被害者の綺麗に片づきすぎた部屋




「お部屋は、桜徽殿の西側に位置してございます」


 桜徽殿のぐるりには回廊がめぐっている。


 秀鈴シューリンは、大柄な身体を持てあますかのように回廊を歩いていく。

 彼女が案内したのは、母屋とは壁で隔てた六畳くらいの部屋である。障子戸を開くと中央に間仕切り用の几帳が置いてあった。

 几帳の奥には寝台と押し入れがある。


「ここは一人部屋なのか」

「さようにございます」


 仙月は高位女官ゆえ、使用人棟のザコ寝部屋ではなく、個々の部屋で寝起きしているようだ。

 部屋は西南側の角にあり、日当たりがよい。

 紅花の住む母屋を除けば、もっとも良い部屋にちがいない。仙月の身分が高いからだろう。


「恐ろしくはないのか?」

「何がでございましょうか」

「仙月が亡くなったのだ」

「それは、恐ろしゅうございますが、でも……」

「でも」

「こちらで亡くなられたわけではございませんから。あの日は一日中、いらっしゃいませんでした。おそらく、皇后さまのところに行かれているのだとばかり」

「朝から会っていないのか」

「はい」

「彼女の姿を、他に見たものはいたか」

「いえ、どなたも」


 彼女の姿を最後に確認したのは就寝前。翌日の朝から誰も見ていないようだ。


「天佑、仙月は皇后に会ったのか」

「調べさせましたが、仙月殿は、その日、皇后さまをお訪ねにはなっておりません」


 冷え切った部屋に足を踏み入れると、中は綺麗に片付いていた。


 ひと目見て、仙月が几帳面で整頓好きの女だろうと推察できた。皇后からのスパイだとすれば、そもそも目先のきく有能な女官だったにちがいない。


「この部屋は、誰かが片付けたのか」


 案内した秀鈴シューリンは静かに首をふった。


「誰も触れるなというお達しがありましので、仙月さまが生活していたままにございます」

「綺麗に片付いておるな」

「とても整頓がお好きな方で、わたくしとは正反対にございます」


 強迫神経症でも患っているかのように、部屋はきっちり整頓されている。

 俺が警察庁で学んだ行動心理学的に考察すれば……、

 皇后のスパイで、皇太子と情を通じた。その罪悪感を隠すための、無意識の行動と考えても不思議はない。

 精神を病むと、じっとしていることができず、時間を潰すために忙しく働くことがある。部屋を整頓することが目的ではなく、心を逸らす手段になるのだ。


 はああ……、なんとなく昔の自分を見ているようで、少し憂鬱ゆううつだ。


「仙月は日頃から清潔好きなんだろうな」と、俺は秀鈴シューリンに聞いた。

「は、はい、さようにございます」

「手も異様によく洗っていたのか」

「なぜ、そのようなことがお分かりなんでしょうか」


 なぜ、わかったのかって?

 警察学校で学んだ心理学のひとつだ。人の行動は脳に依存し、脳は自覚のない潜在意識で九十五パーセントが占められている。なんてな話をこの場に持ち出しても理解されないだろう。


 なぁ、森上莞しんじょう・かんよ。

 おまえは、なぜ彼女を標的に選んだのだ。

 どうも解せないんだが。


 シリアルキラーには秩序型と無秩序型というタイプがある。

 秩序型は高い知能を有し計画性をもち、犯行に及ぶときは被害者を選ぶ傾向にある。

 一方の無秩序型が選ぶ被害者は気まぐれだ。相手は不特定多数の誰でも良い。無秩序型にとって一貫した論理などない。


 森上莞しんじょう・かんはいわゆる秩序型に分類されるシリアルキラーだった。

 だから、仙月を犠牲者に選んだ理由があるはずだが、そこが見えてこない。


「仙月さまは、とても献身的な方でしたから、あのように、お亡くなりになるなんて、お気の毒で……」


 秀鈴シューリンは急に喉を詰まらせ泣きそうな表情を浮かべた。その態度は取ってつけたようにわざとらしく、演技としてなら女優にはなれないだろう。何かを隠しているのかもしれない。


「仙月が皇后さまと懇意にしていたことは知っているか」

「それは、どういう意味でしょうか?」

「間者という意味だよ」

「そのようなことは決してございません。献身的な態度で皇太子妃さまにお仕えなさっていたのです」

「では容姿は?」


 外壁に横たえらえた仙月の遺体は悲惨だった。恐怖で目が剥きだし、口から舌が飛びだして、顔の血管が切れていた。

 肌は比較的浅黒く、小柄ということはわかっている。おそらく美しい容貌をしていたとは思うが、生前の面影を想像するには変貌しすぎていた。


「あの方は大きな目が特徴の、とても愛らしい方でした。あの、このようなことを申し上げては、大変に失礼かもしれませんが」

「気づいたことは、すべて話せ」

「あの、仙月さまは、魅婉さまによく似ておいででした」

「いや、似ていないだろう。仙月は肌が浅黒かった」

「肌のお色は違いますが、お顔の造作は、とても似ておりました。魅婉さまは、お部屋におこもりがちで、これまでお顔を拝見することがなく、今はじめて、そのことに気づいたのでございます」


 魅婉の顔と似ていた。ま、それは今の俺の顔だが。

 ということは……、まさか、仙月殺害時に、俺と魅婉の関係を知って犯行に及んだのか。


 ここで意識が戻ったとき、出会ったのは、太華と女官たち、医官と医女、そして、庭で抱きついた男、あれは皇太子だった。それから、そのお付きの者たち。確か、宦官もいたな。

 あの場に、森上、おまえもいたのか?




(つづく)

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