宦官として、東廠へ出向く




 東廠とうしょうは、後宮を取り締まることが仕事の宦官組織であり、秘密警察組織みたいなものだ。


 後宮内で彼らの評判が悪いのは、恐れられる存在である上に去勢されたという不名誉な刑罰をうけているからだろう。

 宮刑は死刑につぐ重い刑罰である。


 宮中全体の警察組織で言えば、表部隊として活躍する『刑部けいぶ』が主で、『東廠とうしょう』は後宮の裏組織、公安警察に近いイメージがある。

 その間に目には見えない権力闘争があった。


 そう言えば、現代でも警察と公安は、ばちばちの間柄だった。

 警官の隠語に、『ハム』ってのがある。これは公安警察を意味して、いい意味では使われない。


 東廠とうしょう刑部けいぶの関係も同じようなもんだろう。いつの時代も、いつの世界も、人と組織の関係は変わらんようだ。


 東廠の長官である天佑チンヨウは、提督東廠と呼ばれている。


 細長い吊り目で睨まれると気の弱い女官など、すくみ上がってしまう。彼の視線に耐えられる者は少ない。

 さらに大男でもあるから威圧感が増す。

 宦官でなければ、軍の将軍として活躍したとしても、なんら不思議ではない男だ。


 俺にとっては、彼は仕事ぶりに無駄がなくキレる男で、それ以下でも以上でもない。




 検視を終えて部屋に戻ると、太華が待ち構えていた。


「なんてまあ、このひどい匂いは、鼻が曲がってしまいます」

「着替えてから、また出かける」

「そんな、姫さま。太華は心配にございますよ」

「言うな、太華、無駄なことだ」


 新しい宦官衣装に着替えると、俺は獅子王として慣れたスタイル、つまり、胸を張って外に出て、大股で歩いた。

 それが、どうも俺の思惑とは別にどこか微妙にずれ、見るものに滑稽であったようだ。

 俺は多くの目に晒されながら、側室のひとりが住む馬酔木舎あせびしゃの横を通り抜け、皇太子妃が住む桜徽殿の前を抜けた。

 欄干に出て紅葉を見ていた女官たちは、俺を見て恐れ慄くかわりに、ほほ笑んでいる。


「ご覧なさいまし、あれが孔魅婉コウ・ミウァンさまよ」

「まあ、なんという勇ましいお姿だこと、うふふふ。今までお部屋に引きこもり、お顔さえ見たことがなかったのに、あのような姿で」


 囁き声には忍び笑いが含まれ、俺は彼女たちに、つい手を振ってしまった。


「あら、あら、まあ。少年みたいにお可愛らしい」

「ほんに」


 冬の爽やかな晴天の空は清々しささえ感じる。

 空気に汚れなく、木々の匂いも新鮮で、なんとも気分がいい。


 皇太子が政務を行う朱鳥殿を横切ったとき、彼は竹簡に書かれた報告を読んでいたが、いったん目を休めて、俺の姿を確認した。


「あれは」

「魅婉さまが東廠とうしょうへ出勤なさるようにございます」

「なんとも、まあ、本気であったか」

「さように」

「可愛らしいものだ」


 おい、聞こえてるぞ。





 二年前、魅婉が皇太子の後宮に来たときは、側室たちは心穏やかではなかったという。

 謀反人の娘ではあるが、皇太子の幼馴染で従姉妹でもある。愛らしい容姿はライバルとして強敵だ。


 権勢をふるう現丞相の娘、皇太子妃である紅花ホンファも態度に表さなかったが実は警戒していたらしい。


 そんなことは、俺の知ったこっちゃない。

 まあ、通称『姥捨舎うばすてしゃ』に囲われて二年。皇太子は一度も寝屋に訪れなかったらしい。

 一年後には、後宮の女たちから緊張がとけ、二年後にはライバルとしての価値が消えた。

 顧みられない側室ほど、後宮で人気のある存在はない。

 それは最高だ。

 まさか、あの見るからに俺さま皇子である殷麗孝イン・リキョウと、夜の薄暗がりに、寝室で……。

 うっわ、想像するだけで吐くぞ!

 ガタイのいい男とガタイのいい男が、がっつり四つに組む姿は、いや、普通に男女なんだが、俺のなかでは、そうなる。


 そこまで想像して、俺は精神の安寧のために思考を止めた。


 ともかく、事件の翌日はよく晴れた良い日で、離れを出て庭におり砂利を踏みしめながら歩いた。


 東宮内の下級女官が住む建物。その先にある東廠舎とうしょうしゃは、東宮の西南に位置する。ここも皇太子と帝が住む後宮の境界線上に建っていた。つまり、皇太子の後宮からは西側の扉から、帝の後宮からは東側の扉から入れるようになっている。


 俺はスキップする勢いで、東廠とうしょうに入った。

 いきおい余って壁に激突しそうになったが、その姿は誰にも見られなかった。木造の建物内は、しんとして人の気配はなく、とことん静けさに満ちている。


 新人警官として、はじめて警察署に向かったときを思いだす。あの時の緊張が蘇った。

 獅子王朔ししおう・さくとして、緊張しながら新人警官となり、すでに十六年が過ぎた。

 俺は男だった。

 エリート捜査官として将来を約束(?)された警視正だ。

 いや、今は、そんなことにグダグダと悩んでいる場合じゃない。ともかく、犯人を逮捕するまでは、すべてを忘れるぞ。


 パシっと頬を叩いて、颯爽と扉を開けた。


 誰もいない。

 警備の人間もいないのだろうか。


 扉の先にさらに扉があり、開けると若い宦官が驚いた表情を浮かべた。


「おまえの所属は」と、俺は聞いた。


 こういう場合、先に主導権を取ったほうが早い。


「あの、あなたさまは」

「俺は獅子王、じゃなかった。魅婉だ」

「失礼いたしました」


 うやうやしい態度で、手を胸の前で組み合わせ拱手きょうしゅすると、若い宦官は、「提督東廠さまから伺っております」といった。


 天佑チンヨウ、仕事ができるな。面倒な説明をする必要がなくて助かった。

 彼に案内されて廊下を歩き、突き当たりの部屋に向かう途中、先からざわめきが聞こえた。


 案内役が扉を開くと、長机に座った十人ほどの宦官たちが一斉に黙り、こちらに顔を向けた。

 これはアウエイ感、半端ないな。

 



(つづく)

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