極彩色の世界事件 問題編④

 夏休みの最初の日というのはどうにも格別なもので、これから始まる長い自由の日々への期待と、今までの習慣が崩れた落ち着かなさを味わわされる。

 その落ち着かなさを勉強や宿題で解消する人もいるのだろうし、自由の権利を早速行使して享楽に耽る人もまたいるのだろう。

 では僕はどうなのかといえば、そもそも夏休みの初日に自由など与えられておらず、地獄の真っ只中に放り出されているのであった。


「キュラ君お待たせ……って、早速死にかけてるじゃないか」

「ああ、空先輩、おはようございます……」


 端的に言うのであれば、真夏の炎天下は僕には厳しすぎた。ここは人類の生存圏ではない。

 学校の最寄り駅の前で待ち合わせということにしていたのだが、照りつける日差しのまあ酷いこと。せめて駅前でなく駅の中にしておけば屋根もあったのに、と思っても後の祭りだ。


「毎度思うのだけれど、日傘とか差したりしないのかい? それだけでも多少マシになるはずだけれど」

「いや、だって、日傘差してる男子高校生とか普通いないじゃないですか」

「キュラ君、そんなこと気にするタチだったのかい? 周りの目なんて気にするだけ損だよ。どうせ道端ですれ違っただけの人間なんて、三秒もあれば忘れるものだ」

「……なるほど」


 二重の意味の納得を込めて呟く。

 納得の片方は、確かにすれ違った通行人なんて全部は覚えていられないということ。

 もう片方は、だから空先輩の服はそんなに飾り気がないのかということ。

 僕の集めた資料によると、男女のお出かけでは女子が妙に自分の格好に気を遣うらしいのだが。なお資料は主に漫画やアニメであることをここに併記しておく。

 で、空先輩の格好はといえば、他人に見せることを意識していないようなシンプルなシャツとスカート。あとトートバッグ。以上。言うことなし。

 魔法使いの格好をしていないだけマシと思うべきだろうか。


「じゃあ、キュラ君がこのまま灰になっても困るからね。早く駅の中に入ろうか」

「ああ、はい」


 資料(※漫画・アニメ)にあった、女子が自分の格好を褒めてもらいたがるシーンも当然カット。ここまで来ると、いつもの先輩だという気がして逆に安心してきた。

 空先輩との遠出はそんな感じで、何か特別なことがあるわけでもなくさらっと幕を開けたのだった。

 そして僕らは、異世界を知る。




 電車に揺られること一時間弱。駅周辺に特筆すべき点が何もないという片田舎から、見渡す限りの建物の連峰へと、僕たちは放り出された。

 自宅近辺では絶対にお目にかかれないような高層建築は、子供だろうが高校生だろうが関係なく、遥かな高みから僕らを見下ろして威圧している。

 ガラス張りのビルに目を遣ると、窓に太陽光が反射して僕らの目を焼く。

 駅前の大きなモニターは見覚えのあるCMを絶えず再生しているが、拡大されすぎたCMは、出演者の顔も三次元から二次元のドットへと変貌していた。

 行き交う人々は皆早足で通り過ぎてゆき、リズミカルな雑踏と無秩序な喧騒の合奏が鼓膜を震わせる。よくよく注視すれば一人一人が異なる格好をしているはずなのに、大衆の中に埋没してはどのような格好も没個性的なものにしか見えなくなる。


 サラリーマンも女子高生も主婦もフリーターも、ここでは等しくただの人でしかない。

 あらゆるものが整然としていて、しかし同時に歪にも思える。

 異世界という言葉の正確な意味を今、本当に垣間見たような気がした。


「当時は文明の息吹なんて感じられる年ではなかったけれど、今見てみると壮観だね」

「ですね」


 そう思ってしまうのは田舎臭い感性なのかもしれないが。

 天を目指した高層建築は、歴史の積み重ねを暗示しているようにも思えた。


「キュラ君は、前にもこういう場所に来たことはあるのかい?」

「いや、小さい頃に電車の中から見たくらいですね。街を歩いたりはしてないです」

「なるほどね。それでそんなにお上りさん丸出しということか」

「空先輩こそ、さっきから首が忙しそうですよ」


 互いに冗談めかして言う。

 空先輩は指摘されると面白がって、更に首を振ってキョロキョロしていた。


「で、先輩は前にここにも来たんですか?」

「いや。あの時は車だったから、駅には来なかった……はずだよ」


 空先輩は自信なさげに言う。

 駅前といっても、ここの駅は出口が三つだか四つくらいあるから、駅に来ていたとしても見覚えのない出入り口を使ってしまっている可能性もある。ちなみに先ほど僕らが出てきたのは、偶然近くにあった裏口的な改札だった。


「まあいつまでもここにいても仕方ない。歩こうか、キュラ君」

「……そうですね」


 空先輩の提案を受け、長く言葉に詰まった後にようやくそれを吐き出した。

 ビルの合間から覗く太陽を恨めしげに見る。直視は目が潰れるのでしないが。

 なぜあれほど高いビルは、僕らに影を提供してくれないのか。馬鹿でかい図体はなんのためにあるのか甚だ疑問だ。

 これから曇り空になることを遥かな天に願いながら、僕は空先輩に尋ねる。


「で、どこにいくんですか? というか聞きそびれましたけど、魔法使いさんと会ったところって、どういう場所だったんですか? 屋内とか、屋外とか、それくらいはわかりますよね?」

「まあね。屋外だったのは覚えているよ。それに、割かし広い場所だったかな。ビルとビルの間みたいな場所ではなかったはずだ。だからまずは、そういう場所を目指すつもりだ」

「なるほど?」


 空先輩は一応、目星くらいはつけて来ていたらしい。

 この都市部で広い場所というと、割かし限定されるのではないだろうか。

 パッと思いつくのは公園辺りだ。他には広場的な場所とか、あるいは屋外のレジャー施設もあり得るか。

 ただし、レジャー施設を全て回って確認するだなんてのは難しい。高校生にそのようなお金はないし、一日で近辺のレジャー施設を回り切るような時間もない。

 となれば、公園か広場を探すべきだろう。


「他に何か、特徴みたいなのはなかったんですか?」


 念のために、僕もそれらしい場所があれば確認できるように情報を求める。


「んー、何か高いものをすぐ傍で見上げていたような覚えがあるよ。建物ではなかったと思うのだけれど、あれはなんだったかな……」

「噴水とかじゃないですか?」


 適当に、駅前とか公園にありそうなものを挙げてみる。子供の目線なら、噴水も十分高いものにカテゴライズされるだろう。


「いや、噴水ではなかったはずだ。動かない何かで……」

「じゃあ木とか」

「……確かそうだった、ような」


 空先輩は曖昧に肯定した。

 これじゃあ僕も一緒に探すというのは不可能かもしれない。先輩のぼんやりした記憶に頼る他ない。


「まあはっきり覚えてないなら仕方ないです。行きましょうか、先輩」

「ああ、そうだね」


 空先輩はポケットからプリントアウトされた地図を取り出し、「まずは近場からだ」と言いながら、一歩踏み出す。

 僕もその後を追い、真夏の炎天下――吸血鬼なら確実に灰になるであろう、灼熱の世界へと飛び出した。

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