第6話 危機再び

「雄二くん。起きて」


 誰かに呼ばれた気がする。声は女性の声だ。薄目を開けて目覚まし時計を見たが、まだ夜中の三時だ。

 ここ数日間、涼海凪とヒメウツギが僕の部屋に来て、ここから出て行けとか私はこんな事ができるなどと言い合いながら夜遅くまで対決している。最後に僕が仲裁して終わるのだが、勉強も捗らないし、もう面倒なので二人ともここにいたらいいと思うようになってきた。そんな訳で精神的に疲弊している僕はこんな時間に起こされたくない。

「うーん。あとちょっと…寝かせ…」

「駄目。もうそこまで来ているから。早く起きて」

 声に少し怒気が混じった。つい先日、帰り道で蛙の霊に襲われた反省もあり、僕は何とか目をこじ開けた。目の前に涼海さんの顔があった。ちょっと近過ぎるよと言おうとしたところで、「まずいわね。この家囲まれたかも」と涼海凪は鋭い目を窓の外に向けた。何に囲まれたのかは分からないが、僕は反射的にベッドから這い出た。一気に目が覚める。

「何が来ているの?」

 雄二は涼海凪に状況を聞きながら、パジャマを脱いで外着に着替える。

「分からない。でも、強烈な負の気を感じるの。もしかしてヒメウツギの仲間かしら…」

「私がいると分かっていて失礼千万な事を言うな。雄二さま。此奴の仲間かもしれませんのでお気をつけて」

 いつの間にかヒメウツギも部屋にいた。

 この二人が揃ってこの時間に来たということは、本当にやばい何かが近くにいるということなのだろう。

「この家って結界が張ってあるんじゃないの?」

「はい。大きな魔を滅せるほどではありませんが、小さな怪異であれば入ることは叶いません」

 ヒメウツギが確認するように窓の外を見たので、僕も外を見てみる。これが結界なのかは分からないが、確かに透明の薄い膜が見える。

「それでも入って来れるのって、かなりやばい奴なの?」

 一瞬の沈黙の後、ヒメウツギは「はい。そうなります」と静かに言った。

「全然気を隠してないから、あれ相当自分に自信を持っているよ」

 普段は笑みを絶やさない涼海凪が顔を凍り付かせて言う。

「ふん。そんな強烈な妖に人間の霊如きが突っ込んで行っても消されるだけだ。どこかに隠れていろ」

「やだよー。私だって雄二くんを守らないといけないからね。それに何回も言うけど勝手に弱いと決めないで」

 ヒメウツギが涼海凪に反論する間も無く、地震のように家が揺れた。その時、僕でもとんでもない気を感じた。なんて禍々しい黒い気なのだろう。

「来たぞ」

 ヒメウツギは毛を逆立てていつでも飛びかかれる態勢を取り、犬歯を剥き出しにして窓の外を睨みつけると、熱いマグマのような気を立ち上らせた。

 僕も守られているだけではいけないと思い、黒い尻尾を出した。大きな黒い尻尾が僕の頭の上で優雅に揺れる。未だに正式なやり方は分からないが、僕は頭の中で気を出してくれと念じた。すると身体から気が湧き上がる。雄二はその力を尻尾に集める。

「うふふ。すっごく暖かい気だね」

 涼海凪はそんな事を言いながら尻尾に抱きついた。すると驚いたことに僕の気が涼海凪へと流れていく。僕の気を取り入れた涼海凪は「うふふ。少し戻ったわ」と言い、ヒメウツギの横に立った。

「ふん、悪霊め。足引っ張るなよ」

「これくらい力が戻れば大丈夫よ。それにしても、なんで善霊っていう言葉がないのかしら?」

 涼海が緊張感のない話しをしていると、突如、衝撃波で窓がビリビリと揺れ、窓がが軋んだ瞬間、ガラス板にギザギザの縦線の亀裂が入った。「うわ!窓が…」と言っているうちに窓ガラスは砕け散った。

「全く無粋な事をする」

 ヒメウツギがそう言うと同時に、窓の前に転送されたホログラムのように何かが浮かび上がる。はっきりしない映像のような何かが、徐々に実態を伴ってくる。

「おやおや、まだ何もできない坊やにもうお仲間がいるとは思いませんでしたよぅ。でも、お守りが白狐と人間の霊では貧弱すぎて相手にもなりませんねえ」

 お姉言葉で話すそいつは、クツクツと笑いながら鋭い真っ赤な目でこちらを見やった。

 全体的に黒く、闇と同化していたので分かりにくかったが、そいつはネズミだった。驚いた事に、先日の蛙と同じように二本足で立っていて、図体はでかく、僕よりも大きいくらいだ。そのせいで部屋の半分が一匹のネズミで埋まってしまったように感じる。

