極彩色の世界事件 問題編⑧

 僕らは魔法の事件を追っていたはずだった。しかし気づけば、魔法の気配なんて今回の謎からは微塵も感じられなくなっていた。

 魔法に至るための手がかりなど、未だ何も見つかっていない。

 街を極彩色に染め上げた光の魔法。幼い空先輩を両親の元へ送った転移の魔法。詳細も判然としない飛行の魔法。

 それらの背景は依然として不明だ。僕らが追っているのは本当の魔法ではなく、いわば手品のようなもので、そこには種も仕掛けもあるはずなのに。

 何も見つからない焦りが、魔法なのだから種も仕掛けもなくて当たり前だという考えへと変貌しようとしている。

 これらを全て解き明かす、それこそ魔法のようなロジックは果たして存在するのだろうか。

 そんなことを考えながら電車に揺られていると、いつの間にか目的地に辿り着いていた。




 目的の祭りは、都会からやや外れた古臭い街並みの中で行われていた。

 屋台が立ち並ぶ通りは、都会とはまた違う異世界感を醸し出している。

 祭囃子が絶えず鳴り響き、聞き慣れない音に新鮮さを感じる一方で、その音楽は心地よく耳に馴染み、いつの間にか気分はお祭り仕様に移り変わってゆく。

 都会の距離感のある雑踏とは違い、人々は人波に迎合したり狭い隙間を抜けたりしながら、なんとか先へと進んでいた。

 客引きの宣伝や友達との雑談、自身の幸運への歓声、そういったものが渾沌と混ざり合い、自分の声もうまく届けられない。

 こういった祭りの空気はどことなく古めかしく、懐かしい気分にさせられる。

 異世界というより、なんだかタイムスリップしたような心地だった。


「空先輩は、お祭りってよく来るんですか?」

「いや、近所のお祭りはもう何年か行ってないね。こういう空気は久しぶりだ。キュラ君は?」

「僕は毎年行ってますよ」


 だいたいは友達に誘われたから付き合いで、だが。

 子供の頃はお祭りを楽しみにしていたが、お祭りの闇を知ってしまってからはあまり楽しみではなくなってしまった。子供を騙して食い物にする汚い大人は嫌いだ……。射的につぎ込んだ僕の小遣いを返せ。


「先輩、こういうイベントって浴衣とか着てくるタイプですか?」

「全然。行くなら私服だね」

「まあ、ですよね」


 空先輩は友達があんまりいないらしいし。浴衣を着たって見せる相手と一緒でなければ意味もあるまい。

 案外似合いそうだけどな……。

 頭の中で空先輩の浴衣姿を想像してみる。やはり悪くないのではないだろうか。

 で、僕も浴衣姿でその隣を歩いて……。

 ……いや僕は隣にいる人で何を妄想しているんだ。デート気分か? 空先輩を励ますために誘ったんじゃなかったのか?

 なんだか気恥ずかしくなってきたし、さっさと話題を変えよう。


「で、先輩はどういう屋台に行きたいですか? そこにチョコバナナとかベビーカステラとかりんご飴とかありますけど」

「……キュラ君、私を食い意地の張った女だと思っていないかい?」

「思ってないですけど。菓子類に貪欲だとは思ってます」

「…………」


 空先輩は黙り込んだ。おそらく図星だったのだろう。部室でもよくお菓子を食べているし。


「食べ物より、今は何か遊びたい気分かな。そこの射的でもやってみようか?」

「いやあれはやめておきましょう。闇のゲームですアレは」

「そうなのかい?」

「小学生の頃、なけなしの小遣いを吸い取られた苦い記憶が……」

「なんだ。キュラ君の私怨じゃないか」


 空先輩が呆れ混じりの微笑を見せる。その反応は甚だ遺憾だ。


「いや祭りの屋台は危険なんですって。射的は裏に重りがくっついてるし、くじ引きは大当たりなんて入ってないし、型抜きは不思議な力で完成前に割れるようになってるんです」

「キュラ君、陰謀論とか信じるタチかい?」

「違いますって。お祭りの屋台だけはガチなやつです」

「そこまで言うなら、私が試してみようじゃないか」


 空先輩は財布を取り出し、射的の屋台に向かってしまう。

 屋台のオジサンは、また一人カモがやって来たと下卑た目を空先輩に向ける。空先輩にはあの目が見えないのか。営業スマイルの奥に隠された、新たな金蔓に向けられる目が。


「ああもう……」


 どうなっても知らないぞと思いながら、僕は空先輩が虚しく散っていく様を見守るのだった。





「……私も、お祭りの屋台だけは陰謀論ではないと信じよう」

「でしょう?」


 案の定、空先輩は射的のオジサンに金をむしり取られた。

 空先輩を褒める点があるとするなら、撤退の判断が早かったくらいか。その辺の判断力は流石だったが、残念ながら罠にかかってからでは遅いのだ。

 空先輩は不機嫌なのか、人波から外れた道路脇の木の下に無言で立ち尽くす。

 先輩が動く気になるまで待とうと、僕もその隣でただ立っていた。

 そこへ、小さな呟きが耳に届く。


「……結局、現実で奇跡なんて、そうそう起こらないということかな」


 とても空虚で、寒々しい声。

 その声の主は、聞き間違えでなければ空先輩だった。

 もしかして、先輩は……わかっていてやったのか。お祭りの射的で大当たりを狙うなんて、不可能に挑むに等しいと。


 だとしたら何のために? まさか、奇跡は起こると信じたくて?

