ヨモツヘグイ事件 解答編⑦

 こうして、茅野さんにかけられた世界からの呪いは無事に解かれた。

 茅野さんがこれからどうするのか、それはわからない。空先輩と友達になったからといって、今までの人間関係が突然変化するようなことはなく、周囲から茅野さんに向けられる目は依然として厳しいものだ。


 ――僕はこの事件よりだいぶ経ってから、ゆえあってオカ研の面々に取材のようなことをしたのだけれど、茅野さんを除く三人は今回の事件についてこう語った。

 どうせ茅野さんの仕業だと思っていた、と。オブラートの包み方に差こそあれど、茅野さんが現在受けている評価は総じてそういうものだ。

 あと何日かすれば夏休みを迎える学校に、関係改善を図る時間も残されてはいないだろう。

 そんな冷たい現実に茅野さんが押しつぶされないよう、空先輩には茅野さんを一人ぼっちにしないようにと言い含めておいた。


 ああちなみに、茅野さんは実はミステリー愛好家だと判明したため、僕とも今後個人的に話をしようということになった。言われてみれば、密室とか予告状とか氷の消失トリックとか、端々にその趣味は現れていた。

 というわけで僭越ながら僕も、茅野さんを一人にしないよう尽力させてもらうつもりだ。




「キュラ君、随分と茅野のことが気に入ったみたいだね?」

「え?」


 今度茅野さんに勧めるためのミステリー小説を読み返していると、空先輩に声をかけられた。


「なんですか空先輩、嫉妬ですか?」

「違う」


 先輩の声は恐ろしいほど冷たかった。


「すみません冗談です」

「よろしい。で、茅野に何か気に入る点でもあったのかい? あれは思い通りにいかないと周囲に当たり散らすし、優位に立っているときだけは露骨に得意げになったりする面倒な手合いだけれど」

「でも、あれだけ素直に自分の望みを口にできるのはいいことだと思いますよ」

「……まあね。それに関しては認めるよ」


 少なくとも、僕や空先輩はああいう場面に置かれたとしても、素直にはなれないだろう。

 妙な意地を張って、口を閉ざすに決まっている。

 そこで一歩を踏み出す勇気を持っているというのは、称賛すべきことだ。


「というか面倒な人なんて、空先輩で既に慣れてるので」

「確かに。……いやちょっと待てどういう意味だい?」

「おお、見事なノリツッコミ」


 そういう意図ではやっていないとわかっていながら、僕は敢えてそう茶化してみる。いや空先輩が面倒なのは本当だが。

 平気で人をこき使うし、本音を語ることはほとんどないし、語っても敢えて遠回しな言い方ばかりするし。相手をしていてこれほど面倒な人もそういないだろう。

 しかし空先輩の本音も随分とわかってきた。

 空先輩は、魔法の世界に魅入られた人たちが自分と同じ道を辿らないよう、こちらの世界に引き戻すためにあれこれお節介を焼いているのだ。無償奉仕で、ただ相手のために。今どきそんな人はなかなかいない。


「あの、空先輩。結局、空先輩が言ってた『祝福も呪いに転じる』っていうのは、ただの趣味でも孤立の原因になるってことだったんですか?」

「まあ有り体に言ってしまえばね」


 やはり本音を遠回しな言い方抜きで探られるのは苦手なのか、空先輩は素っ気なく答えた後に話を逸らしにかかった。


「そういえば、茅野はあの饅頭を食べていなかったらしいよ」

「ん? 昨日の事件の話ですか?」

「まあね。小箱を開けた後、包み紙を残して弁当箱に回収しただけらしい。黄泉竈食になるのが嫌だったとか。まったく迷信深いことだね」


 空先輩は肩をすくめる。

 余談だけれど、黄泉比良坂というのは茅野さんがネット上でたまに使うハンドルネームだったらしい。本当に茅野さんは、その手の話にドップリだったことが窺える。


「でも結局のところ、最初から黄泉竈食は為されていたんだろう」

「……? どういうことですか?」

「食すというのは、身の内に取り込むということだ。その点、茅野は饅頭なんかよりも恐ろしい劇毒――黄泉の国のルールを、身の内に取り込んでしまっていたんだよ」


 だから黄泉竈食なんていう大昔の迷信も信じてしまったんだ、と先輩は締め括る。

 異なる世界の常識に生きる。それは確かに、この世界に生きる人間には、絶対にできないことだ。

 だから茅野さんは、この世界から爪はじきにされる呪いを受けることとなった。

 空先輩はそう言っているのだろう。


 でもまあ、その呪いは解かれた。解呪の魔法使いのお手柄だ。

 と、そんな風に心中で呟き――はたと気づく。


「ん……? あの、空先輩」

「何かな」

「空先輩って、『魔法を解く使命を与えられた魔法使い』なんですよね?」

「うん。それがどうかしたかい?」


 何かおかしなことがあるかと、空先輩は首を傾げる。

 どうしたもこうしたも、空先輩がそれを名乗っているのはおかしいんじゃないのか。

 思い返してみれば、先輩は事あるごとに魔法使いを名乗っている。魔女扱いされるたびに、自分は魔法使いであると繰り返し主張する。

 魔女と魔法使い、何が違うのかは知らない。空先輩の中では何か区別があるのだろうけれど、僕は聞いていない。


 問題はそこではなく、空先輩は魔法使いと名乗るのを躊躇わないということだ。

 魔法の世界に惹かれた者の末路――この世界から居場所を失うという末路を知っている空先輩が、どうして自分から現実に見放されるような称号を名乗る?

 言い換えるならば。


「どうして空先輩は、自分にかけられた魔法は解かないんですか?」

「…………」


 尋ねた瞬間、部室の時が止まった気がした。

 雑談の緩い空気がどこかへ消え去り、重い空気が場を席巻していく。

 もしかして踏み込みすぎたかと、今更になって後悔する。

 空先輩は分厚い本を、音を立ててパタリと閉じた。

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