第12話 実戦

 二メートルはあろうかという場所で涼海さんを睨む真っ赤な目が、俺の方へと向く。最悪なことに、僕は真っ赤な目と目があってしまった。当然、真っ赤な目は涼海さんの他にも人間がいる事を認識した。

 僕は鳥丸さんの手を取って強引に引っ張って行き、校門から距離を取った。鳥丸さんは真っ赤な顔をして「しし、志田くん。何か見えた?」と聞いてきた。

 その声が結構大きい。この声は問答無用で敵に聞こえたはずだ。

 予想は当たった。

 僕が振り返った瞬間、突如、コンクリートでできた校門が粉々になり、破片が僕と鳥丸さんへ向かって飛んできた。大きいのから小さいのまで、コンクリート片がとんでもない速さで身体中にぶつかり、痛いなんてものではない。幸い鳥丸さんは僕の前にいたので、破片はほとんど当たっていないはずだ。

「わっ!!雄二くんそんなところにいたの?大丈夫?」

 僕に気づいた涼海さんが、慌てて駆け寄ってきた。しかし、後ろに鳥丸さんがいるのでおいそれと会話もできない。

 僕は涼海さんに大きく頷いて、大丈夫だとアピールした。

「首の体操?」

 残念ながら涼海さんには、僕の意図が伝わっていない。

 仕方なく、僕は必死に目で鳥丸さんを見て喋れない事をアピールしたが、「ちょっと、何よその女!!」とあらぬ誤解をして涼海さんは怒り出した。

 鳥丸さんはいきなり破壊された校門を見て、「ひいっ。何で校門が砕けるのよぅ。志田くん大丈夫?それに、何だか寒くない?」と言った。

 気づけば確かに寒い。この寒さは妖が出た時の寒さだ。

 気温はどんどん下がっていく。冬に逆戻りしてしまったかのような寒さになり、陸別町にでもいるのかという寒さになった。あまりの寒さに歯がガチガチと鳴る。鳥丸さんと僕の口から白い息が出始めた。身体の芯から凍らされるような感覚が僕を襲う。

 破壊された校門からあの真っ赤な目が入って来た。影のような霞に覆われていてそれが何だか分からなかったが、電灯の下に来た事で実態が見えた。まさか文字通り黒いモヤモヤの塊だとは思わなかった。黒い煙の塊は校門の残骸をバキバキと踏み潰して、校門の前に立った。

「あれは多分煙々羅だよ。煙の妖」

 と涼海さんが手刀を敵に向け、早口で教えてくれた。

 煙のくせに質量があるのかと不思議に思ったが、そんなことより、まずは鳥丸さんを逃がさなければならない。

「鳥丸さん」

「な、何?」

「ここは何だかヤバそうだし、校門が誰かに壊れちゃったのを職員室に行って誰か先生に伝えて」

「え…やだよ。私一人じゃ怖いもん。一緒に行こうよ」

 涙声で鳥丸が言った時、煙の妖は、逆側の校門も派手に壊した。

「ここは僕が見ているから早く!!」

「わ、分かったわよぅ」

 校門の両端が粉々になって、恐怖の沸点を超えてしまった鳥丸は校舎へと必死に走って行った。

「ようし。これで僕も尻尾を出せるぞ」

「勿体ぶってないで早く出せばいいのに」と涼海さんは能天気な事を言う。

 僕も尻尾を出して臨戦体制に入る。うちの学校になんてことをしてくれるのかと腹が立つ。うちの学校は、笠間市の中でもとりわけ歴史が古いので、この校門だって結構な年代物なのだ。

 もう周りに人間は誰もいない。

 こうなると誰に遠慮することもない。僕は九尾の狐の真っ黒な尻尾を出す。

 立派な尻尾が僕の頭の上で揺れると、僕の身体の中に強大なエナジーが駆け巡った。自分の身体能力が倍になったように感じる。ヒメウツギとの特訓の賜物だ。

 このエナジーを涼海さんに譲渡すれば戦闘は一気に楽になる。しかし、いつまでもそれではいけない。白の九尾の狐の復活は近い。なるべく自力で怪異を倒さなければならないのだ。九尾の狐が復活すれば、今の僕では数秒ももたない。だからここは少しでも実践を経験しなければならない。ヒメウツギも「本来の実践では…」とよくこぼす。

