後宮のどこにでも忍ぶ宦官という存在
医官と入れ違いに宦官たちが戻り、さらに会議は続いた。
ただ長い時間だけを費やす会議は、どの世界でも同じことだ。烏合の会議は民主主義国家最大の欠点だと思っていたが、封建社会でも同じとは思わなかった。
さらに隣席には
彼は戻ってくると、迷いもなくまっすぐ俺の隣の席に腰をおろしたのだ。
「今後の捜索は皇后さまのところまで伸ばす必要があるかもしれません」
「その理由は?」
「実は、仙月さまは皇后さまとのご関係も深かったようです」
「ほお、間違いないか」
だから、どうしたというのだ。
馬鹿馬鹿しい。
森上にとって、そんな事実よりも、仙月が小麦色の肌をした小柄な肉感的な女であったという事実だ。
俺は長く続く無駄な会議にイライラしながら、我慢して席にすわっている。両足を乗せた椅子の上で貧乏ゆすりをしていると、
ゲッ!
お、おい、
な、何しやがる。
武芸に秀でた者の手はゴツゴツして骨張っている。その手が軽く汗ばんで、いや、そんな感想はどうでもいい。
俺が、俺が、男に手を握られているんだ!
思わず暁明の顔を見てヤメロと顔で伝えたが、しれっとした表情のまま、机の下で俺の手を強く握り離さそうとしない。
俺は動揺したまま、必死の力で手を振り払い、そのまま頭上高く、しかも両手を挙げてしまった。
「なんでしょうか、
「いや、手が……、じゃない。ほら、あのな。遺体の発見場所は殺害現場じゃないとか、それを言いたかった」
俺の言葉に宦官たちは誰もがお互いの顔を伺うだけで驚きもしない。
めったなことを口走れない雰囲気なのだ。
そうだ、この緊迫した会議で手を握るって、
「なんの根拠から、そう思われるのですか」
天佑が落ちついた声で聞いてくる。
その態度は威厳に満ち、彼に任せれば大丈夫という信頼感を与えてくる。彼こそ生まれながらのリーダーにちがいない。
これこそ俺の姿だった。
まちがっても机の下で手を握られるような男じゃない。
その上、手を振り払ったことで、妙な罪悪感にまで苛まれる。これは
「昨夜だが、女、名前は、ええっと……」
「
「その仙月が倒れていた場所に、争った形跡がなかったからだ。首を絞めたにしろ、抵抗すれば土の地面だ。足で引っ掻いたりした痕跡が残るはずだ」
「ほお、よく気づかれた」
「俺が現場に入ったときには、多くの者が近くを歩きまわっており、犯人の足跡を発見できなかった。いいか、
「
俺は慌てた。厳密に言えば俺は魅婉ではなく、また魅婉であるとも言える。そんな俺に、
「
「暁明? こいつを信じるな。俺に惚れてるだろ。女に惚れた男ってのは、大概、夢見がちなもんだ」
「夢見がちにも、程度ってものがありますが、どう思いますか? 暁明よ」
そうか、隣にいるんだった。手なんか握るから、動揺して本当のことを言っちまった。
どうする、暁明。
暁明は軽く肩をすくめただけで、何も言わなかった。
彼はもの静かな男だ。
涼しげな容姿をしており、色白の顔に泣きぼくろが特徴の端正な顔つきだ。大抵の女ならセクシーな顔だと思うだろう。
全員の視線が俺たちに向かうなか、暁明は俺を、俺だけを見て穏やかにほほ笑んだ。その目は優しく深い愛情に溢れている。俺の言葉を否定さえしない。
いったい、どう捉えたんだ。
お、お、俺に惚れていると言ったのだぞ。
手なんか握るから、そのお返しだ。
いや、逆ブーメランになって俺を攻撃している気がする。
「魅婉さまは」と、暁明が深くいい声で言った。
「皇太子さまのご側室にございます。わたしの感情になぞ興味もありませんでしょう」
心の奥がざわめいている。
(ほら、魅婉よ。俺に身体を任せっきりにすると、こういう目にあうんだ。覚悟しておくんだな)
魅婉は俺の言葉を聞いているだろうが、返事はなかった。
このふたりは確かに悲劇的だ。男ではなくなった暁明と、皇太子の側室である魅婉。完全に詰んでしまっている。
「今はこの殺人事件だ。だから、暁明よ、俺の冗談みたいな言葉は忘れてくれ」
「わかっております。魅婉さま」
魅婉と名前を呼んだとき、彼の声に優しさが滲んだ。
「あなたさまは、本当に魅婉さまなのか」
「俺が魅婉じゃなきゃ、なんだというのだ。天佑」
「わたしが知る後宮の女性方とは、だいぶ異なります。どこか別世界の人のようだ。狐にでも憑かれましたか」
俺はぐるりと目をまわした。
「どうとでも、取ってくれ。ともかく、捜査に戻るぞ。仙月が、いつからいなくなったか。彼女が行きそうな場所も調べれば、その足取り……、足取りって意味がわからんか。つまり、行動した場所のことだ。そこから殺害場所がわかるかもしれん。どこで殺されたのかを調査すれば、犯人に近づけるはずだ」
「それには、皇太子妃にお会いして許可を得て、お付きの者たちから情報を仕入れなければなりません。妃自身にお会いするには、それなりの身分でないとなりません。わたしが直接、会いに行きましょう」
「俺もついて行く」
「ご随意に」
「それから、もう一つ。さっきの狐憑きってのはいい表現だったな。その狐憑きだ。後宮のなかに、以前とまるで別人格のような人物がいるか、探し出してくれないか」
もし俺と同じように、あのシリアルキラーが誰かに転移したとすれば、本人とは別人になっているだろう。
それが、天佑でないことはわかる。
俺が魅婉に転移して自由に身体を支配できるのは、彼女の心がガラス細工だからだ。
謀反人の娘として生きる気力を失っているからこそ、こうやって自由にできる。
いわば、心が弱い宿主だからこそ可能なことだ。
天佑の精神は簡単に支配できない。
正義感が強く、意志の強い男だ。自分より弱い女を、あのように惨たらしく殺すことなど、ぜったいに許さないだろう。
「話を戻します。魅婉さまのご指摘も一理あります。
天佑によれば、宦官同士は横の絆が強いという。おそらく、自分たちが見下され、軽蔑されていることへの同胞意識だろう。
宦官は後宮のあらゆる場所に存在し、人扱いされていないが故に、秘密を知ることができる立場だ。
彼らは自らの存在を消し、空気のように深く後宮に潜りこんでいる。
(つづく)
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