ヨモツヘグイ事件 解答編⑤
「さて来たみたいだ。はてさてどうなることやら……」
ノックの音に応じ、空先輩はソファーから立ち上がってドアを開いた。
当然ドアの前に立っていたのは、茅野さんだ。今にも泣きだしそうな表情で空先輩を睨んでいる。
「どういうつもり……」
茅野さんがぼそぼそと、僕からは聞き取るのも困難なほど小さく呟く。
落ち込んでいるのかと思ったら、次の瞬間茅野さんは怒りを爆発させた。
「どういうつもり!!」
先ほどと同じ台詞が、今度は耳が痛いほどの大声で叫ばれる。
茅野さんの頬をツッと涙が伝う。それは悔し涙なのだろうか。
空先輩は突然の大声に顔をしかめながらも、茅野さんの腕を引いて部室の中に引き込み、ドアを閉めた。
「まず理解してもらいたいのだけれど、私は君のためにやったつもりだよ」
「何もかも見透かしたような顔して、偉そうにするのが私のため!? ふざけないで!」
茅野さんは感情のままに叫び散らす。おそらく自分が何を言っているかもわかっていないんじゃないだろうか。
「ふざけたことを言っているのはそっちだろう。なら君は、自分が真犯人だと露見してもよかったと?」
「勝手に憐れんで、情けをかけられるよりマシよ!」
震えるほどに拳を握りしめ、目の端から水滴を溢れさせながら、茅野さんは叫ぶ。
そんな茅野さんに、空先輩は冷たい目を向けた。
「嘘を吐くな。予告状なんて書いてる時点で、君の動機は明かされたようなものだよ」
「あなたに私の何がわかるっていうわけ!?」
「犯人が犯行前に予告状を出す理由なんて、だいたい四つしかないんだよ」
先輩は声に明確な苛立ちを混ぜながら語る。
「一つ目、自分の正当性を主張するため。二つ目、相手への挑発。三つ目、攪乱などの合理的目的のため。――そして四つ目。一人ぼっちの幼稚な人間が、かまってほしくてそういう迷惑なことをしでかすんだ」
どうせ君は四つ目の理由だろう、と空先輩は言外に仄めかした。
「そうやって、またあなたは好き放題……っ! 証拠もないくせに!」
「証拠? 君が自分で書いたんじゃないか!」
空先輩も明らかに苛立った様子で、遂には僕が初めて聞く怒鳴り声を発する。
「どうして予告状の名前を黄泉比良坂にした。黄泉竈食のミスリードを狙ったから? 食べることによる消失トリックを示唆したかったから? 文書に入れるんじゃダメだったのか? 黄泉比良坂よりそちらに向かう、とでも書いておけばいいじゃないか。そうせずにわざわざ名前にしたのは、君が、自分の名前にふさわしいと思ったからだろう!」
「ち、ちが……うるさい!」
「いいや言わせてもらう。黄泉比良坂は、この世とあの世の狭間の場所だ。どちらに属するものでもない、中途半端な境界の場所。この世にもあの世にも居場所がない自分にはぴったりだ、そう思ったから、君は、黄泉比良坂を名乗ったんだ!」
先輩が息を切らしながら、根拠というにはあまりに薄弱な推測を口にする。
そんなことは百も承知だろうに、それでも空先輩は自信を崩さない。
「違うなら、違うと言ってみたらどうかな」
最後に冷たく、空先輩は突き放したように言う。
それを受けた茅野さんは、悔しさにまみれた表情を崩した。
口喧嘩に負けた子供のように、悔しさはただ悲しさに転換され……
……やがて肩を震わせて、静かに泣きだした。
それを見てようやく、尖った態度を見せていた空先輩がいつもの表情に戻る。
「なんで……なんであなたは、いっつも……」
「呪いを解くのは、私の大切な使命だからだよ」
「使命って……なによ……」
意味がわからないと、茅野さんは泣きながら子供のように首を振る。
その問いかけに、空先輩はどこか遠くを見るような目で、ポツリと言った。
「……世界の狭間で迷子になった子を、元の世界に帰してあげることだよ」
「はぁ……? 意味、わかんないわよ……」
そんな曖昧な言葉ではダメだと首を振られる。
空先輩は普段から、本音を語りたがらない。それは僕も知っている。
しかし先輩は今、その主義を踏み越えようとしていた。
覚悟を整えるように深く息を吐き、空先輩は秘めたる思いを語り始めた。