「まったく。蛙の次はしゃべるネズミですか。あれから数日しか経っていないのに忙しい事で。おい、そこなネズミ。私たちに魂ごと消されたくなかったらさっさとここを立ち去るのだ」

 ヒメウツギが激アツの気を飛ばして威嚇する。

「ふふ。なかなかの気を持っていますね。それに、どことなく我が主人に似ているわねえ。でもねぇ、私たちには到底敵わなくてよ。うふふ。みんな入ってきて」

 ネズミが下に呼びかけると、窓から二匹のネズミが入ってきた。どうやら下からジャンプしたようだ。

 お姉言葉のネズミは不敵な笑みを浮かべた。その両隣には、お姉言葉のネズミの半分くらいの大きさのネズミが並んだ。もうすでに臨戦体制で、ネズミたちは両手の鋭い爪をこちらに向ける。どことなく人間の手に似ていて、あれなら色々な道具を扱えそうだと思う。

「もう一度だけ言う。それ以上こちらに近づくと、お前たちを滅する」

 ヒメウツギが最後通告したが、ネズミはそれを一笑に付した。

「うふふ。やれるものならやってみなさいよぅ」

 すると、驚いた事に今まで一言も喋らなかった涼海凪が「じゃあ、さようなら」と言って右手を前に出して人差し指と中指をくっ付けてクイッと上へ持ち上げた。

「うわ!!」

 ネズミの下に何か丸い魔法陣のようなものが浮かび上がり、字が光った。その眩い光が部屋を包むと、そこにはもう誰もいなかった。

「あれ?ネズミは?」

「何度言っても退かないからここから出ていってもらったの。今頃、黄泉平坂に片足突っ込んでいるんじゃないの」

 涼海凪は薄く笑いながらそんな事を言う。

「え?死んじゃったの」

 驚きを隠せない僕に「いいえ。あの文字列から察するにどこか違う地域————恐らくは今で言う島根県の出雲に送られたのだと思います」と説明し、ヒメウツギは涼海凪をじろっと睨んだ。

「あら、さすがねえ。場所まで分かるなんて」

「お前。あの技は…あと、敢えて言わせてもらうが、その甘さは後に仇となるかもしれないぞ」

「何の事?でも、今の言い方は、私がここにいてもいいってことね?」

「い、いや、そんな事は言っていない」

 ヒメウツギは慌ててそう言ったが、涼海凪は、「『後に』って言ったの聞いたもん。雄二くんも聞いたよね?」

「え?僕?確かに言っていたと思うけど…そ、それはそうと、さっきの光の輪っかは何だったの?」まずは今起こった事を理解するために話の軌道を修正する。

 涼海凪は、自慢げに大きな胸を突き出して「あれは、日本古来の陰陽術よ。ヒメちゃんの中華式とはちょっと違うのよ」と言う。

 僕にはその術式の違いが全く分からないので、「そうですか」としか言えなかったが、どうやらこの涼海凪という女の子は、単なる霊ではなようだ。

「ちょっと待て。今、ヒメちゃんとか言わなかったか?このヒメウツギさまに『ちゃん』だと!!」

 いつになく激しめに食ってかかるヒメウツギを、「可愛いからいいじゃない」と言って涼海凪もかわす。もう呼び方を変えるつもりはないように見える。

「だ・め・だ!!部下に聞かれたら威厳がなくなる!!」

「あら、今の世の中はそんなものいらないのよ。ジェンダーなんとかとか言って、女の子が偉そうにして男を蔑むのが流行りなのよ」

 それは違うと言いたいが、男の権威は下がり続けているのは事実だし、世の中は女性優遇の嵐で、あながち間違ってはいないかと、僕は涼海凪の説明をそのまま流した。

「勝手に人間の価値観を押し付けられるのは我慢ならん。やはり、ここでお前を成敗してくれよう」

 ヒメウツギは肌が痺れるほどの覇気を出して、涼海凪を睨みつけた。

 流石にここは僕が入らなければまずい。僕は両手をTの字にして涼海凪の前に入った。

「ちょっと!!ダメだよ。ヒメウツギ。仲間同士で喧嘩はやめよう。さっきの奴みたいなのがまた来るかもしれないし、その時は涼海さんだってこうして手伝ってくれるよ」

「雄二様。何度も言いますが、霊は何かのきっかけで悪霊と化す恐れがあります。その霊の力が強ければ強いほどその悪霊を祓うのが難しくなり、その霊に情があればさらに祓いにくくなります。この涼海という女性の霊は、九尾の狐様の力を吸い取り、あれだけの術式を軽々と発動させました。この力は危険です。しかも、この霊は、権威と力を貶め、我らが同胞を愚弄しました。その罪、万死に値します」

 ヒメウツギは本気で涼海凪を消そうとしている。こうなれば仕方がない。僕もやれる事をやるしかない。

「ヒメウツギ。ちょっとだけ待って!!

