第4話 居場所

 風呂に佇む女の子はニコッと僕に微笑んだ。

 素っ裸でどうする事もできない僕は、とりあえず尻尾で前を隠して状況の把握に努めた。尻尾があって良かったと訳のわからない安堵が僕を包んだ。

 見た感じこの女の子は僕よりも少し年上のようだ。着ている服もファッショナブルで整った顔立ちをしている。長い髪を後ろで結び、大きな目をクリクリとさせている。

「ち、ちょっと、君は誰?」

「誰って、いつも会っているでしょう。でも、やっと見えるようになったのね」

「いつも?」

 まさか…あの声だけの霊?いや、それしか可能性はない。まさかこんなふうに毎日色々と見られていたのでは?

 女の子はさらに笑みを大きくして言う。

「あの古い寺から付いてきた甲斐があったわ。ようやく私を認識してくれる男に巡り会えた。うう…長かった」

「あの…僕は今からお風呂に入るので、まずは一回ここを出てくれませんか?話はその後で…」

「ん?でも毎日一緒に入っていたんだから、今更出ていかなくてもいかなくてもいいでしょ」

「ま、毎日!!」

 ヤバい。頭が痛くなってきた。雄二は風呂場で何か余計なことをしていなかったか思い出す。恐らくは大丈夫だろう。

「で、でも見えるようになったら、そうも言っていられないよ。それに水もかかるし」

「私には物理的な水は一切かからないから、何の問題もないよ」

「いや、その、見られているって言うのが問題なんだよ」

「じゃあ、一緒に入れば問題ないってことか。服ならいつでも脱げるよ」

「そ、それは絶対ダメ!!」

「何で?私は君のような男を待っていたんだ。強く、私を守ってくれ、私を大事にしてくれる。逆に、私も色々役に立つからお互い悪いことはないでしょう」

「裸を見られると僕の魂を削られるの!!」

「な、何!!それ本当なの?知らなかった…男は霊体に裸を見られると魂が削られるのか…では、私は今までどのくらい…」

 ん?何だか都合のいい曲解してくれているような気が…

「そ、そうだよ。だからあんまり入ってこられるとまずいんだよ」

「ふーん。じゃあ、少しだけ頻度を減らすことにするわ。今日は出ていくね。じゃね」

 そう言うと女の子は、何故か尻尾に抱きついて匂いを嗅ぐと、壁をすり抜けて風呂場を出て行った。

 今日はじゃなくて、今後一切入らないでほしい。魂は削られていないが、何かもっと大事なものを削られた気がする。

 どっと疲れが襲ってきたので、雄二は脱衣所に常設してある温泉の素を風呂に入れた。僕の疲労を少しでも軽減してほしいと思いながらお湯をかき回す。すぐに湯船がオレンジ色になった。すぐに入りたいところを我慢して、洗い場で身体中ゴシゴシと石鹸を泡立てた。お湯で身体の石鹸を流すと、色々なものが落ちたように感じた。

 それにしても、白い狐といい幽霊の女の子といい、襲ってきた蛙といい、一体僕の周辺はどうなってしまったのかと戸惑うばかりだ。分からないことが多すぎて頭がショートしてくる。その混乱する頭を冷やそうと、雄二は水のシャワーを頭から被った。冷たい水で頭が冷え、思考がはっきりとしてくる。

 そのままシャンプーを髪に付けると、水のシャワーで流した。

 雄二は流れ作業のように尻尾に石鹸をつけ、ブラッシングをしながら思う。好意的に考えれば、ヒメウツギも女の子も今のところ僕に味方してくれている。この尻尾の持ち主である九尾の狐もどういう訳か味方してくれている。問題は本当に人類にとってそれがプラスになり、自分自身が間違った方向にいかないかだ。善と悪はそう簡単に割り切れるものではない。戦いというものはそれぞれに正義があって勧善懲悪というものは幻想に過ぎない。そんな事は中学生の僕にだってわかる。昔やったゲームの、真・女神転生Ⅱでもそうだった。あれは結局は神様が一番の悪者だったという話だった。

