白く透き通った昼の月 2




 ──春のかそけき光のなか……。


 世界も、時も、運命も、すべてが幸せに満ちていた。


 少女は屈託もなく笑い転げ、なぜ幸せであるかなど、その理由を知ることさえ忘れている。

 あの少女が、わたくしだったとは、なんて遠くへ来てしまったのだろう。


 あれは夢のよう。

 

 父や、母や、兄や。

 優しかった乳母もいた。


 記憶のなかで、その幸せが血塗られ、悲痛な顔が浮かぶ。

 魅婉は首をふって、過去を追い出す。


 幸せな時代だけを覚えていたい。

 あの今では寂れてしまった王宮が明るかった頃のことだけを……。



 生まれ育った王宮の奥には、樹木に隠された小さな中庭があった。庭には噴水が設えられ、常に心地よい水音を立てている。そこは、ふたりの絶好の隠れ場所になっていた。


麗孝リキョウをまいた?』

『かわいそうだよ、魅婉。なぜ、麗孝に冷たくする』

『だって、彼はなんでも持っているから、せめて友だちくらいは、世の中がままならないって教えてあげなきゃ』

『まったく、君は。彼のこといじめて楽しいのだね。こう王宮に、こんな秘密の場所があること、彼は知らないだろう』

『いいこと、暁明シァミン。けっして他の人に教えちゃだめよ。秘密だから』

麗孝リキョウにも?』

『そう、麗孝こそよ』

『彼が好きなんだね』


 魅婉は声を出して、くすくすと笑った。

 どれだけ笑っても足りないかのように。


 噴水の向こう側で、暁明が眩しそうに目を細める。

 彼の薄青色の上衣は透け、色白の肌をほどよく見せて、それが彼によく似合っていた。


 なんでもない日だった。

 ただ、空は青く、穏やかな気候で、暁明がいるだけの。


 魅婉は噴水の淵に腰をおろして彼を見あげる。

 この角度がちょうどいい。下から見上げるこの角度で彼は神秘的に輝き、普通の人とは違う何者かになる。この世界に彼ほど魅力的な人はいないだろう。


 ぴちゃぴちゃと泉の水で遊ぶふりをしながら、時おり暁明に視線を送る。


 彼は上の空の様子で、天に浮かぶ昼間の月を見ていた。

 その姿は悲しいほど美しい。


 静けさに満ちた秘密の庭。

 噴水の水音。

 白く透き通った昼の月。

 紺碧の空。

 そして、暁明シァミン

 なにもかもが完璧で、なにもかもが危うい。


 月を見る彼の姿が今にも空気に融けていきそうで、いっそ禍々しくあった。

 少し怖くなった魅婉は彼を呼ぶ。


暁明シァミン


 ゆっくりと彼が振り返る。


暁明シァミン


 彼が小首をかしげる。


『どう致しました?』

『ずっと、わたくしの側にいてくれる』

『ずっと、あなたさまを見守ります』

『誓って』

『命にかけて……』


 わたしたちは幼い言葉で、自分たちが本当には理解できない思いを語った。


 あの頃に戻れるなら……。

 わたくしは、ほかに何を望むだろう。




(つづく)

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