第3話 日常

 源信に尻尾を隠してもらった雄二は、その日のうちに両親と共に笠間へと帰った。


 身体と精神に相当の負担がかかっていたようで、雄二は、車が家に着くまで一度も起きることなく寝ていた。

 源信が言うには、黒い九尾の狐との話し合いで、尻尾は日常生活を送る際は腰に収納するように隠す事となり、何か有事の際は霊力の根源として外に出すという事になったそうだ。尻尾はもういらないという僕の意見が一つも反映されていないのはどうかと思うが、学校に行けるようになった事が何よりも嬉しかったので、取り敢えずはこれで良いと思うことにした。

「あれ?お兄ちゃん治ったの?」

 久しぶりに見た妹は、両親が予め作っておいた夕食をレンジで温めながら僕を出迎えてくれた。

「うん。もう大丈夫。明日から学校に行くよ」

「ふーん。最近のインフルエンザはしつこいのねえ。わっ!!熱っ!!」

 温めた皿がかなり熱かったようで、妹は指で耳を摘んだ。昭和の人間みたいな事をしてないで、さっさと水で冷やせばいいのにと思いながら、僕も食卓で食事をとることにした。

 今日はカレーだった。

 疲れた時はこういうご飯が一番嬉しい。僕はカレーを飲み込むようにして平らげた。あまりの速さに妹が目を丸くして僕を見ている。両親が食卓についた時には、僕は二杯目を食べ始めていた。


 翌日の月曜日は体調も良く、親もいいと言ってくれたので久々に学校へと足を運んだ。


「おう!!長かったな」

 教室に入るとすぐに同じ剣道部の友永健斗が話しかけてきた。

「いやあ、もう体調最悪だったよ。ノートとか持ってきてくれてありがとうな」

「まったくさあ、大会直前でお前がいなくなったおかげで、団体戦は散々だったよ」

「すまん」

「でも、頑張って副将戦までは行ったんだぜ。お前が副将にいればもしかしたらって感じだったな」

「夏は絶対にリベンジするから」

「頼むぜ」

 そんな会話をしていると、担任が教室に入ってきた。雄二は両親が書いた手紙を担任に渡して席についた。担任が出席を確認して連絡事項を淡々と話す。最後に、目線を僕に向けて、体調には気をつけるようにと念を押してHRは終了した。

 ようやく日常が戻ってきたと感じる。

 僕にはそれがものすごく嬉しかった。両親との話し合いで、二週間近く休んでいた理由は、盲腸とインフルエンザに同時にかかったことにした。担任には診断書も出さず手紙だけに留めたが、学校はそれで了承したのか深くは聞いてこなかった。助かったのは、病気ということで追試も受けさせてくれたことだ。この救済により、地獄のような成績にならずに済んだ。


 こうして普段の生活を取り戻したが、どうしても源信の話が僕の頭の片隅に残っている。本当に九尾の狐は復活するのだろうか?そして、黒い尻尾を持っていると何ができるのだろうか?などなど、ふとした時に思い出しては考えている。だからという訳ではないが、最低でも尻尾の扱いだけはできるようにしようと、尻尾の出し入れだけは練習している。その成果が出てか、今では尻尾を出そうと思うだけで、ぴょんと出てくるようになった。そして、これは毎日のことだが、ブラシを使って立派な尻尾の手入れをしている。何となくそうしなければいけない感じがするのでやっているのだが、もしかすると九尾の狐が僕に指令を出しているのかもしれない。

 ある日、雄二はいつものように黒い尻尾の手入れをしていた。手入れは風呂の時間にしているので、誰に見られる心配もない。

 風呂で洗った後、椿のオイルを塗った櫛でブラッシングをする。付けすぎるとベタつくが最近はオイルの適量がわかってきた。こうすることで尻尾に艶が出てさらに神々しく見える。そして、どういう効果なのかは分からないが、あの甘い匂いも更に甘美な匂いになる。この匂いを嗅いだだけで、何か別世界に行ったような気分になるのだ。なんだかいけない成分が含まれている気もしなくはないが、身体に害はなさそうなので、僕は毎日寝床でこの匂いを楽しんでいる。

 手入れも終わり、尻尾をしまって服を着ていると、どこかで聞いた声がした。

 最初は母か妹がドアの向こうで呼んでいるのかと思ったが、どうやらそうではない。何しろ言語になっていないのだ。クククとかキキキとしか聞こえない。ここで僕はあの寺の事を思い出した。あの時、同じ声を耳にしなかったか?自分にそう問うと、それはイエスだ。

