ヨモツヘグイ事件 解答編②

「ところで話は変わるけれどね。この予告状、一つ気になるところがあるんだ。この署名、黄泉比良坂とあるのだけれど、この名前はどうも黄泉竈食のエピソードを連想させる。死者の国の食べ物を口にするという、現世に戻れなくなるタブーのことだ」


 黄泉竈食を知らないかもしれない面々に、空先輩が概要だけ軽く説明する。


「今回の事件、例の饅頭は死者のために用意したものだったのだろう? ならそれを食べることは、黄泉竈食の一種といえなくもない。犯人は、それを連想させる単語を敢えて予告状に盛り込んだのではないのかな」

「へぇ。何のために?」


 やや突拍子もないことを言っている空先輩に対し、余裕たっぷりな様子で茅野さんは問う。


「挑発だよ。自分はこういうトリック――食べてしまうことによる消失トリックで饅頭をいただいていくと、ご丁寧に予告したんだ。いかにも君がしそうなことだね? 茅野」

「何? そんな勝手な想像で、私を犯人にするつもり? 何の証拠もないのに? 空も落ちたものね」


 茅野さんの余裕は崩れない。むしろ喜色を宿し、空先輩を挑発し返している。


「誰もそんなことは言っていないよ。今のはほんの雑談だ」

「なら本題に戻ってくれないかしら。それとも、これ以上は解けなかったから、この辺りでお茶を濁そうって魂胆なわけ?」

「いいや。――さあ、いよいよ大詰めに入ろうか」


 パン、と先輩が手を打ち鳴らす。


「犯行可能なタイミング、そして黄泉竈食に似せた、饅頭を食べることでこの世から消失させるトリック。それが行えるとしたら、茅野が南京錠を買いに行っていた際にここに残った三人だけだろう?」

「そうね、その理屈ではそうよね」


 空先輩の推理を、茅野さんは笑う。自分が犯人候補から外れたから喜んでいるのではないと、表情からあからさまに読み取れる。


「でも、それじゃあ箱を振ったときの感触と矛盾するわ」

「いいや、矛盾はしないよ」

「するわよ。饅頭がなかったら、振ったときに感触なんてするはずないわ」

「中には紙しかなかったら?」

「ええ、そうよ。代わりの物を入れた可能性もあり得ない。鍵を開けたとき、中には紙しかなかったんだもの。それとも、別のタイミングで誰かが抜き出したとでも言う? それができるなら、そのときに饅頭を盗めばいいじゃない」

「まあね。それはその通りだ」


 反論の応酬が続く。誰もそこに口を差し挟めず、この場は既に空先輩と茅野さんの対決の場として出来上がっていた。


「ところで、今は夏だね」

「それが何? 夏なら箱を振った感触を間違えるとでも?」

「そうじゃない。でも、箱を振った感覚を誤魔化すことはできる」

「どういうこと?」

「――水筒、と言えばわからないかな」


 先輩が、核心に一歩近づく言葉を発する。

 僕も先ほど気がついた、たった一つだけの可能性。学校という取れる手段の限られた場所で、それでもなお不可能を可能に変えるためのキーアイテム。

 あっ、という声をオカ研の誰かが上げる。どうやら気がついたらしい。それがあれば、確かに人間にも犯行が可能となる。

 いよいよ、空先輩の推理によって真相が明かされる時だ。


 ――にもかかわらず、なぜだろう。

 僕は茅野さんの様子に、強烈な違和感を抱いた。犯行タイミングの問題で、茅野さんは既に容疑者から外れている。だから不安を浮かべないのは正しい。

 しかしなぜ、茅野さんは今も喜色を浮かべている? 幽霊の犯行だと主張する茅野さんに、空先輩は今にも致命的な一撃を叩き込もうとしているのに。

 空気が読めていない? 先輩の言わんとしていることを読み取れていない?

