ヨモツヘグイ事件 解答編⑧

 踏み込みすぎた問いかけに、様子が急変した空先輩。

 失敗を悟った僕の硬い顔を見て、はっとしたように表情の緊張をほぐした。


「ああいや、威圧したりする気はなかったのだけれど」


 弁解するように空先輩は言うが、その言葉に硬化した空気を吹き飛ばす力はなかった。


「いえ……すみません。変なこと聞いちゃって」

「謝らないでくれ。むしろ当然の疑問だよ。まさかキュラ君に指摘されることになるとは思わなかったけれど」


 空先輩は無理に表情を崩した後、テーブルに本を置いて立ち上がる。


「本当に、キュラ君が悪いことをしたわけじゃないんだ。むしろ罪を犯したのは私の方だよ」

「……どういうことですか?」


 罪、という空先輩に似合わない言葉に首を傾げる。

 空先輩は初めて見る表情――自嘲の笑みを浮かべながら言った。


「要するに、私は最初から自覚していたんだ。キュラ君が指摘した、決定的な自己矛盾をね」


 自覚していた? その上で、空先輩はあのように振る舞っていた?

 その理由は、まさか……。


「キュラ君。私が他人の魔法を解いて回っているのは、なぜだと思う?」

「なぜって、放っておけなかったからじゃ?」

「まあそれもあるけれど、最初は違ったんだ。最初はね、自分にかけられた魔法を解くための練習として、私はそういうことを始めたんだ」

「練習……」

「ああ。そうしていつか、自分にかけられた魔法を解くんだと決意していた」


 空先輩は遠い目をしてそれを語る。一体どれほど前から空先輩が今のようなことをしているのか、僕は知らない。しかし少なくとも、もう何年も続けているだろうとは読み取れた。


「ところが、ね」


 ポツリ。先輩が口調を反転させる。


「いつの間にか、私は堕落してしまったんだ。今はまだ練習している最中だから、まだ実力が足りないかもしれないから。そう言い訳して、私は自分にかかった魔法を解く気概を失っていった」

「…………」


 空先輩は、いつか言っていた。魔法の祝福というのは甘い果実で、都合のいい幻想にいつまでもひたってしまいたくなると。

 それは禁断の果実で、その味に溺れてしまえば、過酷な世界に追放されてしまう代物なのに。

 あの言葉は、空先輩が見届けてきた人のことを言っているのだとばかり思っていた。

 しかしそうではなく、本当は……空先輩が誰よりも、都合のいい幻想に縋っていたんだ。


「軽蔑したかい? 自分のことを棚に上げて、他人に偉そうに言っていた私のことを」


 空先輩の声は、どこか自棄になっているようにも思えた。

 それを聞いて、それだけは否定しなければならないと僕は首を振った。


「いえ。それで先輩が誰かを助けたことは変わりませんよ」

「そうかな」

「そうですよ。茅野さんにせっかく友達ができたのを、嘘になんてしないであげてください」


 僕は敢えて、空先輩が否定できないだろう言葉を選ぶ。


「……ああ、そうだったね」


 先輩は小さく微笑を浮かべ、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。


「それを引き合いに出されては仕方ない。まあ、それなりに人助けもしてきたことは認めよう」


 頷き、先輩は僕の言葉を受け入れる。

 それに僕もほっとするが、空先輩は「でも」と言葉を続けた。


「でもね、それは私の弱さを肯定する理由にはならないよ」

「…………」


 今度は反論できなかった。

 他人から甘い果実を取り上げて、そのくせ自分だけその味を手放せない。

 それは間違いなく、卑怯な振る舞いだと謗られるものだ。

 そう思ってしまったから、僕はそれ以上空先輩を庇えなかった。


「――キュラ君に指摘されたのも、何かの運命なのかな」


 訥々とした先輩の呟きが、ゆっくりと空気に溶け込んでいく。

 ただ、空先輩の自問自答の意図を測りかねて、僕は口を挟めなくて。


「潮時かな」


 空先輩のその寂しげな言葉を、僕は止めることはできなかった。


「潮時……って?」

「逃げ続けてきた終わりに、向き合うべき時が来たということだよ」


 逃げ続けてきた、終わり。それはつまり……。


「キュラ君、ちょっと話を聞いてくれないかい?」


 空先輩は、吹っ切れたような顔で朗らかに言った。

 対する僕は、空先輩らしからぬ表情に戸惑いを隠せない。


「……何の話ですか?」

「私という魔法使いが生まれた、始まりの日の話だよ」

「始まりの日……」

「ああ」


 空先輩がゆっくりと頷く。


「あの日の出来事は、幼い私には魔法のようにしか思えなくて、そして……謎を解けていない今も、魔法の仕業という考えを捨てきれないんだ」


 空中で人差し指をクルクルと回しながら、空先輩は語る。

 相変わらず魔法でも飛び出しそうなその指先に僕は釘付けとなって、話を聞くのを躊躇った。

 それでも、先輩の語りは先へと進む。僕の気持ちとは無関係に。




 これから語られるのは、空先輩が目を逸らし続けてきた始まりの謎。

 その謎を解いてしまったとき――すなわち、先輩にかけられた魔法が解けてしまったとき、きっと何かが終わりを迎える。

 それを今ここで、僕が食い止めることはできない。空先輩は既に覚悟を決めて、試練に臨もうとしているのだから。

 それならせめてと、僕は空先輩の話を一言たりとも聞き逃すまいと身構えた。

 もしかしたらこれが、最後になるかもしれないと予感したから。

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