最重要の容疑者が、この女?




 欄干越しに明明ミンミンに話しかけようとすると、警護の宦官が止めに入った。


「魅婉さま、天佑さまにお許しをいただきませんと」


 その天佑は右眉を嫌味につりあげながら、回廊をこちらに向かってくる。


「大丈夫だ、天佑は許すよ」


 彼が到着した。


「何を許さなければならないのでしょうか。魅婉さま」

「ほらな。もう許す気まんまんだ」


 彼は捕えている女を無視して、欄干の下にいる俺をのぞきこんだ。


「この女官と話したいんだ。別に文句はないだろう」

「申し訳ございませんが、ダメだと申し上げたら。魅婉さま」

「ふん、意地を張ってる場合か、天佑」


 俺は自分の背丈くらいにある欄干を両手でつかみ、身体を支えて登ろうとした。しかし、ただ欄干に吊り下がっただけで、足をバタバタさせても身体はそのまま。

 なんちゅう力のない腕だ。

 こんな欄干など、昔の俺なら両手で身体を引っ張りあげ、ジャンプして飛び越えたものだ。

 まったく、この身体は使い勝手が悪い。


 俺はダランと欄干にへばりつくという無様な姿で天佑を見あげた。


「いったい、何をしてらっしゃいます」

「俺をひっぱり上げろ」

「向こう側の階段から来られたほうが楽とは思いますが」

「時間短縮だ。ほら、お手!」


 その言葉が終わらないうちに、くるりと身体が回転して宙に浮いた。暁明が俺を軽々と抱き上げ、欄干の上に尻を乗せたのだ。


「おお、ありがとな。暁明、やっぱ、幼馴染は話が早い」


 俺は衣が乱れるのも構わず、足を上げて身体を回転させ、回廊に降り立った。下衣が緩めなので、まくりあがり太ももまで露わにした。で、笑えることに、全員が目をそらして見なかったことにしている。

 バカな奴らだ。

 この女の身体を見たくないのか。俺は楽しんでるぞ。やわらかくてマシュマロみたいな肌は絶品だ。


 ま、今はそれどころじゃない。

 俺はしゃがむと、ぶるぶる震える女の目線と同じになるよう、その場にしゃがみこんだ。


「おまえ、名前は」

「み、み、み、み」

「ミンミンといいたいのか」

「は、はい。も、申し訳、申し訳ございません」


 女は周囲を見渡し、さらに顔を青ざめさせ、額を音がなるほど床にぶつけて突っ伏した。いきなり叫びだした。


「わ、わたしが、わたしが悪うございました」

「何が悪いのだ」

「と、とんでも、とんでもないことを」

「おまえが仙月を殺したというのは事実か」


 女は怯えるように周囲をカクカクと不自然な動きで見渡し、それから、少しうなづいた。


「本当か?」

「は、はい」

「おまえが首を絞めたのか」

「は、は、は、はい」


 ありえない。この怯えきった女に、そんな大それたことができるとは思えない。


「わかって言っているのか? 仙月は懐妊していた。王族の子を殺したという意味をわかっているのか?」


 女の唇は震え、上下の歯をガチガチと鳴らしている。

 これほど怯えた人間を俺は見たことがない。どういうことだ、これは。


「なんのためだ。理由はなんだ」

「あ、あ、あの」


 彼女は震える指で俺の背後を指さした。

 振り返ると、豪奢な衣に身を包んだ女が立っていた。おそらく、馬酔木舎の主人である蔡花楓ツァイ・ホアフウだ。


「明明!」と、彼女は叫んだ。

「いったい何を言っているのです」


 皇太子の側室で、娘を産んだ花楓ホアフウの指示だと言いたいのか。


蔡花楓ツァイ・ホアフウさま、ご一緒に来てくださいますか」

「これは何ごとぞ」

「どうぞ、お鎮まりを。ただ、お話を聞くだけにございます」

「わたくしは何も知らぬ! 明明、偽りを申すでない!」


 そんなふうに取り乱せば逆効果になる。みなの疑いを増すばかりだ。

 仙月が懐妊していたとすれば、皇太子妃である紅花と同様、いやそれ以上に花楓ホアフウも立場上から考えれば、確かに容疑者になりうる。


 しかし……。

 裸体で壁に立てかけられていた仙月は、手を十字に不自然に曲げ、小指を切り取られていた。それは森上莞しんじょう・かんの手口そのものだった。


 この眼前で怯えている女ではないし、背後で強がっている花楓でもありえない。

 奴に嵌められたのだ。


「ち、ちがいます。花楓さまではなくて。ちがいます。花楓さまをお守りしたいために、かってに、かってに、あの、わたし。花楓さま、お助けください。わたしは、あなたさまのためを思って」


 明明は筋の通らない弁解をして、逆に彼女を窮地に落とした。

 天佑は明明を部下に連れていくよう指示した。


「これから、どうなるのだ」

東廠とうしょうの仕事は終わりました」

「それは、どういう意味だ」

「ここからは表の刑部ぎょうぶの仕事になります。後宮内に踏み込めない刑部の代わりに、われらは組織されていますが。取り調べや裁きは、あちらが行うのです」

「皇太子の側室も簡単に渡すのか」

「その判断は、わたしにはできません。事件の詳細を刑部ぎょうぶに報告するだけです。正直に申し上げて、花楓ホアフウさまの後ろ盾は、それほど力がありません。皇太子さまの正室に対抗するには役不足かと。皇子をお産みになれば別でしたが……、礼部尚書れいほうしょうしょの長である蔡晨宇ツァイ・シェンユーさまがお父上ですが。礼儀などを司る省であり、権力的には丞相さまとは雲泥の差があります。本来は丞相さまの力と対抗するようにとの、帝のご配慮でしたが、それが裏目にでたようですね」


 礼部尚書れいほうしょうしょは、皇宮の祭祀や教育などを扱う部門で、その長である蔡晨宇ツァイ・シェンユーの娘が花楓だった。

 紅花と違って花楓は娘を産んでいる。

 今後、皇子を産まないとも限らない。彼女が、この件で捕えられれば、もっとも得をするのは紅花になる。


「あの娘はどうなる」

「明明ですか?」

「そうだ」

「皇太子の子を懐妊していた女官を殺したのです。これは重罪です。仙月殿が懐妊していなければ、罪の重さは違ったでしょうが」

花楓ホアフウさまは関わったとすれば、貴族の出身ですが、最悪の場合、奴婢に落とされ、一族は配流の刑でしょうね」

「明明は?」

「彼女は実際に殺したと白状しております。最高刑に処せられるでしょう。下級女官ですから、刑は重い」

「最高刑とは?」

「おそらく車裂きの刑です」


 言葉を失った。

 あの無知としか思えない若い女は、自分の未来を知っているのだろうか?



(つづく)

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