 これは絶対に聞き覚えのある声だと、僕は確信した。

 これはまずい。相手は何歳か分からないが確実に女性だ。いつからここにいたのか分からない以上、何を見られていたか分からない。風呂に入った後だというのに一気に汗が吹き出してきたが、いや待てよと、僕は冷静になって考えてみた。何故突然この声が聞こえるようになったのか?それは彼女が今し方ここにやってきたからではないか。僕はそう思い込むことにした。

 雄二は悶絶するように風呂場を出て、自室に駆け込んだ。

「ちょっと。今いるの?」

 僕はベッドに座って何もない空間に呼びかけた。すると、驚いたことに返信がある。

「キキキ」

 あの声だ。しかも何故かやたらと嬉しそうに笑っている。相手の感情がわかるのが不思議だが、何かの波長が心に流れてくるのだ。

「い、いつからいたの?」

「ククク」

 面白がっている。これはまずいかもしれない。

「も、もしかして初めからいたとか?」

「キキキキ」

 大笑いしているように聞こえる。僕は人生が詰んだような感覚を覚えた。今更◯○本の隠し場所を変えても意味がないし、自室で何をしていたのかも見られているとなると、もう、気絶したくなる。まあ、それを言えば黒い狐にも見られていたと考えるのが妥当か。

「ククク」

 何か慰めるような感じを受けるが、もう焦ってどうして良いのか分からない。

「ご飯よー!!」

 ドアの向こうから母親の声がした。雄二は廃人のようにリビングへと向かうと、後ろから誰かに肩を叩かれたように感じた。まあ、気を落とすなよということかもしれない。


 何を食べたかもよく覚えていないが、部屋に戻った後、僕はスマホを手に取り、教えてもらった電話番号にかけた。二十回近くコール音が鳴った後、ようやく電話が取られた。

「はい、丹禅寺です」

 驚いたことに若い男性の声がした。

「あああああ、あの、僕は志田雄二と言いまして…あ、あの、先日ですね…」

 しどろもどろで話が全然まとまらないでいると、電話の向こうで笑い声がした。「はは。大丈夫ですよ。誰かは分かっています。あ、私は源相と言いまして、源信和尚の孫にあたります。何かありましたか?」

「はははい。あの、そちらの寺にいた、あの、何というか、その、女性の…霊?ですか。そ、それが、あの…」

「ああ。やはりそちらに行っていましたか。最近いなくなったと思っていたのです。あなたは、あの女性霊に余程気にられたようですね」

「い、いや…その…ですから、家にいられるのは、その…」

「なるほど。雄二くんは年頃ですからね。分かります。ですが、彼女は霊体なので特に悪さはしません。放っておいても大丈夫ですよ」

「いい、いいえ、でも、ここここ声が聞こえるので…」

「ああ、なるほど。そうですか。これは困りましたね。はっきりと何を言っているのか分かりますか?」

「それは、分からないですが…でも、どんな感情なのかは、何というか、その…、わかってしまいます」

 一瞬、源相の声が止まった。何かを考えているようだ。

「ふうむ。それはいつ頃から分かるようになりましたか?」

「さささ、さっきです」

「ふむ。そうですか。では、そろそろかもしれませんねえ。尻尾の具合はどうですか?」

「前と変わりません。でも、出し入れは上手くなってきたと思います」

「はあ、そうですか。もう身体に馴染んできたのか…そうですか…ふむ」

 何とも意味ありげな事を言うので、雄二の混乱に拍車が掛かる。もう何を気にして良いのか分からない。

「では、こうしましょう。近日中に雄二くんのところに話の分かる人間を派遣します。それは私かもしれませんし他の人かもしれませんが、そこで様々な疑問が解決すると思います。ただ、あなたのご両親に無断でそのような事をすれば、また違う問題が出てきますので、まずはご両親にこのことを相談してください。そこで了承が取れれば、直ちにこちらから人を送ります」

 もう、背に腹は変えられないので僕は二つ返事で電話を切り、親に相談した。

「うーん。霊の声が聞こえるかあ…」

 父は腕を組みながら上を向いた。それを見た母が心配そうな目を僕に向けた。

「ねえ、雄二。本当にそれ聞こえるの?お母さん、もうあの人たちと会いたくないのよ。九尾の狐が何たらって言って宗教勧誘してくるでしょ。しばらく放っておけば聞こえなくなるんじゃない?」