 そうではない、何か茅野さんの自信を支える根拠があると、僕は確信してしまった。


「……はぁ」


 おそらく僕と同じものを読み取ったであろう空先輩は、なぜかため息を一つ漏らす。


「茅野、耳を貸すといい」

「は? 何よ急に」

「いいから」


 空先輩が茅野さんに接近し、耳に顔を寄せる。

 茅野さんは嫌そうにしていたが、仕方なさそうにそれを受け入れる。

 そして空先輩は、茅野さんに何事かを囁いた。時間にして、五秒にも満たないだろう。

 ただそれだけの、ほんの短い言葉。それで、茅野さんの様子は一変した。


「ぇ……」


 茅野さんが目を驚愕に見開き、次いでか細い声を漏らし、浮かべていた喜色は瞬く間に鳴りを潜めた。不安の色が表出し、空先輩を見る目は恐れに満ちていく。

 空先輩はそれに構わず元の位置に戻ると、何事もなかったかのように推理の核心を明かした。


「氷だよ。水筒には、氷が入っているだろう。犯人は饅頭を食べてしまった後、代わりに氷を箱の中に入れておいたんだ」

「ああっ!」


 未だ気づいていなかったオカ研の部員が声を上げる。


「茅野が妨害を試みるのは予想外だったはずなのに、余裕がなかった中でよく思いついたものだよ」


 短く、しかし珍しいことに空先輩は犯人のことを褒め称えた。

 氷を使用した消失トリックはミステリーでは有名だ。消えた凶器の正体はつららだったなんてトリックは、ミステリー好きなら一度は聞いたことがあるだろう。しかし、それを即座に現実に応用しようとするのは驚嘆に値する。


「これなら、施錠後に振ってみた感触を誤魔化しながら饅頭を消失させることができる。氷は融けてしまうからね。この夏の暑さだから、乾くのも早い。一日も経ってから開けたのでは、氷はすっかり融け、乾いた後。証拠は何も残らないという寸法だ」

「じゃあ、犯人は……」


 剣持君が先を急かす。空先輩はそれに頷きを返した。


「犯人の条件は二つ。一つは、茅野が買い出しに行っている間に部室に残っていたこと。もう一つは、昨日学校に水筒を持ち込んでいること」

「それって……」


 桐生さんが戸惑ったような声を発する。空先輩はまたも頷きを返す。


「そういうことだよ。買い出しの間ここにいたのは、桐生さん、桑原君、剣持君。そして水筒を持ち込んでいたのも同じく、桐生さん、桑原君、剣持君。――犯人は、この三人のうちの誰かだ」

「だ、誰がこんな?」


 桑原君が当然の問いを発する。しかし空先輩は、今度だけは首を振って答えた。


「それはわからない。桐生さんかもしれないし、桑原君かもしれないし、剣持君かもしれない。それを示す証拠は残っていないんだ。氷は融けて消え、水筒の中身は飲まれ、水筒は洗われてしまったんだから。もう検証のしようもない」


 空先輩は冷徹に、事件の迷宮入りを宣言する。

 ほぅと疲れを吐き出すようなため息を吐いた後に、空先輩は続けてこう語った。


「念のために忠告しておくけれどね。無理な犯人探しをしようとしているならやめた方がいいよ。謎は謎のままにしておく。その方がいいことだって世の中にはあるんだ」


 空先輩の言葉は、オカ研の部室で静かに響いていく。

 ただ、空先輩の本音を少しばかり聞かされている僕は、その言葉がどこか空々しく聞こえた。理想論をわざわざ口に出して語るのは、どうにも先輩らしくない。


「――ということで、私の推理は以上だよ。茅野、何か反論はあるかい?」


 先輩は、先ほどから一言も喋らない茅野さんに矛先を向ける。

 未だショックから立ち直れない、という様子の茅野さんは、何も語らない。

 ただ幼子がぐずるように、乱暴に首を左右に振るばかりだった。


「そうか。なら、私たちはここらでお暇させてもらおう。何か言いたいことでもあるなら、この後一人で来るといい。それじゃあ」


 空先輩は明らかに異様な茅野さんの様子に構わず、スタスタと入り口へと去ってゆく。

 納得のできないものを抱えていた僕は、ただ茅野さんの様子をジッと見ていた。

 そんな僕に、空先輩は短く声をかける。


「キュラ君、行くよ」

「でも……」

「いいから」


 再び、短すぎる命令。今日の先輩はやけに強引だ。


「部室に戻って、お菓子でも食べながら話そう」


 空先輩は冗談めかして言う。ここでは話せないから部室で、と先輩が仄めかしたのを、僕は辛うじて読み取ることができた。


「……わかりました」


 僕は後ろ髪を引かれる思いを味わいながら、空先輩と共にオカルト研究部の部室を退出した。

 最後にもう一度振り返ってみても、茅野さんの今の表情を、僕は見ることができなかった。

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