皇太子との謁見と夜




 板戸を開け、天佑が外へ飛び出した。

 そこで見つけたのは黄暁明ファン・シァミンで……。まばゆいばかりの太陽光を受けて佇んでいる。


 暁明だったのか。


暁明シァミンか。何をしている」

殷麗孝イン・リキョウさまが、朱鳥殿にて報告をお待ちです。お出でください」

「そうだったか、わかった」


 俺といえば、あるいは襲撃かと思い込んで、頭を抱えて床にうずくまっていた。この身体の防御方法は完璧になりつつある。


魅婉ミウァンさまも行かれますか?」


 暁明シァミンが、ちらりとこちらを見た。彼は庭に立っていたので、薄暗い部屋の中は見えなかったにちがいない。


「一緒に行こう。何かあるのかもしれんからな」

「かしこまりました」


 俺は天佑の後をついて外に出た。

 回廊の階段を降りるとき、暁明がさっと近づき自然に手を差し出して俺を助ける。

 なんだろうか、この守られてる感。心地よさと苛立ちが相半ばする気分だ。


 残虐な事件とか関係なく、今日もよく晴れた日で、そういえば、ここに来てから雨も雪も降っていない。

 冬だろうが、まだ秋の気配も残っている。


 そう考えた俺を嘲笑うように一陣の冷たい風が吹き、木の葉がゆれ、ざわざわと音を立てて散った。空気が一段と冷えていく。


「では、参りましょうか、魅婉さま」


 いつのまにか、天佑と隣だって歩くのが普通になった。今日は背後から暁明シァミンもついてくる。

 なんとなく居心地が悪い理由がわかるような、わからないような。

 俺は首もとをかいて、チラリと背後を伺った。暁明の目は相変わらず優しさに満ちている。


 ──なんだかなぁ。よほど魅婉を愛しているんだろうな。


「なあ、天佑」

「なんでしょうか」

「暁明は、なぜ隣を歩かない」

「宦官にも身分があります。彼はそれに忠実なのです」


 そんなものなのか……。

 しばらく、俺たちはそれぞれの物思いに耽りながら、朱鳥殿まで歩いた。


 皇太子が政務を行う朱鳥殿は東宮の南側にあり、他の建物と同じように回廊が巡っている。

 正面口で案内を乞う。

 すぐに「入れ」という張りのある声が聞こえた。

 そこは、だだ広い床張りの部屋で、殷麗孝イン・リキョウが文机の前にすわって巻物を読んでいた。


「しばし、待て。これを片付けてから、あらためて聞こう」


 俺たちは中央に置かれた円座の上に腰をおろした。

 麗孝リキョウは次から次へと巻物を読み、必要なら印章を押す。それから、隣に控える内侍ないしに手渡した。


 刻々と時が流れた。

 昼間とはいえ、寒さを防ぐため障子戸はすべて閉じており、薄暗い部屋は燭台の灯りしかない。


 床からジンジンと寒気が這い上がってくる。

 

 もう少し厚着をしてくるべきだった。軽くくしゃみをして鼻をすすると、麗孝リキョウが顔をあげた。

 魅婉の身体は冷えやすく手足も常に冷たい。筋肉量が多かった俺とは鍛え方も違う。


「寒いのか」


 麗孝は返事を聞かず、ただ、内侍に手で命じた。

 すぐに火鉢が用意され、俺と天佑の前に置かれた。赤く燃えた炭火に手をかざすと温かいが、これだけで部屋の暖房が十分ではない。


 俺は両足でぐるっと火鉢を抱きこみ、熱をもった側面に身体を寄せた。隣の天佑が驚きのあまり目を見開いている。

 ここに太華がいなくてよかった。


 さらさらっと巻物を閉じる音がして、麗孝リキョウが顔をあげた。天佑と双子のような表情を見せ、首をふった。


「魅婉……、その格好はないぞ」

「寒いんだ。仕方ないだろう」

「魅婉さま、殿下に対して」

「よい、天佑。気にするな」


 麗孝は面白そうに俺をみて、とびきり魅力的に唇を右に引き上げた。こいつは、自分をどう見せれば女たちが喜ぶか知っている。


 殺された仙月と秀鈴は、おそらく、この──顔も権力も名誉も、すべてを手中におさめた──男への、虚しい嫉妬に苦しんだのは間違いない。


「待たせたな。現状を報告せよ」

「はっ、殿下。秀鈴シューリン殿は仙月殿との同じ相手によって、あの場に、おぞましい姿で置かれたのは間違いないようです」

「そうだ、飾るようにな」と、俺は付け加えた。

「飾る?」

「ああ、犯人はあの場に被害者を置くことで、自分の芸術作品を飾ったんだよ」

「被害者とは、どういう意味だ」

「ああ、そうか。殺された女たちのことだ」


 俺は火鉢を抱いたまま、そう答えた。


「続けよ」

「秀鈴の状態は、死後硬直から見て、と言ってもわからんだろうが。ともかく殺されたのは、昨日の夕暮れ以降、俺たちが呑気に夕食を食べていた後だろう」


 麗孝リキョウは気まぐれに立ち上がると、俺の前まで来てしゃがんだ。目の前にある顔が近すぎる。

 しかし、ここで顔を逸らしては男がすたるってもんだ。


「そなた、余が聞き及ぶ噂によると、呪われているようだな」

「でたな、化け狐って噂か? でもな、態度を今さら変える気はないぞ」

「別に変えろとはいっていない。元気になってなによりだ。昔のようとは言い難いが……、幼いころのそなたは明るく素直で、よく笑っていた。はじけるような笑顔は周囲を温かくしたものだ。その笑顔を失って久しいが、今度は、ふてぶてしくなった。まるで別人のようだ」


 どう返答して良いのか困った。俺は魅婉ではないが、そう言ったところで、どうせ気が触れたとか、呪われたとかになるだけだ。


「今は、そこが大事じゃないだろう。この事件は、まだまだ続くぞ」

「それは呪いの言葉か」

「いや、違う。現状を分析しての予想だ」


 麗孝は俺から視線をはずすと、天佑を見た。


「それが本当なら、天佑。由々しきことだ。『呪祓いの儀式』を執りおこなおう」


 え?

『呪祓いの儀式』って、いったいなんの話だ。


「それはよいお考えにございます。後宮内での動揺も根深く、女官たちは打ち震えております」


 天佑、おまえまでそこに向かうのか。


内侍ないし。礼部尚書(礼楽・祭祀・外交・教育などを司る部署)に申し伝えよ。東宮のみで行う簡素なものでよいとな」

「かしこまりましてございます」


 いや、かしこまるな。

 それは違うぞ。


魅婉ミウァンよ、何か文句でもあるのか」

「あの、そんな儀式を行なっても殺人は終わらない」

「ほお、なぜだ。後宮の者たちが怯えておる。それを治めるのも、余の仕事だ」

「はあ……」

「本当に、面白い奴だ。そんな大きなため息をついている場合か。前回、部屋を訪れようとしたが延期になった。今日こそは、そなたとじっくり話したい。今宵は『北枝舎』で過ごす」


 麗孝リキョウは不吉きわまりない顔で背後を振り返った。


「内侍」

「は」

「そのように太華に伝えよ」

「かしこまりましてございます」


 おおおおおおおっ?


 な、なに言ってんだ。このクソッタレ皇太子!


 


(つづく)

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