「いや、それはないかも。ほとんどノイズだけど、女性の霊以外の声もちょっとだけ聞こえるし…」

 これは事実だ。さっきから少しだけ何か異音のような小さな声が聞こえるのだ。

「まあ、一応尻尾は消してくれたしさ、話しくらいは聞いてみてもいいんじゃないかな。このままだと雄二も困りそうだし」

「ちょっと!!あなた!!私は嫌だから!!うちの平和をなくす奴らと話なんかしたくありません!!」

 こうなると母はテコでも動かない。

「で、でも、あの女の人がずっといるのも…ちょっと…」

「ダメなものはダメです!!私が断りの電話を入れます!!」

 ヒステリックに叫ぶと、母はスマホを持つと足音強くリビングを出て行った。僕と父は目を合わせてコンセンサスをとった。これはもう諦めた方が良いと。


 結局、源相がこちらにきて話をするという話は流れた。母は、父と僕の方に連絡が来るのを警戒して、あの関係者には絶対に会ってはいけないと、毎日のように釘を刺してくる。父と僕は甘いので、なんだかんだで向こうと連絡を取ると思われているのだ。ただ、あの女性はいつも僕の近くにいるし、黒い狐の尻尾にしてもなくなった訳でなく、他の人間に見せていないだけなので、いつかは解決しなくてはいけない。


 そんなある日の朝、雄二は学校に行くため玄関へと出て靴の紐を結んでいると、母が玄関へとやってきた。

「いい?変な大人が来たら逃げるか大声を出すのよ。変な坊主や神主が来たらさっさと逃げなさい。絶対にあの手の人間と関わらないでね」

「うん。分かったよ」

「じゃあ、行ってらっしゃい」

「行ってきまーす」

 玄関ドアを開けると、家の中から「キキキキ」と言う声が聞こえた。僕ももう慣れたので、その声の方向に目をやり、女性の霊に無言で「行ってきます」と言った。

 その日も何事もなく授業が進み、剣道の練習をして学校を出た。もう夕暮れというよりも夜になっていて、空は暗く、電灯が灯っていた。友達と途中で別れると、家へと向かう。

 ジジジッという音が上で聞こえた。

 見上げると、上の電灯のランプが消え掛かっている。あれはもう交換だなと思いながら少し進むと、また上でジジジッという音が聞こえた。上を見るとやはりランプが切れかかっているのか電灯が点滅している。同じ時期に取り付けたとすれば、同時にそうなってもおかしくはない。

 僕は気にせず進んだ。すると、また上でジジジジッという音がした。いくら何でも三つ連続でそんなことがあるだろうか?と思いつつも上を見ると、電灯が点いたり消えたりしている。東京電力も交換が大変だなあなどと思いつつ後ろを見ると、さっっき消え掛かっていた電灯が普通に点いていた。一つ目も二つ目もチラついてさえいない。

 雄二は、背筋が冷たくなった。

 何かが付いてきているのだろうか?それとも偶然なのだろうか?

 僕は慌てて周りを見回した。住宅街に人気はなく、歩いている人もいない。ジジジジッという耳障りな音だけが響き、何だか気味の悪い空間に迷い込んんだようだ。思い出したくもないが、僕は黒い狐に会った時の事を思い出していた。あの時も僕は誰もいない世界に入って、狐に囲まれた。今は何にも囲まれていないが、同じようなことになっていないとは言えない。

 足が竦むと同時に、恐怖が湧き上がり、呼吸が荒くなった。

 ここは走って逃げた方がいいのか、どうすればいいのか?僕は、母に秘密で源信か源相に会って様々な話しを聞けばよかったと後悔した。九尾の狐と関わらせたくない母の気持ちはよく分かる。自分だって実の子が危険に片足を突っ込むような事になれば、そうならないように手を差し伸べるだろう。しかし、このような状況になるのならば、その対策は練っておかなければならなかった。危険の兆候があるにも関わらず、それを頭の片隅に追いやって何も考えないのは思考停止と同じだ。

 そんな怖気付いている僕を嘲笑うかのように、何かが僕を囲んだ。

 突如あたりの気温が下がり、身体が凍りつくような感覚に襲われた。そして、何か異臭がしてきた。何と言っていいのか分からないがこれは『死』の匂いだと直感した。

 死の匂いはどんどんと濃くなっていく。

 それと同時に、ヒタヒタと人間の足音とは明らかに違う音がする。足音が複数聞こえる上、聞いたことのない動物の呻き声のような音まで聞こえる始末だ。


 完全に逃げ場を失ってしまったと、僕は直感した。完璧に囲まれてしまっている。


 僕を囲む動物?のようなものが何かは分からない。ただ、雰囲気というか何とは説明できないが、そいつらからは恐ろしいほどの敵意を感じる。これほどまでに大きな敵意が僕に向けられる理由が分からない。

