シリアルキラーが耳もとで囁く




「外したようです」


 椿の幹に虚しく刺さった短刀。天佑は恥じいるように抜いて、少し悔しそうな顔をした。

 こいつは自信満々なのが玉に傷で、そういう自分をひとりになったとき恥じていそうだ。いや、それは俺のことか。


「短刀が外れたくらいで、落ち込むな」

「落ち込んではおりません。ただ、飛ぶ蝿を短刀で射抜くことはできるので、腕が落ちたかと」

「やっぱり落ち込んでるようだ」


 天佑が逃したのは、森上莞しんじょう・かん本人ではないはずだ。現代でもそうだったが、奴は人を操ることで捜査を撹乱する。


 男としては愛らしい容姿で初対面から人の警戒心を解く。

 その上で人間の内部に巣食うギラギラした欲望を刺激して、コントロールすることを無上の喜びとする変態だ。


 今でも耳に鮮明に残っている。

 ナイフで刺された瞬間、奴は耳もとで囁いた。


『ここは冷静になってよ。僕の愛する人』


 捜査上で、俺は禁じ手に近い方法を使った。奴を捕えるために挑発を繰り返したのだ。

 テレビの報道番組にゲスト出演したことも、そのひとつだ。


『犯人は幼いころから誰にも愛されなかった寂しい男でしょう。母親や女性から相手にされない劣等感が、この犯罪の根本原因にあるのです。所詮は残念で哀れな人物だ』


 奴は殺した女たちの小指を収集する。小指を立てる動作は一般的に『恋人』とか『彼女』のシンボルとして使われる。

 奴が犠牲者の小指を収集するのは、無意識での女性に対する欲望と劣等感だ。

 俺は奴の女性に対するコンプレックスを刺激することで、動揺させミスを誘引しようとした。


 SNSでも、獅子王朔ししおう・さくの本名を出し、奴の性格を詳細に分析して掲載した。

『頭脳派シリアルキラー』と持ち上げられた奴を完膚なきまで貶め、バカにした内容だった。

 計算通り奴は俺に執着しはじめた。


 森上莞が転移したばかりの世界で犯行に及んだのは、俺に存在を示したかったからだろうか、あるいは、個人的な飢餓感か。

 おそらく、後者だろう。

 この世界に転移した感情のたかぶりから、奴は欲望を抑えきれなかったはずだ。シリアルキラーが罪を犯す動機は、元を辿れば自分の欲望を満たしたいという単純なものだ。


 しかし、なぁ、獅子王よ。

 おまえも問題を抱えはじめているぞ。

 俺が憑依した女の感情に──なにも言わず、反抗もしない哀れな女の感情に──どうして揺さぶられるのか。

 彼女に同情してシンパシーを覚えてしまったのか。

 くっそ!

 俺には、ぜったいに誰にも話せない大きな秘密がある。休日に『恋愛ドラマ』を鑑賞して、主人公に感情移入している。これだけは、ぜったいに誰にも知られたくない。誰かに知られたら……。

 ま、まさか、佐久間よ。

 俺の部屋でテレビの録画番組を検証していないだろうな!


 俺は頭をふって天佑を見た。


「奴は皇太子か皇太子妃の近くにいるはずだ。天佑、こいつはな、悪魔だよ」

「後宮に悪魔がいるとでも言うのですか」

「悪魔なら、まだいい。実態がないからな。これは実態のある悪魔の話だ。探し出すのは困難だ。仙月を殺したのは、悪魔にそそのされた人物かもしれないし、本人かもしれない。普通に恨みとかの形で探しても難しいだろう」

「状況からかんがみれば、恨みを持った人物が犯行に及んだと考えるのが妥当です。魅婉ミウァンさま、そう断定できる根拠がわかりません。まるで相手を知っているようです」

「ああ、そうだ。知っている。いいか、事実だけみれば、仙月に恨みを持つ人物として思い当たるのは皇太子妃しかいないだろう。あるいは……、アワッ」


 話しの途中で、再び天佑に抱き寄せられ口を塞がれた。


「黙ってください。どうかお口を閉じて。あなたさまは、あまりに無防備です。皇太子妃さまに対して不敬なことを仰らないことです。ご自分の立場が危うい状況であることに、ご自覚が足りなさすぎます」


 でかい男に抑え込まれるとは、こういう感覚なのか。

 女の身体ってのは不自由なものだな。魅婉ミウァンは小柄で筋肉もなく、ぷよぷよの抱き心地の良さそうな身体ではあるが、戦闘においては、まったくの役立たずだ。

 

「俺は後宮の力関係がわからない」

「それが今回の事件と関係すると」

「わからん、ともかくだ。まずは、俺から手を離せ。おまえに、ときめいたらどうするつもりだ。抱き寄せられるのは苦手なんだ」

「あっ、も、申し訳ございません」


 天佑は火傷でもしかたのように、俺から離れた。

 ああ、いやだ、いやだ。

 俺はおまえの気持ちがわかるんだ。男だからな。まったく魅婉ミウァンよ。おまえの容姿は天使だ。息をするようにすべての男を誘惑するな。

 迷惑、このうえない状況だぞ。


「ただ、魅婉さま。少しは口を謹んでください。あなたさまの立場は皇太子さまの好意だけで成り立っているのです。他の皇族方や大臣方からは疎まれているという、ご自覚に欠けています。皇太子さまが夜伽の相手になさらないからこそ、なんとか後宮での平和が保たれているのです」


 夜伽だと。まさか、皇太子と夜の生活をしろと!

 バカな!

 なにとんでもないことを、サラリと口にした。


 しかし、今はそれどころじゃない。奴は近くにいる。

 それは間違いない。もしかすると、皇太子妃紅花かもしれない。しかし、殷麗孝イン・リキョウが現れたとき、彼女の態度はあからさまだった。

 どんなにお高く止まっていても、目に宿る執着は隠せない。


 森上莞は男に性的な興味をもっていなかった。

 そういう意味では、皇太子に恋する紅花は違うだろう。逆に、殷麗孝イン・リキョウの冷たい目こそ、奴だった。


 まさか、皇太子に転移したのか。

 そうだとすれば、厄介なことになる。


「何をお聞きになりたいのですか」

「たとえば、皇太子を捕えることができ……、おい、こら、また抱き寄せるな。変態かっ」

魅婉ミウァンさま、たった半日ですが、わたしの寿命が削られます。笑っている場合じゃありません。いいですか、あの方に不敬を働くだけで、打首になっても誰も反対できません。生殺与奪の権利をお持ちの絶対君主になるお方です」

「わかった、わかった。もう離せ。おまえ、実は俺を抱くのを楽しんでるだろ」


 天佑は畏まって拱手きょうしゅすると言った。


「恐れおおい事にございます」


 やっぱり楽しんでやがる。



(つづく)

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