極彩色の世界事件 解答編②

「空先輩。それで、光の魔法についてですけど。空先輩の認識だと、夏の暑い日に魔法使いさんが現れて、街を極彩色に染め上げた――ってことになってるんですよね?」

「まあ、ね」


 空先輩はコクリと頷いた。

 空先輩の認識を元にして考えると、街を極彩色の光で染め上げるなんて現象に心当たりはない。イルミネーションは季節が違う。花火で照らされたような形でもない。もちろん都市のど真ん中にオーロラが出現したりはしない。

 では、どういうことなのか。魔法使いさんは本当に魔法を行使したのか?

 もちろんそんなことはない。そもそもこの事件に、複雑なことなどないのだ。


「ところで空先輩。全然違う話ですけど、叙述トリックって知ってます?」

「なんだい急に? あれだろう? 先入観を利用して読者を誤解させる、ミステリー小説でたまに使われる手法だと聞くけれど……まさかキュラ君、この謎の正体がそうだと言うつもりじゃないだろうね?」

「そのまさかですよ。今回のメイントリックは、叙述トリックです」


 僕は空先輩のまさかを全力で肯定する。


「いや、キュラ君、冗談だろう? 今回問題になっているのは私の記憶だ。文章じゃない。曖昧な言い方で読み手を騙そうにも、そもそもその読み手がいないじゃないか」

「いますよ。ここに」


 怪訝な顔をする空先輩に、僕は指を突きつけた。


「私? いやいや、キュラ君……何を言っているのかな。どういう意味だかさっぱりだよ」

「つまりですね。空先輩は物語の登場人物でもありながら、実は読者でもあるっていう入れ子構造の立場に立たされてるってことです」

「ますます意味がわからない。物語というのは、謎を解決するために奔走する私たちを、推理小説になぞらえて言っているのだろう?」

「はい。空先輩が謎を追う探偵役で、僕がその助手役ってところですね。ミステリーのお約束的なキャスティングで言うなら」


 まあ今はその立場が逆転しているのだが、物語の構造がひっくり返ったのだから仕方ない。

 探偵役の空先輩ではなく、読者としての空先輩を引っ張り出さない限り、この謎は解決しないのだ。


「それで、探偵役として配置されたのに、私はその物語の読者だと?」

「違いますよ。先輩が読んでいるのは、僕らがこうやって過去の謎を解き明かそうとする物語じゃありません」

「なら、どういう物語だい?」

「十数年前の、空先輩が体験した過去に関する物語です」


 僕の言葉に、先輩は頭痛を堪えるように額を押さえた。


「つまりキュラ君は、私の記憶は誰かから読み聞かされたものだと言いたいのかい?」

「そうですけど、たぶん先輩が想像している形じゃありませんよ」


 空先輩はおそらく、幼い子供が親に絵本を読み聞かせてもらうような場面を想像しているだろう。しかしそうではないのだ。


「読み聞かせ――まあこれはただの比喩表現ですけど、それをしたのは魔法使いさんに出会った当時の、過去の空先輩。その話の聞き手が、今の空先輩ということです」


 どちらも同一人物。本来なら、それらが差異のある存在として扱われたりはしない。

 しかし大いなる時の流れが、両者を全くの別人にしてしまった。


「先輩は十数年前の記憶を、まるで目の前で見ているように話してくれましたけど……その映像は、本当に先輩が覚えていることですか?」

「え? どういうことだい?」

「だから、空先輩は十数年前の出来事を完璧に覚えているんですか? 動画のように一瞬も逃さず?」

「いや、それは……」


 空先輩が言葉を濁す。

 先輩は、僕に当時のことを話してくれる際、最初に前置きした。


 ――既に記憶は朧月のように靄がかっていて、細部は判然としない。脳内で情景を再現しようとしても、影絵のようになってしまう。


 そう。空先輩ははっきりとは覚えていないのだ。過去について何か情景が浮かんできたとしてもそれは影絵であって、そこに色がついたとするなら、それは現在の空先輩の手による着色でしかない。


「今の空先輩は過去をはっきりと覚えていない状態です。だからこそ、過去を知るには過去の自分に尋ねるしかありません。当時何があったのかと」


 人は、その行為を『思い出す』と呼ぶ。しかし一度忘れてしまった時点で、その思い出された記憶が正しいかどうか、自分では判断できなくなってしまう。


「過去の空先輩はその現在からの問いかけに、穴の開いた記憶でもって答えてしまいました。それがすれ違いを生むことになった。現在の空先輩は、その返答の一部を間違った解釈で展開したんです」

