祟られた写真部事件 問題編⑨

 二人に聞き込みを行った後、僕らは一度魔法部の部室に戻った。

 腰を落ち着ける間もなく、先輩はとんがり帽子を取ってローブを脱ぎ、代わりにスクールバッグを肩にかける。これから帰宅しますという雰囲気に満ち満ちていた。


「えっ、先輩まさか、神社に行くって本気だったんですか?」

「そうだよ。それが?」


 何を当たり前のことを、と言わんばかりに空先輩は首を傾げている。

 普段は僕と同じく出不精のクセに、事件の解決に動いているときだけ空先輩は妙に活動的になる。なぜそこまで熱意を燃やしているのだろうか。


「というか先輩。さっきの最後の質問、なんだったんですか? 脈絡なさすぎて意味不明だったんですけど」

「ふむ……まあ答えてあげてもいいのだけれど」


 そう言う割に、空先輩はどことなく勿体ぶるような態度だった。


「キュラ君は確か、ファンタジー小説を書く勉強がしたいから魔法部に来たとかいう、大の本好きだったね」

「ええ、まあ」


 幼少期から読書を嗜む傍ら、少しずつ執筆にも手を伸ばしていったくらいには本が好きだ。

 部活を選ぶ際の第一候補は文芸部だったが、僕の求めていた方向性とは違ったので結局入部はしなかった。

 しかしこの学校には、生徒はなるべくどこかの部活に所属すべしというルールがある。悩んだ末に、これまで書いたことのなかったファンタジー小説の糧として得られるものがあればと、魔法部の門を叩いた。


「なら、ミステリー小説は好きかい?」

「まあ、かなり」


 一時期は熱狂と言ってもいいくらいミステリーに耽っていた。さりげなく散りばめられた、何の繋がりもなかったはずの情報が終盤で一気に繋がっていく。あの快感は他のジャンルではそうそう味わえない。

 だからミステリーは、僕が贔屓するジャンルの一つだ。

 そんな僕の事情を聞くと、先輩はふっと笑ってこう言った。


「じゃあ教えてあげない。自分で考えるか、解決編を待つんだね」

「ええっ。というか、今回の件ってミステリー仕立てなんですか? ただの事故みたいなものって可能性は……」

「ないよ。私の明日のおやつを賭けてもいい」


 空先輩は力強く断言した。先輩がどれだけおやつにこだわりを持っているのか知っている身としては、黙り込むしかない。


「それじゃあ私はさっき教えてもらった神社に行ってくるけど、キュラ君はどうする? うだるような暑さの中なら、私もうっかり情報をこぼしてしまったりするかもしれないけれど」

「…………」


 卑怯な。ミステリー好きとしては、調査シーンを一つ丸々読み飛ばして解決編に入るなど言語道断。把握していない証拠が出てくる解決編など、興ざめにもほどがある。

 僕は窓に歩み寄り、外の様子を確認する。陽光は燦々と降り注いで気温の上昇に一役買い、鳴りやまぬ目覚まし時計の如き鬱陶しさでセミたちは夏の到来を知らせている。まだ梅雨が明けてすぐだというのに、太陽もセミも全くご苦労なことだ。

 外の世界を席巻する夏の空気に、僕はため息を吐いた。


「はぁ……わかりました。行けばいいんでしょう、行けば」

「おお、じゃあ一緒に行こうか、キュラ君」


 空先輩が不純物抜きの微笑みを見せてくれる。それが照れくさくてつい目を逸らしながら、僕も帰り支度を済ませるのだった。


「なるほど、キュラ君はこう操ればいいのか……」


 空先輩の不穏な呟きは、聞かなかったことにしておいた。



◇◆◇



 そうして、外に飛び出したわけだが。

 夏本番も迎えていないというのに、じりじりと照りつける日差しが僕の皮膚を苛む。じっくり焦がされる感覚は、全身が微振動しているかのようだ。

 周囲の景色は、田舎と呼ぶには住宅が多いが、都会と呼ぶには畑が多い。人の暮らしと自然が中途半端に融合していて、奇妙な趣がある。その趣も、この酷暑では感じる余裕がないが。

 彼方の先には陽炎が立ち上り、地平線の向こうどころか手前ですらも曖昧なものに仕立て上げている。いずれあの陽炎がこちらまで侵蝕してきて、全ての現実がああやって曖昧になってしまうのではないだろうか。そんな不安が唐突に芽生える。


「おーい。キュラ君、大丈夫かい?」

「だい、じょぶ、です」

「おおう死にかけ……普段どうやって登下校しているんだ君は」

「えっと……空飛んで、バビューンと」

「吸血鬼が日中にそんなことをしたら確実に焼け死ぬだろうね」


 そうだろうか。案外、上空の大気や吹き付ける風に冷やされて、鎮火するかもしれない。

 つまり吸血鬼は日中も行動できる最強の存在だった……?


