森上の心をプロファイリング




 森上莞しんじょう・かんも、俺と同じように不自由な世界で戸惑っているのかもしれない。


 これまでの奴なら、他人を操って殺人を犯したはずだ。

 しかし、今回に限っては……。

 最初から自らの手を汚したと思える。

 この世界に来て、たった三日だ。

 時間的な余裕なく犯行に及んだのは、動揺したからだろうか。あるいは、指紋もルミノール反応も試せない封建社会を甘くみているのだろうか。


秀鈴シューリン殿、それでは……」


 天佑の冷静な声が聞こえて、はっとした。

 秀鈴シューリンはかしこまって控えているし、天佑は部屋を調べながら質問している。


「仙月殿の姿を最後に見たのはいつですか」

「昨日の朝から、皇太子妃さまのもとへ参りましたときが、そこにはいらっしゃらずに。ですから、最後は……、その前の日のっ、ヒック」


 そう言って彼女は、ふたたび言葉をつまらせた。

 しかし、俺たちがまったく同情しないので鼻白んだようだ。すぐに泣くのをやめた。


「二日前、お務めが終わり、お部屋に戻ったときが最後にございます」

「その時の様子は、どうだった?」

「ご気分が少し悪そうでした。早く寝るとおっしゃって、わたくしも疲れていましたから、すぐに灯りを消しましてございます」


 では、翌朝、秀鈴が起きる前に部屋を出て殺されたということなのか。

 これは、森上莞しんじょう・かんの犯行パターンとは異なる。


「魅婉さま、なにを先ほどからブツブツ言っているのですか?」

「天佑、頭がこんがらがった」

「魅婉さまは、お会いした時から、ずっとこんがらがっておられますが」

「なにげにディスってるな」


 ディスるなんて言葉を知るはずもないが、天佑は何も聞かずに、仙月の文箱を調べはじめた。

 

 森上にとって、仙月が懐妊していたとか、皇后のスパイだったとか、そうした事情は全く無意味だろう。

 しかし、俺が魅婉の精神に影響されているように、奴も憑依した誰かに影響されているかもしれない。

 後宮の諸事情、政治……。

 将来、皇太子が帝になったとき、紅花が自動的に皇后になれる訳ではない。

 そんな時に仙月が懐妊した。

 仙月は桜徽殿付きの女官であり、生まれる子が男ならば、紅花の子として育てられる可能性がある。

 紅花が皇后位を得るための最終手段だ。


 後宮の組織図で女たちの最高位は皇后である。

 皇子を産めない正妻は、皇后ではなく『皇貴妃』になるのが一般的だが、養子であろうと皇子の母ならば皇后だ。

 

 皇后の下には側室の最高位である『貴妃きひ』が続き、『』、『ひん』、『貴人きじん』という順番で、女たちの階級が決められていく。


 今はまだ皇太子の妻たちに、その称号はない。

 殷麗孝イン・リキョウが帝に即位したとき、紅花は『皇貴妃』か、『皇后』なのか。あるいは、皇子を産んだ他の側室が皇后になる可能性もある。


 娘を産んだ側室、蔡花楓ツァイ・ホアフウは、麗孝が帝に即位すれば『貴妃きひ』の称号を得るのが順当だ。


 現在のところ第三夫人は子を産んでいないので、せいぜい『貴人』か、あるいは称号が与えられず側室という立場のままかもしれない。


 罪人の娘である魅婉も側室のまま、この後宮で飼い殺しのような生活を送る運命にある。


 そんな事情のなか、仙月が殺された。

 いったいどこで、誰が?

