まさかの夜伽で、皇太子が寝室に
「今宵は北枝舎で過ごそう」
それって、どういう意味だ。てか、どういう意味もない。夜、側室の部屋に来るって意味は、つまり……。
俺は白目を剥いて倒れそうになった。
横目で天佑を見たが、別に表情も変えていない。
おい、相棒。なんとかしてくれ!
「戯れがすぎるぞ、皇太子」
「なんの戯れだというのだ、
「忘れてます。きっぱり、はっきり、存分に忘れています。きっと、皇太子のかんちがいとか、そういう方向で頼む」
「なんと、つれないのだ。そんなに恥ずかしがらなくもよいぞ。可愛い奴」
お、おまえ、楽しんでるな。俺を窮地に陥れて楽しんでるにちがいない。
どうしたらいい……。
逃げ道はない。
森上のこともある。
にこやかな麗孝を残して朱鳥殿を辞し、天佑たちと別れ、俺は必死に考えた。
獅子王よ。これまで、さんざん頭脳派だと吹聴してきただろう。
いいか、これは効率的な具体案が必要だ。それもひとつではまずい。第一案から第三案まで備えるんだ。一手二手三手と、複合的な攻撃と備えが肝心だ。
まずは戦闘不能にすることだ。
男が萎える状況ってのは、よくわかっているだろう。
常套手段だが、まずは酔わせる。
それだけでは弱い。眠らせる。
これだ!
医官から眠り薬を調達して酒にまぜて、眠らせる。
単純だが確実な手法だ。
やっぱり俺は最高だよ。
ま、皇太子といえど、俺にかかればこんなもんだ。楽勝ってやつだな。
俺は意気揚々と医官のもとに行き、「化け物でも、あっという間に眠らせるような、眠り薬をくれ」と、頼んだ。
「いったい、何にお使いに」
「気にするな。犯人逮捕の一助だと思え」
「かしこまりましてございます。お待ちくださいませ、え〜っと、おや、
在庫がなかったが、あった……。
俺は上の空で薬を受け取りながら、『なかったものが、あった』という言葉が妙に心に引っかかった。
なかったものが、あった……。
その意味は?
まさか、そうか、そうだったんだ。天佑、天佑はどこにいる。
俺はまっすぐに東廠に向かい、天佑を探した。
「どうしました、魅婉さま」
「わかった。天佑、わかったんだ。
「それが、今更の理由ですか?」
「いいか、俺たちはかんちがいしている。あの狭い部屋に、あるものじゃなかったんだ。彼女は、ある者に『ないものがある』と言われ、それを慌てて探した。あの日、明明が秀鈴のことを話したと知らされ、そして、何かを部屋に置いたと言われたとしよう。それは、部屋にあってはまずいものだ。決定的な証拠になるもの」
「仙月の小指でしょうか」
「それだ、天佑。察しがいいな。森上は、そういう悪ふざけで人を操る。そんな奴だ」
「森上?」
「そこは気にするな。ともかく相手は女官たちが完璧に信用するような奴だ。顔のいい男、人気のある奴。そして、あの日、犯行現場を隠すことができる奴だ」
「後宮で、それにあたる人物は、それほど多くはない」
「探せ!」
「魅婉さまは?」
「今の俺は、それどころじゃないんだ。大危機が待ち受けている」
「なんでしょうか? 魅婉さま。あなたの危機なら、わたしも全身全霊をかけてお救いしますが」
天佑が真顔で言っている。
「いや、気にするな。こっちでなんとかする」
「あなたさまなら、きっと大丈夫でしょう」と、天佑は信頼に足る笑顔をつくった。
いい男だな。親友になれそうだ。
……まあ、というわけで、俺は意気揚々と北枝舎に戻った次第で、想像通り太華が待ちかまえていた。
「姫さま、やっと、お帰りになられた。遅うございます。ついに、この日が来たのでございます……。太華、これまで生きてきて最高のお知らせを受けました」
「最低の間違いだろう」
「さ、さ、ご準備せねば。花びらを浮かべたお湯も用意してございます。どうぞ、お身体をお清めいただいて。このところ、姫さまは物騒なことばかりなさって。太華は心配で、心配で」
太華とその手伝いで来た女官と、そして、驚くべきことには、側室の
「なんでだ、
「
全員、気合いが入りすぎだ。
それに、側室だろう。俺たちは敵じゃないのか。なんで協力するんだ。
「
「本当に、太華。わたくしも心配しておりました。わが部屋の最高に化粧がうまい女官も連れて参りましたわよ」
「ありがたいことにございます」
ふたりとも興奮で顔を真っ赤にしながら喜んでいる。
なぜ、このふたりが手を取り合っている。その上、
ま、ま、良い。
俺には眠り薬がある。
とりあえずは、ふたりの言いなりに装わせておこう。ここで反抗しても、後が面倒だ。
冬の夜は早い。
薄暗くなり、女官がいそいそと燭台の灯りをつけている。奇妙に刺激的な香りが漂う。どうも太華、渾身の香料で部屋を満たしたようだ。
「姫さま、どうぞ、おしとやかになさって、こちらにおすわりください」
憂鬱なことに寝台はシーツもすべて新しくなり、その前に透ける布がかかる几帳がおかれた。向こう側の寝床を、いい感じに、思わせぶりに、やたらムードよく見せている。
いやいやいや、頼む。
どうしたらいい、なあ、
おまえだって嫌だろう?
ちがうか?
相手は幼馴染の
だめだ、だめだ。
想像するだけで、全身に鳥肌が立ってくる。
俺は朱塗りの膳の前にすわると、太華が床に額をつけている。
「
太華、そこ祈るところじゃない。
泣きそうな顔で、鼻をすすってる場合じゃないんだ、太華。
「なあ、太華。先に確認しておくが食事をだすよな」
「はい、さようにございます。ですが、恥じらいをもって、あまりガツガツとお召し上がりになどなさいませんように。ちょっと箸をつけるぐらいに。そこは、それ。恥じらいにございますよ」
ない!
「わかった、わかったから、酒はヤカンに入れて用意しろ。それもふたつだ。トックリじゃだめだ」
「
「俺用のヤカンには水を入れておけ。いいか、恥じらいをもって水を飲むから、さっさと用意しろ!」
この愚か者がっ。
酒に眠り薬を先に入れとくんだ。わからんのか。ともかく、このピンチをなんとかせねば。
俺は自分の腕を見た。
なまっちょろい白い肌と、ぷよぷよの気持ちはいいが、役立たずの筋肉。これでは対戦方法が見つからん。
相手は戦いで鍛えた大男だ。
なんとしても、これを乗り切る。
だ、大丈夫だ、獅子王。きっと、大丈夫だ。
「まあ、
「ああ、急げ! 俺の運命はそこにかかっている」
太華が腰をあげたとき、運命のゴングが鳴ってしまった。
「皇太子さまの、おなりぃ」
障子戸の向こう側から不吉な女官の声がした。
早い、まだ、準備ができてない。
「太華! 大至急だ、すぐに膳を用意しろ! ヤカンに酒、俺には水。忘れるな!」
俺の声にかぶさるように、障子戸が開いた。
それが寝巻きなのか、白い衣装に、ガウンのようなものをはおった
(つづく)
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