エピローグ(現代編)




 目が覚めたのは硬いベッドの上だった。


 天井が見える。

 それは赤い下地に黒い龍を金で縁取りした、例のきらびやかな天井ではなく、白く無機質な材が使われていた。


 目を開けて、キョロキョロと周囲を観察した。

 身体のあちこちが軋む感じで怠かった。

 起き上がらなくても、うるさい太華が文句を言わない。その上、消毒薬の匂いがきつく、いかにもここが病室だといわんばかりだ。


「俺は誰だ、ここはどこだ?」

「獅子王さん!」


 ふいに顔の上に現れた、ぼんやりした影が、ひとつの顔に固まっていく。覗き込む男の顔に焦点が合った。

 なつかしい、部下の佐久間の顔だ。

 キスしたいほど、嬉しいぞ。


「先生! 看護師さん、獅子王さんが、早く先生を呼んでください」

「相変わらず、うるさい奴だ」

「よかったぁ! 獅子王さん、本当によかった」

「佐久間、ここはどこだ。俺は誰だ」

「し、獅子王さん、まさか、頭をうって記憶喪失とか、先生!」


 病室の扉が開くと白衣を着た男が現れた。

 知らない顔だが、医師だろうな。


 ピッピッピッピという電子音が聞こえ、おれは頭を巡らして周囲を見た。


「ここは病院なのか、佐久間。俺は、どのくらい寝ていた」

「一週間ですよ。獅子王さん、もう目覚めないのかと、心配でした」

森上莞しんじょう・かんはどうなった」

「覚えてないんですか? ビルの屋上から飛び降りて、やつが獅子王さんの下でクッションになって、だから、あなたが助かったんです」


 その過去は違うだろう。

 なぜ、結果が変化している。本来、起きたことは、俺が奴のクッションとして落ち、奴は生き延びたはずだった。


「それで、奴は死んだのか」

「残念ですが、獅子王さん。被疑者死亡ではありますが、お手柄ですよ。ま、この一週間は大混乱でしたが。ピンキーフィンガー事件は結果として被疑者死亡のまま不起訴処分とされる予定です」


 そうか、本当に死んだのか……。

 暁明、おまえの犠牲のもとに、すべてが終わったのか。


「なあ、佐久間。おまえ、歴史好きだったな。歴史上には殷王朝という国があるか、知っているか?」

「獅子王さん、ひさしぶりに目が覚めたから、またまた奇妙なことを。急に殷王朝って。それ、中国史最古の王朝のことですか。紀元前十七世紀くらいからはじまったのが殷王朝ですが、それのことですか?」

「あるのか……」

「過去には伝説の王朝と言われていましたね。前十六世紀中ごろで、殷の湯王が夏の桀を滅ぼしてできた王朝です」

「紀元前か。どれくらい続いた」

「おおよそ六百年でしたか」

「ふ〜〜ん、そこに殷麗孝イン・リキョウという帝はいたか」

「さあ、それは……。殷王朝は解明されていない謎が多くて、使っていた甲骨文字こうこつもじの全容も未読のものが多いですから」

「そうか」

「また、なんで中国の歴史なんですか」

「気にするな。ああ、そうだ。カーテンを開けてくれないか。外を見たい」


 佐久間は気安く立ち上がると、カーテンを引いた。

 雪が降っていた。


「今日は雪ですよ。昨日の夜からふりはじめて、東京では初雪になりますね」





 神は気まぐれ、か……。




(つづく)

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