殺人に、まったく躊躇がない相手
「東明殿及び朱鳥殿、異常はありませんでした」
「女官寝所及び、その周辺、姿は見えません」
「
続々と知らせは届き、宦官たちは後宮内をくまなく探しているが、まったく発見できない。
おそらく、探している宦官に裏切り者がいるにちがいない。
「魅婉さま。闇雲に動いても何もなりません。夜も深く今日のところは、お帰りください。警護のものを数名侍らせますから」と、天佑が『北枝舎』に戻るよう促した。
街灯も監視カメラもない後宮は、あちこちに真の闇が存在する。ここで無闇に動けば危険だ。特にこの身体は小さくて弱い。
森上の狙いが俺なのは確実で、狙う方にとっては、ふいをつける闇があり防御には不利だろう。
その上、冬の夜だ。
足もとから寒さがジンジンと伝わってくる。手も足も冷えきり身体の震えを止められない。
「わかった。明るくなれば、すぐ戻る」
「どうぞ、十分にお気をつけなさってください」
松明をかかげる天佑の顔が不安そうに見えた。
俺は警護の者たちに守られ『北枝舎』に戻ると、太華が待っていた。
「ひ、姫さま、ご無事で」
「ああ、この通りだ」
「恐ろしゅうございます、姫さま。どうぞ太華の側をお離れにならないでくださいませ」
「太華、心配はいらん」
狼狽えているのは、太華だけではなかった。後宮内の、ここかしこで目に見えない恐怖に誰もがおびえている。
夜の後宮を走りまわっていると、あちこちから声が聞こえてくる。現代の家とは違い、後宮の建物に防音設備などなく、いくらでも音は漏れてくる。
『非業の死を遂げた皇太弟さまの呪いかもしれません。この後宮は呪われています……』
『そういえば、数日前、北の空にまばゆい光が見えたという者も。あな恐ろしや』
『なんですか、魅婉さまに千年の狐がついたとも』
なにが千年の狐だ。
おれは刑事だ、まったく、どいつもこいつも。
そして、明け方未明。
厨房奥にある使われていない倉庫で彼女は発見された。
「いいか、天佑に伝えろ。現場を荒らすな! 俺が見る」
厨房は後宮の北側に位置し、俺の舎から見れば北西方面だ。
しかし、向っ腹が立つな。
あいつは、すぐ近くにいて俺の動向を伺い、嘲笑っていやがるにちがいない。
俺は走った。
「
隣で声がして、横をみると天佑が併走している。
「どうして、ここにいる。暇かっ!」
「あなたさまの事ですから、現場にすぐ駆けつけるでしょう。止めにきました」
「なぜだ。現場には証拠が残るはずだ。俺以外に誰がそれを発見できる」
「おわかりになっていないようです。後宮の噂を軽んじてはいけません」
「どういう意味だ」
「あなたが皇太子さまの側室であることに、快く思っていない者がいるということです。ここで派手に動けば、その一派を利することになります」
急ブレーキをかけるように、俺は砂利の上で立ち止まった。
「はっきり、名前を言え」
「はあ」
「俺を疎ましく思っている奴らだ。皇太子妃の関係者か」
「いえ、恐れながら申し上げれば、
天佑は困ったような表情を浮かべた。
「わたしは、多くの者に恐れられています。職業柄、あえてそれを否定していませんが、しかし、あなたは全くわたしを恐れていない」
「それで、天佑。何がいいたいのだ。そもそも、おまえは職務に忠実で誠実な奴だ」
「時折ですが、あなたが年上に思えてしまいます。いや、あの、何を言っているんだか……、そういうことではなく。心配しているのです。このままではお立場が悪くなる一方で、皇太子さまもお守りできなくなるかもしれません」
俺は、あきれた気持ちを目で表現して、くるりと回した。
「さあ、行くぞ、天佑。俺たちはいい仲間だ」
「ですが」
「帝だろうが、皇后だろうが。後宮で起きる凄惨な殺しには心を痛めているはずだ。だから犯人を捕らえればいい。そうすれば、すべてが丸くおさまる」
「そう、単純な話でもないんですが……。ただ、どこにでも殷帝さまの目や耳があります。言動にはお気をつけください」
「わかった。行くぞ」
軽くため息をつくだけで、天佑は返事をしなかった。
倉庫の周辺には、すでに人が集まっていた。この娯楽の少ない世界では刺激的な事件ほど、人びとの好奇心を満たすものはないだろう。
それは現代でも同じかもしれないが。
SNSの投稿など見ていると、人ってのは基本的に噂好きであり、自分の身に災いがふりかからない限り、冷静であり大人の対応ができ評論家でいられるものだ。
ただ、今回の事件はより残酷であり、我が身にふりかからないとは言い切れない。
それが人びとを不安にしている。
食庫の壁にもたれた姿で発見された
森上莞のやり口だったが、犯行時間の間隔が早すぎる。
現代にいたとき、彼の犯行と犯行の間は、少なくとも数ヶ月。長ければ一年以上の間があった。
これはどういうことを意味するのだろう。
この世界で、彼は衝動を抑えきれなくなっているのだろうか。それとも、別の要因があるのか。
俺は犬のように這いつくばって、彼女の身体の匂いをかいだ。
みな、俺の行動に驚いているが何も言わない。
「天佑。これは前の仙月と同じだ。首を絞めて、ここに寝かせた。ただ犯行場所は、ここだ。見ろ、失禁の跡がある。この場に来たとき、彼女はまだ生きていた」
「そうですね」
「現場保全をしておけ。医官に検視させて、俺たちは部屋に行こう」
「厄介なことになりました。また、皇太子妃の女官で、それも二美人と呼ばれた、もう片方です」
一応の現場検証を終え、俺と天佑は許可を得て、
仙月と秀鈴の仲はよくなかった。
皇后と皇太子妃、姑と嫁の関係が、ふたりの関係をさらに複雑にしている。
「やはり同じだな。この部屋で殺されなかったという違いはあるが」
「なぜ、このような面倒なことをしたのでしょうか」
「おそらく、捜査の撹乱をしたいためであろうな」
「撹乱……」
「天佑」
「どうか、そっと、身体を伏せてください」
俺たちは同時に、なにかの気配を感じた。
仙月のときと同じだ。誰かが、この部屋を伺っている。
天佑は、すっと音もさせずに障子戸に向かうと、外の気配をうかがった。
(つづく)
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