「間違った、解釈……」

「はい。それこそが、空先輩が自分に仕掛けた叙述トリック――あるいは、甘い夢を忘れたくなかったがために、無意識にかけてしまった自分への魔法です」


 解呪の魔法使いとして振る舞ってきた空先輩が、悪い魔法使いとして魔法の実在を信じ込ませた唯一の例だ。その唯一の例が自分だというのは、皮肉なものでしかないが。


「僕がこれに気がついたきっかけは、空先輩が魔法使いの帽子をもらったという話の中に、違和感のある台詞を見つけたからです」

「違和感のある台詞?」

「はい。魔法使いさんは、空先輩に被せた帽子を指して、空を飛ぶ人が被る帽子と言ったんですよね? 空を飛べる人が被る帽子ではなく。おかしくないですか? それじゃあまるで、空を飛ぶ魔法しか使えないみたいじゃないですか」

「……確かに、そうだね。魔法使いといったら、色々な魔法を使うのが普通だ。でも、それは恣意的な解釈じゃないのかい?」

「いや、違うと思います」


 僕もその可能性は考えた。真相に至る鍵が見つからなくて、無茶な推理を打ち立ててしまうのはミステリーあるあるだ。しかし今回はそうではないと僕は結論付けた。


「空先輩の、これは魔法使いの帽子かという質問に、魔法使いさんはまあねって答えたんですよね。それって、当たらずも遠からず――要は違うってことでしょう?」

「……つまり、私がもらったのは魔法使いの帽子じゃなかったと?」

「はい。それが、空先輩が引っかかった叙述トリックの一つです」


 三角帽子といえば魔法使いのトレードマークだ。魔法使いを名乗るその人は、三角の帽子をくれた。だからそれは魔法使いの帽子だ。簡単な論理だが、三段論法としては成立していない。

 魔法使いさんが、魔法使いのとんがり帽子ではない別の帽子を持ち歩いていた可能性だってあるのだ。

 思い返してみれば、空先輩が語る過去の話では、それが一度もとんがり帽子だなんて言及されていない。ただ三角の帽子と言われていただけだ。


「そもそも、それ以外にも帽子に関する謎はありました。どうして魔法使いさんは、格好自体は普通なのに、普通は持ち歩かない三角帽子を持ち運んでいたのかとか。空先輩が、そのとんがり帽子がしっくりこないって言ってたこととか。それら全てが、真実を指し示す手がかりなんです」

「手がかり……。確かに、あのときもらった帽子がこの帽子と別物だったなら、しっくりこないと思ったのも納得できる」


 空先輩は自分のとんがり帽子に触れながら言う。


「しかし、他の三角帽子というなら、あれだろう? パーティーなんかで被る円錐形の」


 まあ、一般的に三角帽子といえば、普通はそれが思い浮かぶだろう。


「お姉さんはパーティーに行く途中、あるいはパーティーから帰る途中で、持っていた三角帽子を私に渡した。それなら持っていたこと自体は不思議ではなくなるよ。でもね、それじゃあキュラ君が目をつけた原因になった言葉と矛盾するじゃないか」

「はい、そうですね。パーティー用の三角帽子を被ったところで、空は飛べません」

「なら……」


 僕は解釈を飛躍させすぎているだけなのだ――と反論しようとした空先輩を遮って、僕は首を振る。


「いえ。三角帽子はもう一種類ありますよ。それも、空を飛ぶ人が被るやつが」

「えっ?」

「トナカイの引くソリに乗って、子供たちにプレゼントを配る人の帽子です」

「あっ、サンタ帽!?」


 遠回しな僕の言葉で、空先輩は正解に辿り着く。

 サンタクロースは魔法使いかと尋ねれば、大半の人は少し違うと思うだろう。

 普通、魔法使いといえば多彩な魔法を操る存在がイメージされるが、サンタクロースはそうではない。しかし不思議な力で空を飛ぶという点で、完璧に魔法から切り離された存在でもない。

 それが、魔法使いさんが口にした「まあね」の真意だ。

 そして、サンタクロースが被るあの真っ赤な帽子は、横から見れば確かに三角形をしている。一般的なイメージでも、サンタ帽を思い浮かべれば、ちょっと曲がっていても概ね三角形に近いものが想像されるだろう。


 この通り、空先輩に渡されたのがサンタクロースの帽子だというのなら、全ての違和感が解消されることとなる。

 ……いや、全てではなかったか。一つだけ、この説を阻む要因があった。

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