 この八方塞がりな状況でオロオロしていると、耳元で何かが囁いた。

「いいですか。まずは落ち着いて尻尾を出しましょう」

 いつの間にか肩に重みを感じたので、横を向いて目を向けると僕の肩に白い動物が乗っていた。モサモサの毛しか見えないので狐なのか猫なのかも分からない。

「早く!!」

 その動物に急かされ、僕は慌てて尻尾を出した。腰から出てきた大きな尻尾はいつも通り立派で、頭の上でゆらゆらと揺れている。

「ぐう。いい匂い…」

 肩に乗る動物がフラフラしだした上、訳の分からないことを言っているので、「そ、それからどうするの?」と逆に聞く。肩に乗った動物は、我に返ったように「へ?あ、そうか。まずは尻尾に力を入れて自分の周りに結界を張るんだ」と言う。

 尻尾に力は入れられるが、結界などどうやって貼ればよいと言うのか?

「早くして!!」

 再び急かされたので、雄二は仕方なく尻尾に力を入れた。すると、尻尾に何かの力が集まっていくのが分かった。自分で何をしている訳ではないのだが、そうなっていることだけは分かる。

「いい調子です。では、その力を解放して。そうすれば勝手に防御壁ができます」

 雄二は尻尾に集まった力を尻尾の外に逃した。これが解放なのかは分からないが、もう言われたことをやるしかない。

「おお!!これはすごい。いきなりこれほどまでとは」

 感心するような声が聞こえると、いきなり目の前の光景が変わった。何もいなかったはずの路上にはっきりと複数の蛙が蠢いているのが見えた。蛙たちは異様に大きく、身長は僕とほとんど変わらない。そのぎょろっとした目は怒りに満ちていて、とんでもなく恐ろしい。やたらと滑っていて、点滅する電灯の光で身体が青白く光っているように見える。大きな上半身を揺らしながら人間のように二本の足で立っており、手には槍のような物を持っていた。あんなので突かれたら一瞬で地獄行きだ。チラッと後ろを見ると、後ろの蛙も同じように槍を持っていた。

 ドブのような生臭い匂いが鼻をついた。おまけに姿が見えたからか、動く度にぐちょっという気色悪い音がする。

 蛙たちがゆっくりと間合いを詰めてくる。槍の間合いは剣と違ってかなり長い。このままでは四方八方からめった刺しにされてしまう。

「ゲェぇぇ!!」と一匹の蛙が声を出すと、蛙たちが一気に走ってきた。

 まずい!!と思ったもののどこにも逃げられない。頭には様々な思い出が次々と思い浮かぶ。ああ、これが走馬灯のような思い出か…と思った瞬間、「ちょっと!!何のために防御壁を張ったのさ!!早く起動させて!!」と肩で大きな声がした。

「ど、どうやって?」

「頭で念じて!!早く!!」

 蛙たちの槍は既に目の前だ。僕は頭の中で「壁よ出ろ!!」と念じた。すると、刺されるまであと数センチというところで槍の先が止まった。そして、槍を持ったままの蛙の手先がどさっと地面に落ちた。

 よく見れば、地面から光の壁が持ち上がっている。きっとあれが蛙の手を切ったのだろう。

「ゲェェェ!!ギャォエエ!!」

 凄まじい蛙の悲鳴が響いた。雄二の周りを囲んでいたすべての蛙たちの手先がなくなっている。蛙の手首からは、血がドロドロと流れ、地べたに血の川を作った。余りの痛みにのたうち回る蛙もいた。蛙の目に宿っていた怒りは完全に消え、代わりに涙が溢れていた。

「ようやく正気を取り戻しましたねえ。代償はかなり高くつきましたが、これは仕方ないでしょうね」白い動物は、肩の上で冷静にそんなことを言う。何が仕方がないのかは分からないが、何か釈然としない。

 酷い匂いが鼻をつき、僕の思考は一旦止まった。血の匂いが加わったことで生臭さが耐えきれないレベルになったのだ。蛙たちは血を出しすぎたのか、次々と倒れて痙攣し始めた。

「ち、ちょっと、あの蛙はどうなるの?」

「ああなると、魂がこの世にいられなくなって、黄泉の世界に送られます。貴方様を襲ったのですから然るべく苦しみを味わってもらいませんと」

「へ?いや、でもなんか可哀想じゃない?」

「ふう。危うく殺されそうになったというのに、貴方も随分と甘いことをおっしゃる。まあ、確かに彼らも悪の九尾の狐に操られてのことですから、多少同情の余地はありますが」

