第三章 「いつか魔法が解けるまで」
極彩色の世界事件 問題編①
《過去の記憶》
あの運命の日は、私がまだ幼稚園に入るか入らないかという頃に訪れた。
既に記憶は朧月のように靄がかっていて、細部は判然としない。脳内で情景を再現しようとしても、影絵のようになってしまう。
季節感もはっきりとはしてないが、ただ暑かったことは覚えている。
あの日の私は、両親に連れられて都市部へとやって来ていた。普段暮らしている畑と住宅が混合したような景色とは違い、天まで届きそうなビルや、津波のように行き交う人々、蛇のように並ぶ車の列に心躍らせていたのを覚えている。
何をしに行ったのか、実際に何をしたのかはもう覚えていない。ただ、日暮れが近づくまで両親と共に街を歩き、楽しんだはずだ。
そしてその足で、私は迷子になった。
気がつけば両親の姿はなく、広い都市の中、私は孤独になっていた。
泣きたいほどの不安を味わった。いや、実際に泣いたのだったか。どちらかはわからない。
そこで私を助けてくれたのは、通りすがりのお姉さんだった。
どのように声をかけられたのか。「あなた迷子なの?」みたいなことを尋ねられたはずだが、その記憶は実際にはない。これはただ想像で補完した台詞だ。
そのお姉さんは優しそうな人で、今ならおそらく警戒もするはずだが、なにぶん子供の頃の話。迷子で心細かった私は、そのお姉さんをすぐさま信用した。
私はお姉さんと共に、しばし両親とはぐれた場所の付近を歩いた。しかし求める姿は見つからず、次第に日は落ちてゆく。
近づく夜の気配と、遥か高くから私を見下ろすビルの群れ。見知らぬ人の津波と、高速で傍を走り抜ける車の連なり。世界の全てが私を襲う敵に思えた。
次の瞬間には、抗えない恐怖が目の前に現れる――
根拠のない不安に幼い私は簡単に叩きのめされ、泣きだしてしまった。
……ここから先の出来事は、朧げな記憶の中でもひときわ鮮明で、そして非現実的だ。
「泣かないで? 今から私が魔法を見せてあげるから」
お姉さんは、涙に暮れる私に向けてそう言った。
「顔を上げて、街を見て? すごいものが見れるから」
私は言われるがままに、涙で滲む視界を街に向けた。
そこには変わらない現実が佇んでいて、私は嘘つきなお姉さんを恨まずにはいられなかった。
しかし――パッと、次の瞬間、世界が色づいた。暗い世界が、私を敵と見做していたはずの世界が、溢れんばかりの輝きを私に届ける。涙越しの視界に映る光は、万華鏡のように煌めいて、押し寄せる闇を塗り潰していく。
まさに、魔法のような体験だった。暗く沈んでいた心が輝きを取り戻す。
私は目をこすり、万華鏡越しでない世界の本当を見た。
街全体が煌めいてた。街灯に照らされただとか、その程度のことではない。
青、紫、赤、黄、緑――無数の色がグラデーションとなって、街そのものが輝きを放つ。極彩色の世界は、私の瞳に強く強く焼き付いた。
「どう? 綺麗でしょう?」
世界の色彩に圧倒されていた私は、お姉さんの言葉に頷くしかできなかった。
興奮は私に熱を運び、元からやや暑いと感じていた世界の温度を更に上げる。
「お姉さんは、魔法使いなの?」
ようやく圧倒的な色彩の重圧から解放されて、私は勢い込んで尋ねた。
瞳を輝かせる子供に、お姉さんは冗談めかして言う。
「ええ。あなたみたいに困っている子を、助けてあげるのが仕事なの」
お姉さんは私の頭を撫でて、笑いかけてくれた。
お姉さんは朝のテレビで見るような可愛らしい女の子ではなかったけれど、私が魅了されるには十分だった。魔法としか言いようがない景色をこの目で見たのだから。
「すごい! もっと魔法見せて!」
私ははしゃいで、目の前に街全体を染め上げるような大魔法が展開されているにもかかわらず、お姉さんに更なる魔法をねだった。
そんな私にお姉さんは苦笑しながら、頷いた。
「それじゃあ空ちゃん。私が魔法で、お父さんとお母さんのところに連れて行ってあげる。だから目を閉じて、リラックスして?」
「ほんと! わかった!」
私は言われるがままに目を閉じた。それで両親の元へ帰れるのならと。
魔法に対する興奮が私を支配して、今思えばリラックスなどできるはずもない。お姉さんも無茶なことを要求するものだ。
しかし私は、気がついたら両親の車で家に帰る途中で、お姉さんの姿はなかった。
その前後の詳細な記憶はない。ただ、一つだけ覚えている。
私は確か、私はお姉さんと一緒に……いや一人で? 空を飛んで……この辺りの記憶は、どうにも曖昧だ。映像としてうまく再生できない。ただ確かに、空を飛んだはずだと私の記憶が告げていた。
帰りの車の中で、私は家族に魔法使いさんのことを自慢げに語る。
その日の出来事が夢などではなかったと、未来の自分に伝えようとするように。
――そんなところで、朧げな記憶は幕を閉じている。
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