「ああダメだ、頭働いてないですねこれ」

「轢かれないように気をつけてくれよ」


 珍しく素の声音で心配されるが、それを茶化す余裕もなかった。

 陽炎に呑み込まれたように、世界の全てが曖昧になっていく心地だ。眩暈などはないが、暑さでふらつく。なぜ世界はこれほどまでの過酷(ただの晴れ)を僕に押し付けるのか……。

 そんな僕の様子を見て、空先輩はため息をこぼした。


「仕方ない、キュラ君の頭が回復してくれるよう、一つだけ質問に答えてあげよう。何が聞きたい?」

「ええ、それじゃあ……」


 少しだけ頭を絞って悩んでみる。この状況をミステリー小説の一場面として見るなら、いきなり重大なネタバレをねだるのはいただけない。それじゃあ僕も面白くない。となると、神社云々に関することは聞かない方がいいだろう。

 ならやっぱり、僕が知りたいのはこれだ。


「この事件は、魔法部が出張るべき事件ですか?」

「ああ。その通りだ。この事件の謎を解くのは私の仕事だよ」

「それは、この事件が魔法によって起きたものだから?」

「質問は一つと言ったはずだけれど……まあいいか」


 空先輩は投げやりにそうこぼす。

 実際、ここで先輩が何を言ったとしても、きっと僕の意識にかかった陽炎が覆い隠してしまうことだろう。先輩もそれを察しているのか、敢えて口を閉ざしたりはしなかった。


「そうだね。この事件は魔法の事件だよ」

「幽霊の仕業ではないのに?」

「ああ」

「なら幽霊以外の魔物の仕業?」

「違うだろうね」

「なのに魔法の事件?」

「そうだよ」


 足りない頭が、意味のない質問ばかりを繰り返す。空先輩はそれに嫌な顔もせず、丁寧に答えてくれた。

 魔法の事件。おまじないの最中に女の子が倒れ、原因は心霊写真の幽霊だと言われている。

 ――しかし空先輩曰く、この事件は幽霊の仕業ではない。


 本人が申告するところによると、原因は精神的な不調。ではただの、綾瀬さんの個人的な事情によるものではないのか。家庭の事情か何かで不安を溜め込み、それが眩暈を発症させるに至ったのではないか。

 ――しかし空先輩曰く、この事件は魔法の事件だという。


 空先輩のその言葉が、常識的な理解を拒んでいる。事件の原因は、幻想のヴェールに覆われて判然としない。

 魔法。人の力を超越した不可思議を引き起こす術。では魔法の事件とはなんだ?

 ふと意識の靄が晴れ、ほんの一瞬だけ聞くべきことが鮮明に浮かぶ。


「……先輩にとって、魔法ってなんなんですか」

「それを聞かれるか。そうだね……」


 空先輩は言葉に詰まった様子だった。自分でも言語化できていないのか、それとも伝えるべきではないと考えているのか。沈黙のうちに、耳の裏辺りに汗が伝って不快感が走る。

 ふと一陣の風が吹き、不快感が取り払われ、全身が涼しさに包まれる。

 その僅かな間隙を縫って、空先輩はこう答えた。


「毒を隠した甘い夢、かな」


 風に乗って運ばれた先輩の声が、僕の鼓膜を震わせる。

 けれどその声は僕の解釈を待たず、そのまま風と共にどこかへと飛んで行く。夏の暑さはすぐに僕を包みなおして、先輩の言葉を咀嚼する余裕すら、もう僕には残っていなかった。

 今の言葉は先輩の本音なのか、それとも単に事件になぞらえて言ったことなのか。

 先ほどの声が延々と繰り返される脳内で、ただそれだけが、今は気になった。

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