 道しるべを失ってしまった謎に、突破口が現れることを願って?

 ふと、僕がつい先日の事件で、調子よく空先輩に語った言葉を思い出す。

 ――空先輩は魔法使いなんでしょう? なら、奇跡の一つや二つ、起こしてみればいいじゃないですか。

 僕は確かに、茅野さんを見捨てるべきか迷った空先輩にそう語った。

 今思えば、本当に無責任な言葉だ。そうそう起こらないから奇跡なのだし、そもそも人の手で起こせるものは奇跡とは言わない。それはただの作用でしかなく、僕はあのとき、奇跡の意味を取り違えていた。

 超自然的な何かの仕業としか思えない事象を奇跡と呼び、ただの人間には起こせないからこそ、それを起こす人間は魔法使いだなんて呼ばれるんだ。


 僕の口先ばかりの説得は順序が逆だ。空先輩は魔法使いを自称しているのだから、奇跡だって起こせるはずだと、僕は結論ありきであの言葉を口にした。

 空先輩の言う魔法使いとは、奇跡を起こす者という意味じゃない。空先輩が行使する解呪の魔法とは、世界から爪はじきにされた誰かを救い出すことであって、魔法など本当は存在しないと空先輩は明言している。

 人間には届き得ぬ領域のものすら味方につけて、奇跡を操るなど、それこそ本当に世界から逸脱した行いだ。

 そんなこの世ならざる者は現れない。空先輩の魔法を解いてくれる、奇跡を操る神の御使いはここにはいない。


「……ああ、くそっ」


 僕は苛立ち混じりに、空先輩にすら聞こえないほど小さく呟いた。


「空先輩、ちょっとここで待ってください」

「え? あ、うん」

「絶対動かないでくださいね!」


 それだけ言うと、僕は駆け出した。人波を強引にすり抜けて、アテがあるわけでもないのにただただ先を目指す。

 今日一日、歩き通しで疲労を溜め込んだ体はやめてくれと叫んでいる。これ以上酷使しないでくれと懇願している。

 やめてやるもんか。腑抜けて、全部を空先輩に押し付けようとしていた過去の僕への罰だ。

 どうして僕は、空先輩に全てを任せきりにしていた? 空先輩は解呪の魔法使いだから? 空先輩の過去は空先輩自身にしか触れようがないから? いつも空先輩が推理で全てにケリをつけてくれたから?

 なら、どうして僕は空先輩についてきたんだ。わざわざ無理を言って、真夏の炎天下という地獄に飛び込む覚悟までして。


 ――空先輩の力になりたかったんじゃないのか、僕は。

 だったら、僕のすべきことなんて決まっているだろう。

 都合のいい奇跡なんて願うな。理由のない奇跡になんて縋るな。

 空先輩があのとき、茅野さんを助けられたのはどうしてだ?

 奇跡が起こったからか? 世界を見守る神が手を差し伸べてくれたからか?


 違うだろう。空先輩があのとき茅野さんを助けられたのは、助けられると信じたからだ。

 ただ、信じたから。言葉にしてしまえばたったそれだけの、しかし大きな違いだ。

 だって、信じれば、僕らは魔法だってこの世に存在させられるんだから。

 お稲荷様に呪われた誰かのように。世界から爪はじきにされる呪いを受けた誰かのように。

 魔法も呪いも、信じればこの世に現れる。


 その考えに辿り着くと同時に、僕は屋台通りの最奥まで辿り着いた。一気に人波が消滅し、僕は一人でその場所に放り出される。

 一歩足を踏み出せば、その場所はお祭りの空気とは何の関係もない寂しげな道路で、無機質な光を灯した自動車が夜闇の中を通り過ぎてゆく。僕を照らす街灯の光も弱々しい。

 暗い夜の世界がそこには広がっていた。

 これじゃあとても、暗中模索の思考に光は差さない。――普通なら。


 しかし空先輩曰く、僕はドラキュラ病のキュラ君だ。だったら、僕の力は夜闇の中でこそ輝く。魔法の世界じゃ、そういうお約束のはずだ。

 たとえこの世界に、魔法の世界など実在しなくとも。信じるだけで、力になってくれることもある。

 空先輩が、確かに解呪の魔法を操ったように。

 僕らが魅了された魔法は、そういうもののはずだろう?


「……そうだ」


 僕はようやく、闇の中でひときわ濃い闇に包まれた謎を発見する。

 魔法使いのお姉さんは、空先輩に帽子を与えたときにこう口にした。

 ――空を飛ぶ人が被る帽子。

 空を飛べる人が被る帽子ではない。空を飛ぶ人、空を飛ぶしかできない人が被る帽子だ。

 だとしたら、それは――

 未だ答えは出ない。しかし、確実に何かが進展した手応えに、僕は心の中で歓声を上げる。

 ふと天を見上げると、月が静かに僕を照らしていた。吸血鬼に力を与える魔性の月が。その光は街灯に負けてしまうほど儚いものだけれど、確かに僕に届いている。

 やっぱり僕はキュラ君なのだと、先輩の妙ちきりんなあだ名に納得してしまう自分がいた。

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