第8話 覚悟

 今日は日曜で、両親は出掛けていない。このまたとない機会を利用しない手はない。

 六畳間の三分の一を占めるベッドの上で、雄二はスマホの発信履歴を出し、一番上にあった電話番号をプッシュした。相手が中々出ないので、コール音が十回、二十回と続く。

 あの丹沢の奥地に電話が通じるのが信じられないくらいだが、こうして連絡が取れるのは非常にありがたい。丹沢湖からさらに山を登った先にある丹禅寺は、思ったよりも奥行きがある寺で、電話に出るまでかなり待たされる。ネットは圏外なので連絡手段は電話しかない。

 電話のコール音を聞きながら、雄二は部屋を眺めた。昨日掃除をしたばかりなので床にはフカフカのクッションしかなく、本も教科書もプリントも全て本棚に収まっている。床に置かれたクッションにはヒメウツギが身体を丸めて猫のように乗っており、ベッド横の勉強机では涼海さんがノートPCをじっと観ている。涼海さんは、涼海さん専用の椅子に座ってアメリカのドラマを真剣に観ている。ただ、最も好きなのは網走番外地シリーズとのことだ。

「はい。丹前寺です」

 十分近くかかったが、源信和尚が電話を取った。

「あ、おはようございます。志田雄二です」

「ふむ、おはよう。何かありま申したか?」

「はい。実は源信さんにお話ししたい事があります」

 僕は、恐る恐るネズミ騒動の顛末を源信和尚に話した。

「なるほど。では、ヒメウツギと涼海凪が其方を心配してやった事だと…」

 源信は苦笑しながら、僕の説明を最後まで聞いてくれた。

「———その話と蛙の妖の話を考えると、やはり九尾の狐は力を取り戻しつつあると言えますな。まずはヒメウツギに本格的な力の使い方を習ってほしい。妖の力は妖に習うのがいいだろう。こちらも人材を揃えたいのだが、現代の日本に本格的な術式が使える者がいるのかも分からない状況じゃ」

「涼海さんみたいな陰陽術は誰も使えないのですか?」

「結論から言えば、もしかしたらいるかもしれないという所じゃな。そこが幽霊のような術式は、今の人間にはまず使えない。我々も手をこまねいているだけではいけないので、陰陽師の底上げもやらなければならないようじゃな」

「そうですか…」

 九尾の狐が復活した時、自分以外の人間はほとんど戦えないのではないかと心配になる。

「まあ、その話はいずれまた話すとして、其方の父親には、妖の悪戯で、そこまで心配する必要はないと説明しておく」

「ありがとうございます」

「では、またの」

 そう言うと、源信は電話を切ってしまった。源信はせっかちだと思う。

 ただ、源信と話せたのは良かった。漠然とこの状況を放置してきた僕にも、ようやく日本が危機的状況に陥っている危機感が芽生えたからだ。もう腹を括るしかない。ヒメウツギにも涼海さんにもこの家にいてもらい、尻尾を強化しながら来るべき日に備えるのだ。

 僕はスマホを枕の横に置き、ベッドに寝そべって天井を見た。

 天井板には何十年も前の、見たこともないアニメのポスターが貼ってある。親の部屋で埃をかぶっていたのをなんとなく貼ってみたのだ。題名は『究極超人あーる』というらしい。絵柄を見ても超人らしさは全くない。いったい彼のどのあたりが超人なのだろうか?そして、自分の考えるような超人になれるのだろうか?

 雄二は先の見えない現実に何かモヤモヤしてきた。

 ふー。と息を吐き、目を瞑ってもう少し考えを整理することにする。

 結局、ヒメウツギと涼海さんの力を借りなければとても乗り切れないのは自明だ。他にも助けてくれる人間もいるかもしれないが、今はこのメンバーで頑張るしかない。一般の人間はこんな話を信じないし、お母さんは頑なに妖の話をなかった事にしている。友達にこのことを話しても、中二病を発症したと思われるだけだ。

 まずは、何はなくとも尻尾の力を引き出さなければならない。

 この現実からはもう逃げられない。実生活に支障が出ないようにしながら尻尾を鍛えるのだ。どうすればいいのかは少しずつ考えている。実は、蛙が出た日から、尻尾の使い方の思いつきを尻尾専用ノートに書き出しているのだ。

 それを見ようと勉強机に行く。

 ノートPCと涼海さん専用椅子を机の端に移動させ、引き出しからノートを取り出す。ルーティンとして続ける為に。奮発して買った東京都北区から取り寄せた水平に開くノートだ。書き溜めたものを見るも、特訓方法から実際の尻尾の使い方まで考えがまとまらない。一気にやろうとし過ぎているのかもしれない。僕は鉛筆を鼻と唇の間に固定して上を向いた。しばらく目を瞑ってからパッと開けると、真上に涼海さんの顔がヌッと出てきた。

「うわっ!!」

 驚いた拍子に椅子から転落しそうになったが、机の下に膝を入れ込んでなんとか転落は免れた。危うく床に後頭部を打ち付ける所だった…鼻に挟んでいた鉛筆は床に落ちたが、絨毯の上だったので芯は折れていない。僕は鉛筆を拾うと、わざと鉛筆をパチっと音を鳴らして机に乗せ、最大限怒った顔を涼海さんに向けた。

「うふふ。びっくりした?ねえねえ、これ何を書いているの?」

 僕の怒った顔は、涼海さんには全く効いていない。まず顔面に迫力がないせいかもしれない。奥ではヒメウツギが笑いを噛み殺している。今日から風呂の鏡を使って怖い顔の研究も取り入れよう。