 誰もが疑わしく、どこに森上の協力者がいるかわからない。


 俺は天佑に声をかけた。


「この寝台を調べてみたいが、あのな」と言って、秀鈴シューリンの方に目配せした。


 天佑は俺の目配せの意味をすぐ理解したようだ。


秀鈴シューリン殿。申し訳ないが、席を外してもらえますか」


 秀鈴シューリンは俺と天佑の顔を交互に見比べると、すぐに両手を顔の前で組み頭をさげ、部屋の外へ出て行った。


「では、はじめよう、天佑」

「そうですね」


 俺は寝台の寝具をめくり、床の匂いをクンクンと鼻を鳴らしてかいでみた。


「何をなさっているのです。犬の真似ですか?」


 呆れたように言う天佑を、左手でおいでおいでと呼び寄せた。


「この匂いを嗅いでみろ」


 不審な表情を浮かべながら、彼は俺の隣に屈んだ。


「ほら、ここだ」


 天佑の鼻を寝台の床にくっつけた。すぐに彼は顔を歪めた。


「確かに臭いますね。これは尿失禁ですか」

「そうだよ。どれだけ掃除したにしろ、この匂いは隠せない。ここが犯行現場にちがいないな。寝台の上で首を絞められ、仙月は失禁した。褥は汚れたはずだが」

「つまり、ここで殺されたと言うのですか」

「発見された場所は人目につかない場所だったが、しかし、争った形跡はなかった。遺体を見たとき、身体は汚れていた。ここで殺され、あの場所に運ばれたのは間違いない」

「そのようですね」

「よし、俺は侵入する。しばらく、静かにしてくれ」

「どういう意味でしょうか? 魅婉ミウァンさま」

「静かにしていてくれ。俺流の方法があるんだ」

「わかりました」


 天佑の不思議そうな顔を無視して、俺は自分の心を落ち着けた。

 空気を取り込み、深く肺に吸い込む。

 森上莞しんじょう・かんの心に侵入していく。現代でも何度もしたように、彼の心をプロファイルするのだ。


 ひとつ、ふたつ、みっつ……、深く、深く……。


 俺は彼の写真を思い浮かべる。

 女のような顔、首を軽く傾け、なにかを見ているようで見ていない奇怪な表情。見ればみるほど、嫌な顔だ。あいつの、いや、自分の顔が薄気味悪い。


『可愛い子、まるで女の子みたい。母さんの服を着てごらんなさい。さあ、ほら、着るのよ。可愛い、わたしの娘』


 さらに、さらに、奥底に……。





 僕は森上、女官の部屋に侵入した。

 なぜ、この部屋に侵入したい。

 それは、そう、僕の衝動を止められないからだ。


 ……イライラする、この感情を止めなければ狂ってしまう。

 ああ、殺意が収まらない。恐ろしいほどだ。なぜ、これほど僕の心を脅かす、僕をどこまで苦しめるんだ。


『魅婉さまがお部屋から出られたようよ』

『なんとお珍しい』

『魅婉さまって、どんな方?』

『それが、衣がほどけた姿で、走り回られたとか』


 奇妙な噂が耳に届く。


 魅婉が半裸のはしたない姿で部屋を飛び出した。娯楽のない世界で、こんな面白い見せ物はない。


 そうか、あの人だ。あの光に吸い込まれて、あの人も同時に、ここに来ている。


 魅婉とは誰だろう。

 あの顔。

 小柄で魅惑的だが、ちょっと僕のタイプと外れている。


 ……さらに、もっと深く森上莞に潜り込む……。


 仙月と出会ってほくそ笑んでしまった。魅婉の顔と似ているじゃないか。どうして、やろうか。……そうだ、そう、僕は獅子王が欲しい、欲している。


 ああ、胸が高鳴るのを抑えることができないんだ。

 

 ──ほら、僕が来たよ。僕だ、獅子王、SNSで僕を誘ったよね。さあ、まだまだ遊べるよ。おまえが好きでたまらないんだ。だからね、僕からのプレゼントを受け取ってよ。



 だって、君、僕たちが互いに互いの深淵をのぞいているとは、まったく気づいてはいないでしょ?




(第一部完結:つづく)


 

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