 黒い煙の妖はジリジリと近づいてくる。

 ヒメウツギは、妖や怨霊の力が強いとその場の気候すら変わると言っていた。黒い煙の近くの木はうっすらと白くなっている。恐らく凍っているのだ。妖が踏みつけた瓦礫も白くなっている。

「うへえ。やっぱりこいつヤバい奴だ。雄二くん。まずは挟み込むよ」

 そう言うと涼海さんはとんでもないジャンプ力で黒い煙を上を飛んで校門の外へと出た。

 黒い煙の中の赤い目は、涼海さんは追わず僕だけをじっと見ている。

 雄二はエナジーを有効に使うため、ヒメウツギに習った呼吸法を使う。口を閉じたまま、息を吸い込み、空気中の気を全身に行き渡らせる。呼吸と動作が一致してきた。ヒメウツギが言うには中国では数千年前からやっているとのことだ。

 すると面白いもので、目も良くなる。動体視力が上がると言った方がいいかもしれない。煙の妖の動きが鮮明に見えた。煙の渦巻く様子からどこに動くかが予想できる。

 妖の煙の中程が膨張した。来る!!と予想し、僕は横に飛んだ。さっきまで立っていた場所に煙で作られた刃が振り下ろされた。

「おおー。やるじゃん。さすが私の旦那だ」

 姿は見えないが、涼海さんが煙の後ろでそんな事を言っている。向こうは僕が見えるのだろうか?

 僕は更に呼吸を整える。そして、身体に循環させたエナジーを手のひらに持ってくる。練習ではいつもこれが上手くいかないが、敵が目の前にいるからか何となく出来ているような感じがする。

 ここで大きく呼吸する。

 すると頭に描いたイメージのように僕の手に気の塊ができた。

 妖、悪霊に対抗するには、彼らを構成する要素を剥いでいく作業が必要だ。人間や動物の負のエナジーによって成立している妖や悪霊ならばその逆のエナジーで対抗する。下級から中級の怪異は、大抵生のエナジーで対抗できる。涼海さんのように隠と陽の気を扱い、お札や術式でそれを補完する戦い方はまだ僕には厳しい。

 僕は煙の妖に思い切りその気の球を投げつけた。

 コントロールはいい方ではないが、気の球は真っ直ぐ煙の妖へと飛んでいった。ぶつかる瞬間、妖は慌てて避けたが、気の球は煙の妖の半身を削った。

 地面が震撼しているような妖の悲鳴が響いた。脳に突き刺さるような叫びで耳が痛い。

 妖は身悶えるように地面に転がり、校門の瓦礫を更につぶした。

「き、効いた?」

 僕が妖を覗き込んだ瞬間、涼海さんが「油断ちゃダメ!!」と叫んだ。

 妖はノーモーションで僕に何かを打ち込んできた。肩が熱い。見れば、真っ黒な銛のようなものが僕の肩に突き刺さっている。やはり妖との戦いは甘くなかった。

 身体中に、黒い尻尾の気を巡らせていたおかげで肩ごと持っていかれる事はなかったが、銛が引き抜かれた瞬間、僕の肩から血が吹き出した。制服が血で染まり、強烈な痛みが全身をかけ巡った。この痛みは裂傷だけのものではない。間違いなく負のエナジーによる別種の痛みが含まれている。

 あまりの痛さに卒倒しそうになったが、雄二は何とか意識を繋いだ。

 視界は歪むし、極端に動きが鈍くなったのが分かる。

 それでも一つ理解できた事がある。

 これが命のやり取りを含んだ戦いなのだ。相手も死にたくないので常識では測れない攻撃を繰り出してくる。そう思った瞬間、僕の頭の中にヒメウツギの言葉が蘇った。


 時には傷つく事もありましょう。その時は身体の中で循環している気を負傷部位に回すのです。


 ヒメウツギはそう言っていた。僕は気を手のひらに集める時と同じ要領で、身体の中で循環するエナジーを肩へと回した。すると、若干だが痛みが薄まり、意識もはっきりしてきた。

