に身体を侵されていた上、肩が亡くなっていたかもしれない。

 看護師さんが部屋を後にすると、僕は涼海さんにお礼を言った。

「涼海さん。あの時肩の治療してくれてありがとう。きっとあのおかげで助かったんだよ」

 すると、涼海さんは大粒の涙を流して首を振った。

「ぢがうの。あのどき、雄二くんをじぇんとうに参加座ぜなければ良がったのよ。うぇーん」

 いきなり泣き出してしまった。

「いや、ごめんなさい。僕が尻尾をもっとちゃんと使えるようにとか思わなければよかったよ。涼海さんの指示に従って戦えばよかった。ごめんなさい」

 ここからお互いに謝り合いをしたところで、うちの両親が部屋に入ってきた。

 父も母も慌てて来たせいか息が上がっている。

「雄二大丈夫か?」

 父は顔を歪めながら聞いてきた。普段運動していないので、走ってお腹が痛くなったのだろう。本気で心配してくれていたようで、若干目に涙が見える。

「うん。大丈夫」

「そうか。よかった。まさかとは思うが、その…あの尻尾のせいでそんなことになったんじゃないよな?」

「うん」

 と即答したが、まさか煙の妖怪に襲われたなどとは言えない。

「犯人は警察が探しているわ。でも一つだけ約束して。絶対にあの寺に連絡はしないで。あそこに連絡すると妖怪の仕業だとか変な事を吹き込まれるよ。いいわね?」

「うん。わかったよ」

 日本を取り巻く状況が分かったのと尻尾を隠せるようになったのは、あのお寺のおかげだと思うのだが、その感謝は微塵もないようだ。やはり九尾の狐の話しが尾を引いているのだ。

 すると、部屋を誰かがノックした。

「失礼します」

 ドアが開くと、帽子を被ってヨレヨレのスーツ姿の中年の男と若い痩せぎすの男が現れた。

「おや、本当に気づいたようですね」

 帽子の男はそう言うと、ハンチングを取った。僕が思ったよりも年なのか白髪の方が目立つグレーの髪だった。

「初めまして。私、茨城県警の刑事で河野と申します。ご両親が息子さんとお話しをしたいのは重々承知しておりますが、ここは一つ捜査に協力してくださりますか?」

 母は刑事を睨みつけると、「出ていきなさい!!今はそれどころじゃないのよ!!」と刑事を一喝した。こうなると、母は頭に血が登って誰の言うことも聞かない。

 それでもこの河野という刑事は母に食い下がった。

「我々も家族の時間は大事だとわかっています。しかし、犯人確保も時間との勝負なのです。今回の事件は、単なる通り魔では片付けられません。そして、怪我をされた本人からしか情報を得られないのです。一つ協力をお願いします」

 河野は母に頭を下げた。

「そんな事情は知りません!!早く出ていって!!」

 母に正論は通じない。

 まさか、一才の協力を拒むとはと困り果てた刑事は、父に助けを求めた。目で何とかしてくれと哀願したが、父は刑事に目を閉じて首を振って今は無理だと伝えた。河野刑事は顰めっ面で下を見ると、首を一回掻いた。そして、「では、十分後にまた来ます」と言ってドアを閉めた。

「十分でも二十分でも、あんな奴ここに入れないわよ」

 母はドアを睨んでそんな事を言う。

 今の刑事の話によれば、僕は通り魔に傷つけられたことになっているようだ。

 その情報を得ようと、雄二は父にスマホを借りて事件の記事を見た。新聞社が取材した記事によれば、一昨日の夕方、笠間市内の中学校に通り魔が現れ、当該中学校の正門を完全に破壊し、少年一人を切りつけて逃走したとあった。少年は意識不明の重体で、犯人は未だに捕まっていないとのことだった。

「え…僕、意識不明の重体だったの…」

「まあ、そういうことだ。さっき医者に話しを聞いたら、意識も回復したし体調も回復傾向にあるから近いうちに退院で

できそうだってさ」

 疲れの中に安堵の表情を混ぜ、父はベッドの横の椅子にずかっと座った。そこには涼海さんが座っていたが、父が座ろうとした瞬間、猫のように素早く飛び退いてベッドの上に着地し、そのまま僕の足のところに座った。

