第2部 第1章
天佑が疑う彼女の秘密
森上に深く入り込んだ俺を、なにかが邪魔する……。
誰だ。
邪魔だ、うるさいぞ……。
……誰、だ?
「魅婉さま、何を笑っているんですか」
こいつは誰なんだ?
奇妙な黒い服を着た大柄な男、そうか、天佑だ。
「お、俺が笑っている?」
「先ほどから、ブツブツ呟いたかと思うと、急にニヤリと笑ったりと。かなり不気味ですが」
「天佑、これが俺の捜査方法なんだ」
「その奇妙な方法で相手は見つかったのでしょうか」
「いや……、まだ証拠が少なすぎる。それに、俺は後宮について、よくわかっていない。この部屋に忍びこむことができるのは、誰でも可能なのか?」
「それは、なんとも言えません。ただ、この相手が尋常じゃないということは理解できます。わたしが、これまで扱った事件では想像することも難しい。それが、魅婉さまには異様ではなさそうで、いささか驚いております」
天佑は怪訝な顔をして俺を見つめた。
何か言いたげな様子だったが、ただ目を逸らして部屋全体に視線を泳がせた。
「俺のほうは困っている」
「なにが困られたのですか? 魅婉さま」
この世界で俺は自分の致命的欠陥に気がついてしまった。
「女官たちの体力や筋力だよ」
「それが?」
「ほら、俺の腕をみてみろ、ふにゃふにゃだ」
俺(魅婉)の身体は、どこもかしこもフワフワして筋肉がない。運動なんて、生まれてからしたこともなさそうだ。
家事は下級女官がするから力仕事もしない。部屋に閉じ込められた後宮の姫たちは、みな俺と同じようなものだろう。
被害者をあのように扼殺して、その後、現場に運ぶには、それなりの力がいる。ひ弱な筋肉もない腕では不可能だ。
下働きの女なら、可能かもしれないが、彼女たちはひとりになることは少なく、行動を制限されている。
それを考えると、
「どうしたのですか?」
「天佑、男だ。犯人は男にちがいないが」
「今更なんですが。女性の細い筋肉で、今回のような事件を起こすことは無理だと、最初から考えたことです」
「そこには、当然、宦官も含まれている」
天佑の頬がぴくりと痙攣した。
どうも俺は無意識に彼の地雷を踏んでしまったようだ。
心のなかで、もう一度、自分の言葉を繰り返す。宦官も含まれると、わざわざ付け加えたことで、差別していると思ったかもしれない。
天佑を傷つけたとすれば、申し訳ない。
そう思うと同時に、この見知らぬ感情にとまどいを覚える。
そうだとも……、これが俺の純粋な感情であるはずがない。人の感情など、まったく忖度しなかったのが、俺だ。
『獅子王さんは、ナチュラルに人の心をえぐりますよね』と、部下の佐久間が言っていた。
しかし、いま頬をぴくりとさせた天佑に、どういうわけか無用の感情を抱いている。これはまちがいなく魅婉の優しさが俺をゆさぶっている証拠だ。
「黙れ、
動揺した俺は言葉にして魅婉を叱った。
天佑はただ俺を見ている。
「天佑」
彼は答えない。
「なあ、天佑」
「魅婉さま、あなたの秘密はなんですか?」
真摯な目で彼が問うてきた。
「どういう意味だ」
「昨夜から今日まで、貴方さまを観察しておりました。どうも解せないのです。言葉遣いもですが、時おり妙な異国言葉のような単語を使われる。先ほどのディスなんとかとか」
「それで」
「行動が魅婉さまとは思えないことがあるのです。ただ、わたくしは以前の魅婉さまを存じあげない。
「そうか。しょうがないな。別のことを聞くが、俺の言うことを信じるか?」
天佑は、みなに恐れられる存在だ。
部下を萎縮させる鋭い視線を持ち、なにもかも自分で決める尊大な俺さま男だ。原理原則に固執する石頭に、俺の話が通じるだろうか……。
「いいでしょう。信じましょう」
「俺は、この世界の人間ではない。別世界からやってきた」
彼はしばらく黙っていた。それから、プッと吹き出した。
「呪術にかかられたのですね」
「いや、そこか。思考がそっち方面に飛ぶのか。この世界は俺が思っているより偏っているな。おまえのような合理的な男でも、そんな思考回路なのか。文明開化前の野蛮人たちだな。それでも説明するぞ。いいか、俺は別世界から来た」
天佑は右眉をあげた。
どう答えていいのか、わからないようだ。
「おい! 森上莞! 俺が誰かわかっているだろう」
大声で天佑を脅した。彼は、まぶたをパチパチと軽く動かしただけだ。
「魅婉さま、ますます理解不能になっています」
森上莞の名前を出したときの、天佑の反応は普通だった。目の瞳孔が開くとか、落ち着きに変化があらわれるとか。
身体に無意識にあらわれる嘘の兆候がない。
警察で学んだ嘘を見破るためのボディランゲージから見ても、彼は単に戸惑っているだけだ。
やはり、こいつではない。なぜか、それでほっとした。
二日の付き合いでしかないが、彼を信頼したい自分がいるようだ。
「森上莞とは別の世界で、今回と同じ犯罪をおかした男だ」
そう言った時だ。
彼は俺の言葉を無視した。
ふいに、すばやい動きで俺に近づき肩を押さえると、右手で俺の口を塞いだ。彼の身体にすっぽりと自分がおさまり、そして、守られている。
「お静かに」
そう囁くと、天佑は懐から短剣をとり出して、障子戸に向かって投げつけた。
短刀は障子を突き破り、鋭い軌跡を描いて天佑の望んだであろう方向へと飛んでいく。
バサっという音がした。
誰か外にいたのか?
天佑が身体を翻して、障子戸を開き外部を伺った。
俺も走った。
部屋の外は廻り廊下で屋根はあるが外壁はない。
中庭にある椿の木に、深々と短刀が刺さっていた。天佑は五十メートルほどの距離を投げている。彼の腕前は相当なもののようだ。
「どうした?」
「誰かが伺っていた気配がしたんですが。逃げ足が早いようだ」
天佑は、まわりを見渡している。しんとした桜徽殿の誰もが俺らの動向を見張っているような不穏な空気を感じた。
天佑が存在を察した相手は
(つづく)
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