 雄二は尻尾の石鹸を今度は暖かくしたシャワーで流した。石鹸の匂いと尻尾の匂いが心地よい。僕は深く考えるのは後回しにすることにして、オレンジ色の湯船に浸かった。

 ああ、気持ちいい。

 余りの気持ちよさに寝落ちしそうになっていると、風呂場の外から誰かの叫ぶ声がした。

 まずい。ヒメウツギが家族に見られたのかもしれない。僕は慌ててタオルで身体を拭くと風呂場を出て部屋着を着て、廊下へと出た。廊下では、ヒメウツギと女の子が睨み合っていた。

「おい。お前。私に今すぐ除霊されたいようだな」ヒメウツギが犬歯を剥き出しにして威嚇した。

「ふん。私を除霊?逆にあなたを祓ってあげる」

 これは、まずい。最悪のパターンの喧嘩だ。

「二人ともストップ!!駄目だよ味方同士で喧嘩するのは」

「味方?雄二くんは黙っていて。これはどっちが雄二くんを自分のものにするかの戦いなの」

 いや、僕のことをいきなり雄二くんとか呼ばないでほしいし、どちらのものでもない。

「そもそもあなたは誰なの?」雄二が怒って言うと、女の子は明後日の方向を見ながら「私?そうねえ、名前は涼海凪。海を静める一族の女よ。私もどうしてもやらなければならないことがあるから、こんなところで消えるわけにはいかないのよ」そう言うと、両手を組み合わせて何かの手印を作る。

 ヒメウツギも尻尾を立てて、低い声で唸ると何か大きな力を発生させた。

 まずいまずい。この二人が本気で戦ったら、マジで家が吹っ飛ぶ。仕方なく、僕は両手を広げ、ヒメウツギと涼海凪の間に割って入った。

「駄目だって!!これ以上やったら本当に二人ともこの家から追い出すよ!!」

「じゃ、手打ちにすれば私もこの白狐もここにいてもいい?」

「な…」

 まさか嵌められたのか?これはこの二人の演技で実際はすでに手打ちしていたとか。僕の頭にそんな疑念が持ち上がった。しかし、それは間違いだったとすぐに判明した。

「バカを言うな!!このヒメウツギ、家の中に巨大な悪霊になるかもしれない霊をのさばらせはしない!!今すぐにお前が出ていけ!!」

 ヒメウツギが烈火の如く怒った。普段の可愛い顔が台無しだ。

「もう。せっかく面倒なことを防ごうとしたのに…この頑固狐!!」

「私は使命に忠実なだけで頑固ではない!!」

 僕を挟んでまた喧嘩が始まった。すると向こうから夕飯の匂いがしてきた。

「雄二〜。ご飯よー」

 母がそう言うので、雄二はこれ幸いと二人に言った。

「あのね、うちの母親が納得しなければ結局二人とも家にいられなくなるよ?だったらさあ、とりあえず僕が晩御飯を食べてから僕の部屋でどうするのかを話し合おうよ。それまで喧嘩なし。いいね?」

「仕方ないわね」と涼海凪が折れたので、ヒメウツギも「では、そのようにする」と言ってこの場から消えた。

「じゃあ、涼海さんもまたあとでね」

「私の事は凪と呼んでください。もう、私はもうあなたなしでは生きられないので」

 なんだかメンヘラみたいなことを言う。

 お風呂ですっきりとした気分は再び落ち込んだが、雄二は気を取り直してダイニングへと向かった。


 夕食を済ませて自室に戻ると、勝手に座布団を敷いて、ヒメウツギと涼海凪がその座布団に腰をかけていた。僕の座る場所がなかったので、仕方なくベッドの淵に座る。

「では、始めましょう」

 ヒメウツギが静かに言った。

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