 雄二は涼海凪方に向き直って言う。

「うーん。涼海さん。ヒメウツギにはヒメウツギの価値観があるんだから、それは尊重しないとダメだよ。戦争なんて、その土地土地の人々の価値観を無視して力で押さえつけようとするから起こるんだし、価値観の押し付けが酷くなるとチベットやウイグル、一部モンゴルみたいに民族浄化なんてことも起こる。だから、価値観の押し付けは絶対にダメだよ」

「まあ、雄二くんがそう言うなら分かったわよ。でもヒメちゃんって、可愛いのに…」

 僕が余計な事を言うなよと思うと同時にヒメウツギが怒鳴った。

「私に可愛さなどいらぬ!!」

「まあ、ヒメウツギは可愛いけど、その呼び方はやめてあげてよ」

「え、私が、可愛い?…いや、なんだ、その」

 何故かしどろもどろになっているヒメウツギに「分かったわよ。じゃあ、ヒメちゃんは封印する。ヒメさまならいいでしょ」涼海凪は、口を都張らせて言う。

「お前なあ、それは…うーむ」

 どうやらヒメウツギには、『ヒメさま』なら刺さるようだ。それなら話は早い。

「では涼海さんは、これからヒメウツギの事をヒメさまと呼ぶのでいいよね?」

「いいわよ」

 チラッと見ると、ヒメウツギは少し落ち着いたようだ。特に反論もしてこないので、『ヒメさま』なら良いという事だろう。ヒメウツギが涼海凪への攻撃を自重したので、僕はヒメウツギに質問をした。

「ちなみに、どうなったら霊は悪霊になるの?」

 ヒメウツギは急速に覇気を萎ませて座ると、静かに話しだした。涼海凪も興味深そうに耳を傾ける。

「霊が悪霊になるのは、当該の霊がこの世に絶望した時が最も多いのですが、術式で無理矢理悪霊にされることもありますし、黒い魂に引き摺り込まれて悪霊と化すこともあります。霊というのは、環境や術者などの要因に変質させられることが多く、しかも変容すると実力以上の力を発揮します。力を持つ妖は、その霊の特性を利用し、悪霊を作り上げて敵に放つこともあります。ですから、あまり強力な霊が近くにいると諸刃の剣になるのです」

「大丈夫よ。私は雄二くんがいる限り悪霊にならないもの」

「だから、何の根拠があってそのようなことが言えるのだ?」

「あのまま誰にも会えずに終わっていたら悪霊になったかもだけど、今はこうして話せる男の子がいて、しかも九尾の狐が力を貸してくれているなんて最高じゃない。この世を恨むなんて絶対にないわよ」

「ふむ」

 しかし、それはそれで危険だとヒメウツギは思う。何故なら、その元気の源である雄二を失えば、その絶望は計り知れないものになるからだ。まだその心配はないが、涼海凪はしっかりと見ておかなければならないと、ヒメウツギは肝に銘じた。

 ヒメウツギがそんな事を考えていると、涼海凪が突然「ようし。またあんなのが来るといけないから、今日から雄二くんと一緒に寝るね」と言い出した。

「い、いやそれは、ちょっと…」

「全くだ。それなら私が雄二さまの部屋にいる。お前は危ないから外だ」

「何がどう危ないのよ?」

「雄二さまに何をするか分からないだろ」

「そんな見境なく何でもやらないわよ。まだ触れられないし」

 触れれば何かやるのかと、雄二は頭が痛くなった。

「今日はもう何もないと思うから、二人とも部屋の外にいてね。これからガラス片付けなきゃ」

 僕が割れた窓ガラスを指さすと、二人とも仕方なく部屋を出ていった。ついでに玄関に塵取りと箒を取りに行き、割れたガラスを厚手の紙袋へと入れた。ガチャガチャと甲高い音を立てて大量のガラス編が紙袋に収まった。細かいガラスは明日掃除機で吸い取ろう。

 紙袋を部屋の隅に置き、雄二はベッドに横たわった。ガラスのない窓からは涼しい風が入ってくる。その風を感じながら、これから毎日あんなのが来たらどうしようと、僕は急に不安になった。この窓の事を親に言えば、またいらない心配をされるのは間違いない。そんな事を考えていると、学校も勉強も部活もここでの生活もみな心配になってくる。

 そんな僕を見かねてか、尻尾が僕の顔を撫でてくる。まさかこの尻尾も意識があるのだろうか?まあ、考えてみれば九尾の狐の尻尾なので、意識があっても不思議ではない。

 この尻尾やヒメウツギ、涼海さんに守られているのだから大丈夫と、僕は自分を安心させた。


 雄二はベッドの上で尻尾に抱きつくと、目を瞑った。そして、そのまま眠りに落ちた。

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