「助けられないの?」

 盛大なため息が聞こえた後、「仕方ありませんねえ」という掠れた声が聞こえた。

「まあ、貴方にも九尾の狐の魂が入っている訳ですから、霊であれば何とかならなくもありません。しかしながら忠告しておけばですね、あいつらが操られてまた襲ってこないとも限りませんよ。それでも良いのですか?」

 もう蛙はほとんど動かない。血が出切ってしまったのかもしれない。

「もう少し尻尾の力を使えるようになれば、僕も易々とやられないよ。だから早く教えて!!本当に死んじゃうよ」

「分かりました。では、尻尾に力を入れてください」

 雄二は言われた通りに、尻尾に力を入れた。また何かの力が入ってきたのを感じる。

「頭の中で蛙たちの腕がくっ付く様子を想像してください」

 目を瞑って頭の中でその様子を想像する。頭の中では蛙の腕が再びくっついたことになっている。

「目を開けてください。もう終わってますよ」

 恐る恐る目を開けると、蛙たちは相変わらずひっくり返っていたが、不思議なことに手はくっついていた。そしてあれだけ流れていた血も止まっている。生臭さは相変わらずだが、ひとまず状況は改善したようだ。

「ふーむ。それにしてもこれは…あなた本当に人間ですか?」

「ちょっとやめてよ。当たり前でしょ!!」

 恐ろしいことをしれっと言う。僕が人間でなければ何だと言うのか?

「まあ、そういうことにしておきましょう。おい!!蛙たち。もう起き上がれるだろう!!」

 すると、槍を杖代わりにして蛙たちが起き上がった。

「いいか。この人間?が慈悲深くもお前らを助けた。これに懲りてもう九尾の狐の甘言には乗るなよ!!」

 蛙たちは礼儀正しく敬礼して「ケェェェ!!」と返事をした。

 白い動物の「人間?」という微妙な疑問形が気になるが、まあ、これで蛙たちに襲われることはもうなさそうだ。

「じゃあ、もう帰りなよ」

 僕がそう言うと、蛙たちは申し訳なさそうな顔をして一礼すると、綺麗に隊列を組み、駆け足で闇に消えていった。これからこんなことが沢山あるのだろうか?だとすれば、一刻も早く源信か源相に相談しなくてはならない。

 蛙たちがいなくなると、電灯のチカチカがなくなり、雰囲気も普通の道に戻った。何だか違う世界にいたような感じがしたが実際はどうだったのだろうか?

「では、私たちも帰りましょう。あ、そうそう私は黒の九尾の狐の使いで、ヒメウツギと申します。以後お見知りおきを」

 そう言うと、ヒメウツギは雄二の肩から飛び降りて僕の前に立った。その姿は、あの笠間稲荷神社の狐塚にいた僕のお気に入りの狐と瓜二つだった。

「あ、よ、よろしく。ヒメウツギも家に来るの?」

「他の狐がもういるのですか?」

 ヒメウツギは警戒の色を目に浮かべた。

「いや、何だか分からないけど女性の霊が家にいるんだ。声しか聞こえないけどね」

「何と。そうですか。すぐにでも除霊しましょう。霊の居つく家は更なる霊を呼び込みます。その霊が悪霊にでもなられたら大変です」

 ヒメウツギは真面目な顔でそんなことを言った。雄二としては、そんな拙速な事はさせられない。

「ちょっと待って。その霊は元々お寺にいて僕に付いて来てしまったから、いきなり消すのはやめてほしいんだ」

「寺にいた霊が付いてきたのですか?その寺も寺だし霊も霊ですね。仕方ありません。とりあえず霊の話しは聞いてあげましょうか」

 ヒメウツギは相当呆れたように話したが、僕にはその呆れる意味が分からなかった。ただ、いきなり除霊されるような事は避けられたようだ。僕は尻尾をしまい、家路を急いだ。ヒメウツギも僕の肩の上に乗ってついて来た。どうやら僕の左肩を定位置に決めたようだ。

 家に帰ると、もう一九時三〇分を過ぎていた。蛙と三〇分も戦っていたことになる。

「ただいまー」

「おかえりー。遅かったわね。ご飯前にお風呂に入っちゃってー」

 キッチンから母がそう言うので、僕は制服をハンガーに掛け、風呂へと直行した。ヒメウツギは風呂までは一緒に行けませんと言ってどこかに姿を消した。

 素っ裸で風呂場へ入った瞬間、僕はとんでもないものを目にした。思わず悲鳴をあげそうになったくらいだ。


 そこには女の子が立っていたのだ。

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