「心臓に悪いからそういうことはやらないで」

「雄二くんは、心臓が悪いの?」

「いや、そういうわけでは…」

 涼海さんのズレをこの場で修正するのは不可能だ。僕はノートについて話すことにした。

「で、このノートだよね?このノートには僕が気づいたことやこれからやる事を書くことにしたんだ」

「ふーん。私さ、最近の字が苦手なのよ。えーと、ここは…え!?私が可愛いって書いてある!!」

「え?」

 まさかとは思うが、本当に寝ぼけて書いてしまったのかと思い、慌ててノートを見る。しかし、見たところどこにもそんな文章はない。尻尾が顕現した初期の頃はまだ力が弱かったのか、涼海さんの顔もはっきりとは見えなかったが、最近ははっきりと見えるようになった。はっきりと見えるようになると涼海さんは相当に可愛いので、それはそれで困ってしまう。

「そんなこと書いてません。涼海さんが、陰陽術の使い手で妖相手に戦えると書いてあります」

「うー!!絶対に書いてると思ったのに…」

「そんなこと書きません。そうだ。因みに陰陽術って僕にも使えるの?」

 この話題に何か危険なものを感じたので、僕は強引に話題を変えた。

「もちろんだよ。だって陰陽術は人間の術式だもん。雄二くんは九尾の狐の力も使えるから、陰陽術と妖の術式ですっごいことができるんじゃないかな」

「すごいことって?」

「うーん。うまく言えないけど、そうねえ…雄二くんは『獣狩り』って聞いたことがある?」

 涼海さんは、ライオンだか猫だか分からないが、爪を立てる仕草をした。その後ろでは違う違うと、ヒメウツギが本物の爪立てを見せてくれている。やはり本物は一味違う。

「『獣狩り』?うーん。聞いたことないなあ」

「そうかあ。昔はみんな知っていたけど、今はそうでもないのかな。でも、あの源信さんは源翁さんの子孫なんでしょ?だったら『獣狩り』について知っているかもよ。私たち陰陽師に伝わる話では、その『獣狩り』が当時の九尾の狐を倒したって話があるのよ。なんでも『獣狩り』は一騎当千で、陰陽術とも違うとんでもない術を使えたって言うわ」

「ふーん。本当ならそれは凄いね。今度源信さんに聞いてみるよ」

「それがいいよ。『獣狩り』みたいなどれにも当てはまらない、すっごい術が使えるようになるかもね」

「そうだといいけど」

 余程気に入ったのか、涼海さんの興味は獣のポーズに移り、くるっと回転して決めのポーズを取る練習を始めた。しかし、後ろからヒメウツギにダメ出しをくらってしまったようだ。ヒメウツギの指導の元、獣のポーズにアレンジを加えている。

 意外と可愛らしいポーズから何とか目を逸らし、雄二は今の話を頭の中で転がした。

 『獣狩り』か。初めて聞いたけどどんなものなのだろう?そういう集団がいたのか、そういう人物がいたのかは分からないけど、九尾の狐を倒したことがあるというのはかなり気になる。

 雄二は早速ノートに『獣狩り』と記述した。この項は独立して作る。今後重要になる可能性を感じたのだ。一騎当千で陰陽術とも違う術を使うとも記述し、源信案件とメモをつける。

 ノートも終わったので、涼海さんとヒメウツギがポーズを練習している横で、僕も尻尾を出して力を制御する訓練を始める。すると、涼海さんの指導を放棄したヒメウツギが隣にやってきて的確な指導をしてくれる。感覚的な指導が多いのは、妖の術を論理的に説明するのが難しいからだろう。最近は小さなものなら自分の意思で動かすことができるようになった。所謂超能力を使いこなしているような感じだ。これを使えばテレビで大儲けできそうだが、もちろんそんな事はできない。

 尻尾の特訓が終わると、学校の宿題と予習だ。高校受験にも落ちるわけにはいかないので、勉強もしなくてはいけない。毎日剣道と学習と尻尾の強化で時間がいくつあっても足りない。友達と遊ぶ時間も取らなくてはならないので、時間を作る能力も身につけなくてはならない。

 夜になると、僕は風呂場で尻尾を出し、力の制御と放出を訓練を開始する。

 まだまだ上手くいかないが、風呂の水を持ち上げてみる。浴槽を満たしてるお湯が、少しずつ空中へと持ち上がっていく。更に、浮かんだ水をイメージした通りの形へと変えていく。精神を集中し、頭の中で形を想像する。水は生き物のように形を変えていき、ついに風呂の水は球形になった。ヨーダと特訓しているルーク・スカイウォーカーを思わずにはいられない。

「おお!!凄いね!!」

 いきなり涼海さんの声に驚いて、浮かした風呂のお湯が浴槽に一気に落下する。

「ちょ…涼海さん!!何でここにいるの?」

「何でって、夫婦なら当然一緒に入るでしょ?」

「いつ、夫婦になったんですか!!」

「だって、私は私を見つけてくれる男性を探してあの寺にいたのよ。もう私が見えるんだし、問題ないでしょ」

「いや、その…問題ありまくりですよ!!僕はまだ中学生ですよ」

「大丈夫よ。すぐに大きくなるわ。うふふ楽しみ」

 この話をしても平行線を辿るので、「兎に角、もっと大きくなるまでは風呂には来ないでください!!」と言っておく。

 涼海さんは、今でも三年後でも同じなのにとブツブツ言いながら風呂場を出て行った。

 なんだか精神的に疲弊し、今日の風呂の訓練はここまでにした。


 明日からは、また学校だ。授業、部活、訓練。これを効率よくこなし、親に気づかれることなく自分を高めていかなければならない。そんな事を考えながらベッドに潜り込み、僕は眠りについた。隣にはヒメウツギと涼海さんが寝ている。何だかこれはこれで幸せな感じがする。

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