 見れば、煙の妖も地面を激しく転がって身悶えている。

 気の成分は真逆だが、あっちはあっちで僕と同じ苦しみを味わっているのだ。

 お互いイーブンだ。

 僕は再び闘志に火をつけ、手のひらにエナジーを集めて気の球を作った。その瞬間、黒い煙の身体がほんの少し膨張するのが見えた。きっとさっきもあれくらい小さな変化があったのだ。油断と観察不足で気づかなかっただけだ。

 今度は銛を躱わせた。

 黒に染まった銛は、高速に回転しながら僕の頭の横をすり抜けて飛んでいった。煙の妖は一瞬動きを止めた。まさか外れるとは思っていなかったのだろう。

 ヒメウツギは攻撃だけでなく、敵の攻撃を避ける技術を学べともよく言う。今は何故そう言ったのかが分かる。剣道の出小手と同じでカウンターは決まると避けようがないのだ。

 僕は守備の甘くなった黒い煙の妖へと気の球を思い切り投げ込む。

 黄色い球はホーミング機能でもあるかのように、黒い妖へと真っ直ぐに飛んだ。間一髪避けようとした妖だったが、後ろで戦況を見ていた涼海さんの術式が、その動きを止める。動きの止まった黒い妖は、もう気の球を受けるしかなかった。黄色く輝く気の球は、妖の土手っ腹にぶつかる。肉が焼けるような音を発しながら、気の球は黒い煙の妖の腹に食い込み、徐々に腹を溶かして行く。煙の妖は手のようなものを作って、必死に気の球を取ろうとするが、気の球は、底なし沼にハマった人間のように腹に食い込むのをやめない。やがてどうにもならなくなり、妖が気の球から手を離した瞬間、気の球は妖の腹を突き破った。妖の腹は抉れ、その抉れた穴からは向こう側の景色が見えた。

 低い唸り声と、聞いたことのない何かが伸縮するような音が聞こえる。ホラー映画の効果音のような音は聞いているだけで不快になる。

 たまらず、黒い煙の妖は悲鳴を上げた。腹に空いた穴に吸い込まれるように身体が縮んでいく。ついに煙の妖は、最初の半分の大きさになってしまった。もう僕の身長よりも低い。理解はできないが、気の球が奴を構成している要素を剥がしたのだろう。

 それでも妖の闘争心には翳りが見られない。

 恨みがましい目をこちらに向け、何かに突き動かされるように、最後の力を振り絞って攻撃しようとしている。この妖の何がここまでの闘争心を生むのかがわからない。

 だが、僕だって背負っているものがある。死ぬわけにはいかないのだ。

 結構な傷を負ってしまった今、あいつの攻撃をこれ以上攻撃をくらうわけにはいかない。

 気を集めて攻撃に備えたその瞬間。目の前に涼海さんがすっと現れ、何かを呟きながら手印を切った。すでに組み立てられていた術式が発動する。すると妖を白い網のような何かが包む。妖は必死に暴れたが、その網からは出られない。

 周りの気温が急激に元へと戻ると同時に、妖の力が消えていく。

「うふふ。捕獲完了。早く雄二くんを治療しなきゃ」

 網の中で暴れる妖を、そのままにして涼海さんは僕の肩に手を当てた。

「ちょっと痛いよ」

 何か温かいものが僕の肩に流れてきた。涼海さんのエナジーのようだ。しかし、温かみを感じたのは最初の一瞬だけだった。続いて感じたのは千本の針が突き刺さったような地獄の痛みだった。

「いだいいいいだ、いだだ…うぐぅ」

 もう自分が何を口にしているのか分からない。言葉にならない言葉が喉から出る。

「ここで毒素出さないと、一生手が動かなくなるよ。我慢我慢」

 そう言うと、涼海さんは僕の肩に気を注入し続けた。

 あまりの痛みにこれ以上意識を保っていられないと思った時、後ろから誰かが走ってくる音がした。きっと先生を呼びに行った鳥丸さんだろう。足音が複数あるので先生も一緒だ。

 この惨状を見て彼らはどう思うのだろうか?

 最後の力を振り絞って尻尾をしまうと、僕の意識は完全に落ちた。

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