「魔法――いや、この世ならざる幻想というのは、甘い夢だ。現実を忘れさせるその幻想に、誰もがつい縋ってしまいたくなる」
甘い夢。その言い回しをどこかで聞いた気がして、記憶を探る。
そして、当時朦朧とした意識の中で聞いたことを、今ようやく思い出した。
毒を隠した甘い夢。先輩にとって魔法とは何かと尋ねたとき、空先輩はそう答えた。
毒。そうだ。空先輩は魔法をただ甘いだけの夢とは言わず、毒を隠したと形容した。
「――だけどね。この世ならざるものに惹かれると、その分世界との距離が遠のくんだ。惹かれれば惹かれるほどに、どんどん現実から離れていって、そして気づいたときには完璧に孤独になっている」
先輩のその言葉に、不意に僕は、教室で小説を読んでいたときのことを連想する。
小説の世界は、当然現実ではない。その現実ではない世界に惹かれた僕は、クラスメイトのことを忘れて小説に没頭するようになる。やがて自分が世界でたった一人になり、周囲から人間が消え去って、世界に取り残されたと漠然と思わされる。
世界との距離が遠のくというのは、そういうことではないのだろうか。
「……それでも、たとえ現実から爪はじきにされようと、魔法の世界に行けるならよかったのかもしれないけれどね。残念ながら、そんな世界なんてないんだよ。私たちはこの世界にしかいられなくて、この世界から追い出されたら、どこにも行けない迷子になるしかない」
先輩は寂しげな声音でそう呟く。
今日、茅野さんが尋ねて来る前に少しだけ話をした。空先輩はぼっちなのかと。
先輩はそれを認めなかったけれど、否定もしなかった。
「だから私は、そんな孤独な人を生まないように、手遅れになる前に魔法を解くんだ。魔法の実在など信じてしまわないよう――孤独になる運命を辿らずに済むよう、導いてやる。それが私の役目なんだよ」
空先輩は優しく微笑みながら、すすり泣く茅野さんの肩に手を置く。
そういえば、ひと月前の事件で空先輩は言っていた。祟りを恐れる綾瀬さんに向けて、あの事件のことを忘れることこそが一番の罰になると。
今の話から考えるなら、罰などとんでもない嘘っぱちだ。むしろ先輩は、綾瀬さんを孤独の運命から救おうとしていただけじゃないか。祟りの実在を恐れる綾瀬さんに、魔法の実在を信じる心を忘れさせるために、空先輩は敢えてあんなことを言ったんだ。
「茅野。君はどうして、桐生さんのことをさん付けで呼ぶんだい? 同じ部活の、同学年の、同性の仲間なのに」
「そ、それは……」
「勝手な想像だけどね。あそこなら仲間を見つけられると思って入ったオカ研でも、君は居場所を見つけられなかったんじゃないかな。君の熱意についてこられる人は誰もいなくて、距離を置かれて、君はあそこでも寂しい思いをしていた。だから今回の事件を起こした。違うかい?」
「…………」
茅野さんは、空先輩の言葉を否定しなかった。
「私たちを、というか私を巻き込もうとしたのも、その一環だろう。寂しかったから、かまってほしかったんだ。そしてついでに私を論破できれば、他のオカ研部員にも幽霊の存在を信じ込ませて、自分が爪はじきにされることもなくなると思ったんじゃないかな」
空先輩は責める風でもなく、ただただ優しい声音で語る。
悪い魔法使い。空先輩は先ほど、茅野さんのことをそう呼んだ。他人に魔法をかけ、魔法の実在を信じさせようとする悪い魔法使いなのだと。
でも、先輩の語る茅野さんの動機に、童話に出てくる悪い魔法使いのような邪悪さなんて見当たらない。茅野さんはただただ純粋な思いで、今回の件に及んだんだ。
「そんなことを思っている君が、自作自演の犯人だとバレても構わないなんて、本気で言っているはずがないだろう」
仮にそれがバレたなら、部員内での吊し上げに発展することは想像に難くない。
空先輩が先ほど、真相を捻じ曲げてまで犯人の正体を有耶無耶にしたのは、それを起こさせないためだ。
「……さぁ、私は本音で語ったよ。君もそろそろ、本心からの言葉で喋ったらどうかな」
空先輩は茅野さんの正面に立ち、ただじっと茅野さんの言葉を待つ。
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