後宮で懐妊するという意味




 外見ってのは、俺が思った以上に、相手に影響を与えるようだ。別に、それが新しい発見という訳じゃないが。


 今更なのだが……。

 自分の容姿が十七歳の少女でしかないってことを、あからさまに宦官らの視線で感じて心が削られる。


 長机に向かいあう宦官たちが、一斉に不審の目でこちらを見るのは想定内だ。その視線が言わんとしている意味もわかる。

(ほんとに来やがった。姫の酔狂なお遊びか。付き合わされるこっちも堪らん)


 かつての部下、佐久間和哉が言っていた。


『意外と、獅子王さんって繊細ですよね』


 その時は笑ったが、奴の言うことも一理あるのかもしれない。


 会議室の扉を開けて数秒。

 誰も何も言わない。


 一秒、二秒、三秒。


「俺は、どこに座ればいい」


 ……九秒、十秒。

 

 珍入者として、東廠とうしょうの宦官たちに不審な目で見られていることに、俺は少し傷ついた。

 このアウェー感は久しぶりだ。

 本庁から、所轄の警察署に出向したとき以来というか、どこか懐かしい。


 ぐるりと周囲の顔を見て、幼馴染である暁明シァミンの姿が目に入った。彼は心配気な顔つきをしており、まるで兄が妹を見守るように不安そうで、同時に甘い。


 唯一、動じてないのが天佑チンヨウ。長机の正面に不動明王のように姿勢を崩さずすわっている。

 ま、奴が誘ったのだから、当然と言えば当然だが。


「空いてる席にすわってくれ」と、天佑が言った。


 俺は末席に腰を下ろし、両足を上げて椅子の上であぐらをかいた。


 小柄だと、こういう場合は便利なものだ。

 昔の俺なら、こんな小さな椅子に両足を乗せてすわる芸当はできなかった。


 警視庁時代、はじめて俺に会った奴らの感想は、たいてい三つの言葉に集約された。


『怖っ!』

『でかっ!』

『背、高っ!』


 それを、今は天佑チンヨウが担っているようだ。奴は、たしかに『怖っ!』『でかっ!』『背、高っ!』である。


「じゃ、はじめてくれ」


 俺は全員に号令したが、やはり姫の可愛らしい声で命じるしかなかった。威厳もへったくれもない声だ。


 天佑チンヨウは右眉を軽く上げたが、何も言わなかった。

 彼が促すと、二番目の席にいる男が話しはじめた。どうも俺の登場で話の腰が折られたようだ。


「続けます。後宮の門番から、昨夜、外へ出た不審者はいなかったとの証言を得ております。女官を最初に発見した洗濯女に聞きましても、発見したとき仙月シェンユさまは……」

「なあ、なんで仙月に『さま』をつける」と、隣の宦官に囁いた。

「あの仙月シェンユさまは、高位女官にあらせられます」


 仙月シェンユを『さま』付けで呼ぶのは、皇太子妃の付きの高位女官であるからで、実家は丞相の家臣だった。

 皇太子妃の紅花ホンファに未だ子はなく、丞相の肝煎りで後宮入りした女官である。


 皇太子である殷麗孝イン・リキョウには、まだ幼い娘しかいない。それも側室が産んだ姫だ。しかし、放っておけば、いつか皇子が産まれるかもしれない。それが後ろ盾の大きい側室であれば、皇太子妃の立場は危うくなる。

 それを恐れ、彼女を後宮に入れたらしい。


「つまり、この件には側室たちの確執があるということか」


 いや、その線はないのだが。

 森上莞しんじょう・かんが憑依した相手によっては、後宮のドロドロ権力争いに見えなくもない。

 シリアルキラーが欲望から殺害した女に、後宮の政治など関係ないが、問題は、それらしく見えるということだ。


 宦官の報告によれば、仙月シェンユは、実に色っぽい女であり、いかにも森上莞しんじょう・かんが好むような、清楚というより妖艶で高飛車に見える高慢タイプのようだ。


 奴は、そういう女を支配して自分の思う通りしたいという暗い欲望を持っていた。

 俺は手をあげて質問をしてみた。


仙月シェンユは殺される前日から消えていたのではないか?」

「どうして、それがわかった」と、天佑チンヨウが答えた。


 やはり同じ手口だ。

 奴は女を拐うと、大抵十二時間はともに過ごしてから犯行に及ぶ。その時間、女を支配することに喜びを感じるのだ。


 その後も部下の報告による会議は続いた。


 内容は、ありきたりな上に的外れな報告もあるなか、例の医官が入ってきた。


天佑チンヨウさま、検視医官からの報告をいたします前に、お人払いをお願いしたいのですが」

「何事か」

「それが……」


 医官は困ったように口を閉じる。


「わかった。皆、下がれ」


 会議に参加していた宦官たちが部屋から出ていく。しかし、俺は引き下がるつもりはなかった。


魅婉ミウァンさま、申し訳ないが」

「俺は、ここで聞くぞ。実はな、天佑チンヨウ。俺は、医官の報告を知っているんだ。嘘だと思わんこった。今朝方、検視をいっしょにしている」

「医官、そうなのか?」

「申し訳ございません。ただ、姫さまのご見識は非常に高く、医官として長年勤めてまいりましたが、いまだ勉強することがあったとは光栄にございました」


 天佑チンヨウは、それが癖なのか右眉をあげた。


「わかりました、魅婉ミウァンさま。では、報告を聞こうか」

「それでは」と言ってから、医官はかなり躊躇して言葉をつづけた。

仙月シェンユさまはご懐妊なさっていたようです」


 その意味を俺は、たぶんよく理解できてなかったと思う。この国にとって、帝や皇太子の子を宿すという意味をだ。

 後宮に男はいない。

 懐妊しているとすれば、それは皇太子の子以外にはなく、将来の世継ぎを殺した可能性があるとすれば、これがきっかけで政変にもなりかねない重要事項なのだ。


 皇太子の正妻である紅花ホンファに子がいない。

 側室は俺を含めて三人。

 俺は論外として、残りの二人には、それぞれ丞相までは及ばないが後ろ盾がいる。


 後宮で生まれる子は政治だ。

 側室ふたりに、皇子が生まれれば、紅花ホンファの立場は危うくなる。それこそ現代風に言えば、正妻の立場がレームダック状態になる。


 これは、側室側から見ても同じ意味だ。

 正妻の部屋で皇子が生まれれば、彼女たちの地位は相対的に低くなる。それが、たとえ、妾腹の子だとしても、紅花ホンファが住む桜徽殿の皇子になる。

 

「つまり、恐れおおくも、今回の罪人は皇太子さまの御子を殺害したということになるのか」

「さようにございます」

「天佑、もう一つ、俺からも話しておきたい。遺体置き場で詳細に調べた結果だが。首を絞められたのは、二度だ。最初は、手、次に紐だ」

「どういうことでしょうか。魅婉ミウァンさま」

「言った通りだ。首筋に手で絞めた後がある、手の大きさは普通か。首に残った痕から、手の持ち主は小柄な男か、あるいは女かもしれない。その後、紐で絞められている。そっちが後なのは、残された形跡からわかる」


 同じ言葉を医官の報告から聞いた天佑チンヨウは、ふたたび部屋に戻った宦官たちに、その事実を話さなかった。

 たぶんに政治的な意味合いからだろう。

 

 


 (つづく)

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