あらたな容疑者とシリアルキラーの行方
天佑が横を歩いている。
暇かっ! 暇なのか。
俺はひとりで大丈夫なんだが……。
この可愛らしい顔でひとりのほうが、腕の立つイケメン宦官と一緒よりも相手は警戒心を解くかもしれないんだ。
「どうしてもついてくるつもりか」
「この際、どこまでも」
天佑はさわやかに笑った。仏頂面が似合う男だが、こんなふうに笑うこともできるのか。
「チッ、口を閉じておけよ。俺はいま考察中なんだ」
「仰せのままに」
嬉しそうな天佑から視線を逸らし、もう一度、最初から考えなおしてみた。
何か見落としていることがあるはずだ。
明明は
興奮状態で部屋に入り、口喧嘩になって相手の首を絞めたと吐露した。その呪いに囚われたような目は強烈で……。
「あの、女を、魂の底から、呪ってやる。首を絞めて、絞めて、絞めて」
髪は乱れ、寒い日なのに額に汗が浮かび、目は血走って赤く充血していた。
俺──現代で恐れられた警視正──は、思わず背後に後ずさったものだ。
無意識に頭を左右に振り、太華じゃないが祈りの言葉を口走りそうだった。
まったく男ってのは、いざとなると女の狂気に勝てないものだな。ま、今、俺は女だけどな。
そんなこんなで、心臓に鳥肌が立つような嫌な気分で、実は天佑が隣にいてくれて嬉しくもあった。
「さて、桜徽殿に到着しましたが、……魅婉さま?」
ぼうっとして到着したことに気づかなかった。
「そ、そうだな」
「だいぶ、ぼんやりなさってますが、取り次いでも大丈夫でしょうか」
「ああ、行こう」
桜徽殿は
ここに秀鈴がいる。
秀鈴は仙月の
最初に仙月の部屋を調べたときも俺たちを案内してくれたから、よく覚えている。
「なあ、天佑」
「なんですか?」
「秀鈴と仙月のあいだに、何か感情的なもつれはあったか、調査は入っているか? 女の感情について、男は気づきにくいものだが」
「魅婉さまは女性ですが、たしかに疎そうですね。そういう女性もいれば、男性にも機微を理解する者もいます。とくに宦官は主人の心を読むものが多い。生死に関わりますから」
俺は男だと言いそうだったが、喉もとでのみこんだ。今はそこじゃない。
「それで」
「秀鈴と仙月は立場上では似通ってはいますが、それゆえに競争心があったようです。特に、秀鈴は紅花さまに心酔しており、皇后さまの間者として働く仙月に対して思うところがありました」
「彼女の態度で、最近、目に見えて変化したということはなかったのか?」
「前も、そうお聞きでしたね。いえ、魅婉さま。特に、そういう報告はございません」
ということは、その不安定な感情を操られて、明明の暴行を助けたということか。では、誰が操ったかということだ。
桜徽殿では、紅花の夕食時間帯であり、少し待つように言われた。優雅なことだ。そういえば、俺たちも朝から、ずっと食事をしていない。
「後で、もう一度来る。大事な要件なのでな。
「わかりました。お伝えしておきます」
桜徽殿を去る頃には、夕暮れが近づいていた。西側にある白虎門に夕陽がさしている。
照明がロウソクと灯火用の油しかない世界では、暗くなる前に食事をして眠るのが普通の生活になる。
「太華がきっと食事を用意している。いっしょに食べるか」
「そうですね。お話しする事もありますから」
桜徽殿の先、俺は自分の部屋である『北枝舎』へ向かった。
北枝舎に近づくと太華が回廊に出ていた。なぜか、ほっとして我が家に戻った気分になるのは、おそらく魅婉の感情に影響されているからだろう。
「太華、腹が減った」
「まあまあまあ、お姫さま。いくら、宦官のお姿をしているとはいえ、腹が減ったなどと」
「時間がないんだ。なにか見繕ってくれ」
そう言いながら、俺はふいに悲しみを覚えた。
夕暮れ時だからだろうか?
太華の肩に手をおいて、「なあ、太華。朝から何も食べてないんだ」と優しく伝えた。
「承知いたしました、すぐに」
「太華、ふたり分だ」
「ふたり分とは……、あの」
太華の顔が曇った。
いくら天佑が提督東廠であり、宦官の長であっても、所詮は奴婢だ。大事な姫と同席するなど、太華からすれば天地がひっくりかえるほどの衝撃だったろう。
「いいから、部屋にふたり分を用意しろ。仕事の話があるんだ」
「
まったく……。
「馬鹿馬鹿しいほど、めんどい世界だな。いいか、天佑、とっとと部屋に入って夕食を食べるぞ。はよ、入って来い」
自分の声は相変らず少女の可憐な声で違和感を覚えるが、今は特にそうだった。
獅子王の野太い声なら、こう言う場合、説得力がもっとありそうだ。
振り返ると天佑の顔にも夕陽が反射していた。
彼は目を細めて俺を見て、ふっとほほ笑んだ。宦官には惜しいほど、男の色気があった。
部屋に入ると、膳の横に
「まあまあまあ、もう少し、落ち着いてくださいまし、姫さま」
「太華、いいから黙れ。またすぐ出かける」
「これからでしょうか? すぐに陽も暮れます」
「ああ、大丈夫だよ。ほら、こいつ強いから」
天佑は俺の言葉に、ただ目を伏せた。
「ですが、先ほど皇太子さまの内侍から連絡を受けて、太華は今か今かとお帰りを待っていたのです。祝着にございます、魅婉さま。今宵、皇太子さまがこちらにお渡りとのことで、誠に喜ばしい日にございます。ですから、いつお戻りかとハラハラしておりました」
「断っとけ」
「へ?」
これほど、表情が激変する太華を見たのははじめてだ。
太華は訓練された女官だ。無表情で貴賓に仕えることに長けている。その彼女が、目を釣り上げて青ざめた。
「ひ、姫さま! 二年という長い時を、この舎でただ寂しく過ごしてまいりました。いつ皇太子さまがお渡りになるのか、そればかりを考えていたのでございます。太華、このよき日を待ち侘びておりました。皇太子さまにお仕えするご側室として、お断りになるなど、もってのほかにございます」
「三日の猶予と言ったのは、皇太子のほうだ。時間がないんだ。そう言っておけば、向こうも理解するだろう」
太華は、たぶん俺を諦めた。その代わりに、すがるような表情で天佑を見た。
天佑はといえば、唇を噛み吹き出しそうなのをこらえて、峻厳な顔つきを維持してている。さらに取りすがる太華の視線を避けて、床に目をそらせた。
(第2章完結:つづく)
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