「すぐに学校に行けそうだね。良かった。期末もあるし最後の大会もあるからね」

「そうだな」

 父はそう言うと、机に置いていた鞄からノートを一冊出して渡してくれた。

「この事件があった時に一緒にいた女の子が書いた授業ノートだ。これで勉強してくれってさ。なかなか可愛い娘じゃないか」

 そう言ってふひひと笑った。

 涼海さんの表情が明らかに怒りに満ちた。この話題はさっさと切り上げた方が良さそうだ。

「まあ、ちゃんと勉強するよ」

 それだけ言ってノートを受け取り、早速パラパラとノートをめくってみる。鳥丸さんの字は綺麗で読みやすい。そして、要点をまとめてあるのが凄い。さすが学内でもトップクラスの成績を誇っているだけある。

「それで、さっき刑事さんが言っていたけど、通り魔の顔とか見たのか?」

「え?通り魔の顔?」

 そう言えば、通り魔に襲われたことになっていたのだ。これはまずい。ここで嘘をつくと後々面倒なことになる。

「うーん。校門が壊されたところまでは覚えているんだけど、その後の記憶がないんだ…」

「そ、そうか。まあ、無理に思い出さなくてもいいぞ」

 父は僕に気を遣ってそれの事を聞くのをやめた。これをあの刑事にそのまま伝えてほしいと思うが、そう上手くはいかないだろう。ここは涼海さんと作戦会議をした方が良さそうだ。

「お父さん。色々ありがとう。ちょっと眠くなってきたから一旦寝てもいい?」

「ん?そうか?まあ、それだけの怪我だもんな。ゆっくりと寝てくれ」

 父は鞄を背負って立った。

「明日の朝また来るわね」

 心配を顔に貼り付けて入るが、今日のところは母も引き上げるようだ。すっかり両親に心配をかけてしまった。

「おやすみ」

 僕は目を瞑った。

 両親が電気を消して部屋から出ると、刑事が両親に話しかけてきたようだ。ドアの向こうなので何を話しているのかは分からない。

 僕は上半身を起こして外に聞こえないように小さな声で涼海さんに話しかける。

「涼海さん、結局あの後どうなったの?」

「その前にそのノートの女について話して」

 どうやら鈴海さんは割と嫉妬深いようだ。この先、女性と話をする度にこんな感じになるのだろうか?それにしても、涼海さんの顔が険しい。これはかなりご立腹だ。

「同じクラスの女子ってだけだよ。それ以上でもそれ以下でもないよ」

「雄二くん。それは本当なの?」

「もちろん」

 涼海さんの目がさらに鋭くなる。きっとその目で僕が嘘をついていないのか確かめているのだろう。

「まあ、今回はそういうことにしておいてあげる。でも、次にその女と何かあったら許さないからね」

「分かったよ」

 涼海さんは満足そうに頷くと、話を進めた。

「まずは、あの煙の妖怪の話からするね」ようやく声がいつもの穏やかなトーンになった。「あいつを捕縛した私は、あいつを尋問したの」

「あいつ話せるの?」

「あそこまでの怪異になると、喋れないまでも意思の疎通はできるのよ。で、私は白い九尾の狐の手先なのか聞いたわ。でもあいつは口を割らなかった。私たちに情報をやるくらいならと自ら浄化されたわ。あんなことをする怪異なんて初めて見たわ。ヒメウツギとも話したけど、全く無関係というのは考え辛いと意見が一致したの。ヒメウツギは笠間稲荷神社に戻って仲間と話し合いをしに行ったわ」

 笠間稲荷の狐塚にはヒメウツギの仲間がたくさんいるのだろうか?まあ、いてもおかしくはない。

「ここまでは分かったよ。それで、現場はそうなったの?」

「雄二くんが気を失った後に、そのノート女と剣道部の先生が来たの。校門は派手に壊されているし、雄二くんは血を流して倒れているしで、先生が大声でスマホに何かを言うと、すぐに大きな白い車が来て、雄二くんをここへ運んできたの。別の部屋で色々と治療した後、この部屋に連れてこられたの」

「警察の動きはわかる?」

「私は雄二くんを見守っていないといけないから、よく分からないけど、さっき入ってきた二人がここで話していたのを聞く限り、通り魔なのかを疑っていたよ」

「うわ。じゃ下手な嘘はつけないな。どうしよう…」

「雄二くんの肩の傷は槍に突かれたような傷だったから、現代にこんな槍を振り回す奴はいないと言っていたよ」

「なるほど」

 警察の言う通りだ。ナイフや包丁で刺す通り魔はいても、槍を振り回す奴はさすがにいない。こうなればもう記憶にないと言い張るしかないが、多くの警官にいもしない犯人を探させるのは申し訳ない。


 ああ、どうすればいいのだろう?


 僕はベッドの中で頭を抱えた。

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