嫉妬とは手に負えないものだよ




 明明にいくら問いただしても、森上の影が見えず埒が開かなかった。


「では、別のことを話そうか。仙月のことを教えてくれ」


 仙月というだけで彼女の顔はゆがんだ。


「名前を言うのも穢らわしい女です。あ、あの女は、自分の身分も顧みず、あまりに、あまりに理不尽に花楓さまを蔑んだのです。ね、わかるでしょ。魅婉さまなら、おわかりになるはず。あんな女が、なぜ」


 それから、ひとしきり明明は口汚く仙月をののしった。


「あの、女を、魂の底から、呪ってやる。最低のクソ売女だよ!」


 顔は醜く歪み、憎悪だけで人を殺しそうな勢いだ。

 俺は辟易して、前のめりだった気持ちが引いていた。まったく理解しがたい感情だ。殷麗孝イン・リキョウは、その地位だけでなく、危険な色香をもつゆえに女たちの狂気を更に呼ぶ。

 男として、羨ましいかって?

 いやな、ここまでになると奴に同情を覚えるよ。

 

 後宮は女の世界だ。

 嫉妬や僻み、妬み、怒りは行き場もなく底辺に澱む。その負の感情に耐えながら、奴は凛として生きるしかない。


「仙月は気の強い女だったのか」

「本当に嫌な女で、なぜ、あんな女に殷麗孝イン・リキョウさまが惹かれたのか。心根の腐った人です」

「俺に似ていると聞いた」

「えっ、あ、あ、あの、確かにお顔は、でも、魅婉さまとは全く性格は違って、ただ、お顔が似ているだけで」と、下卑た様子で俺におもねった。


 やはり、俺と仙月が似ていると誰もが思っている。

 麗孝は俺に惚れてるのか?


 うえっ! 気もち悪いことを想像をしてしまった。

 俺の舎を訪れるとか、ふざけたことを言っていたな。


 ……静かに忘れておこう。


「部屋に入って、彼女の首を手で絞めたのは、おまえに間違いないな」

「は、はい」

「相手が意識を失ったので、逃げた、違うか? あの外壁に衣服を剥いで置いたのは、おまえじゃない」

「それは違います! 四神に誓って、わたしじゃありません」


 仙月の首には二箇所の絞め跡が残っていた。手で絞めた跡と、紐だ。

 解剖によって、子宮にはキウイ程度に育った胎児がいたことに、俺は顔を背けた。

 だいたい妊娠四ヶ月頃だろう。


 つわりも終わっておらず、仙月が気が立っていたのは想像に難くない。皇太子の子をはらんだとなれば、傲慢にもなろう。

 どちらが先などというきっかけなど関係ない。

 長い時を重ねた憎悪はいつか爆発するところまでいっていた。

 明明は今も鼻水を啜りながら、言葉も途切れ途切れで理性的とはほど遠く、ぶつぶつと醜い言葉を吐いている。

 彼女がもう少し理性的な性格なら、この事件はおきなかったかもしれない。

 些細な諍いから、カッとなった自分を抑える術もなく、仙月の部屋に行ったのだ。


「わかった」


 俺は立ち上がると牢番を呼んだ。

 牢から去る時、涙ながらに明明は俺を見つめた。


「わ、わたしは、これからどうなるのでしょう」

「おまえは殺していないと、俺は思っている。だから、待て」

魅婉ミウァンさま!」

「なんだ」

「あの、これ、大事なことじゃないかもしれませんけど……。仙月が部屋でひとりでいることを教えてくれた人がいます」


 アホか。むっちゃ大事なことだろうが。


「誰なんだ」

唐秀鈴タン・シューリンです」

「紅花の女官で仙月のとなり部屋に住む、あの秀鈴シューリンか」

「はい」


 泣き崩れる明明を残して牢をあとにした。

 牢は東廠とうしょうの地下にあり、石段の途中で暁明シァミンが佇んでいた。


「ここで待っていたのか。冷えるだろう」

「危険なときは、すぐ向かうつもりでした」

「優しいな」


 彼の横を通りすぎる時、すっと手が伸びてきた。俺の手首を握ったので、驚いて顔をあげた。


「なんだ」

「あなたは、誰ですか?」

「だから、前にいったろう。おまえの魅婉だ」

「彼女は、そんなふうに、わたしのことを言いません。優しい人ですから」

「優しさってのはな、時に気弱さでもあるんだ。魅婉は心が弱いから、優しい。傷つきたくないから、思っていることも言えない」

「まるで他人事のようですね」

「ああ、そうだ。ときどき自分を忘れるよ。それって、いいことじゃないか? 違うのか?」

「わかりません」

「手を離せ」


 暁明は黙って手を離したので、俺は階段をのぼった。その後から静かな足取りで守るようについてくる。

 悲しいやつだな。

 この男は、いつもそうだ。常に魅婉に寄り添い、無理を求めない。その誠実で潔癖な性格が、逆に魅婉にとって辛い時もある。


「おまえは、決して理解できないだろうな」

「何をでしょうか」

「今、牢で泣いている愚かな女の所業だよ。けっして理解しないだろう」

「魅婉さまは理解しているのでしょうか」

「するわけがない」


 暁明は何も言わなかった。


 

 

 執務室に戻ると天佑は巻物を読むふりをして待っていた。扉を開けると、彼は目をあげ、「それで?」とたずねた。

 俺は首をコキコキと回した。

 牢は底冷えがして、身体中の筋肉が縮こまっている。


「それで……、か。モヤモヤするが、明明は仙月の首を絞めたのは間違いないようだ」

「では、三日の猶予も必要なかったということでしょうか」

「そうではない。彼女の手の力を確認した。中級女官らしく力仕事はしてないようだな。もともとはツァイ家の下女だったが、花楓ホアフウのもとで優雅な生活をするようになった。下級女官たちのように洗濯やら力仕事をしない手は綺麗なものでタコもなかった。だから、当然だが力もない」


 黙ったまま天佑は俺の言葉を聞いている。


「彼女が首を絞めても、まだ息はあったと俺は思う。失神しただけだろう。最終的に他の誰かが首を紐で締め、その上で小指を切り落とした。部屋で失禁したときは、まだ息はあったと思う」

「そうですか」

「明明は仙月と口争いをして、怒りを抑えきれず桜徽殿に来た。となり部屋に住む唐秀鈴タン・シューリンから、彼女がひとりで部屋にいると聞いたそうだ。よって次は秀鈴だな……。ああ、それから、花楓は何も知らんと思うぞ。側室と正室の争いが女官たちの間で過激になって、出会い頭の事故になったようなものだ。裸に剥いて外壁に置いた者が誰なのか。それがわからない」

「それは安心しました。皇太子さまのご側室を長く蟄居させていては、政治的にも問題になりましょう。早々に蟄居は解いておきます」

「そうしてくれ。……俺は秀鈴に話を聞いてくる」


 報告を終え、東廠とうしょうから小走りに出た。


「魅婉さま」という声が背後から聞こえ、すぐに天佑につかまった。

「どうか、落ち着いてください」


 落ち着けるわけがない。

 森上莞しんじょう・かんに少し近づいたと思ったが、完全に違ったのだ。まったく姿が見えない。

 いったい、奴はどこに隠れているんだ。



(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る