第3章

事件の翌朝、検視医官のもとで




 この愛らしい容姿──

 大きな瞳は常にうるんでおり、色白のきめ細かい肌に映えるぼってりとした赤い唇。豊満な胸に似合わない少女のような顔つきで、逆にそれが清潔な色気を醸し出している。

 小柄で折れそうな腰は男の庇護欲をかき立てるだろう……、俺好みはまちがいない美少女、魅婉ミウァン


 両手を腰に当てて仁王立ちすれば、かつての俺なら、みなが畏怖したものだ。


 それが、この女がすると、ロリ美少女が偉そうにしているとしか見えない。


「まああ、かわいい子」なんて、女どもの母性本能までくすぐってしまう。


 ずいぶんと自分を軽く感じた。

 容姿の他人に与える影響は大きいと思うが、まさか自分に対しても影響があるとは思ってもみなかった。

 誰も俺の意見など真剣に取らないと感じてしまう。


 だからこそ、驚いた。

 天佑チンヨウが、こんな俺を指名したのは英断なのか? それとも、蛮勇か。あるいは、他に意図があってのことか。


 皇太子が去ったのち、早く帰りたがっている太華を待たせ、天佑チンヨウと相談した。


「なあ、天佑チンヨウ。頼みがひとつある」

「なんでございましょうか。魅婉さま」

「この姫さまらしい格好で捜査するのは目立ちすぎる。東廠とうしょうで働く者が着る宦官の衣装を届けてくれ」


 天佑は目を見開いたが、即答した。


「承りました」


 翌朝、太華の怒りは想像するまでもなかった。彼女は文字通り身体を震わせて怒っていた。


「どうした、太華」

「どうしたでございますか? なんと悠長な。どうしたもこうしたもございません。東廠とうしょうから衣服が届いております。姫さまに宦官の格好をさせるなど、なんと恐れ多くも、バチ当たりな」

「俺が頼んだ」

「ひぇ〜〜」


 俺は寝台から起き上がり、太華の頬を両手でつかんで間近でにらんだ。魅婉の記憶にある彼女は母親のようなイメージだが、俺からしてみれば、心配性のお節介おばさんだ。


「な、な、なんでございましょう」

「わからんだろうが。今は危機的な状況なんだよ。謀反人の娘として、後宮で来た時よりも、実質的に今のほうが危険なんだ」

「姫さま、どういう意味にございましょう」

「俺は命を狙われている」

「ま、まさか。姫さまのことは、皇太子さまがお守りくださっております」


 やはり、そうか。

 太華は皇太子の計らいで、側仕えすることになった女官だ。


 皇太子の側室になったのは、罪人の娘を守るために特別に計らったのは間違いない。

 当時、魅婉ミウァンは十五歳。ぎりぎり、この世界の結婚年齢に達してはいた。

 黄暁明ファン・シァミンが救われたのも、おそらく皇太子の計らいだろう。十五歳ではあったが、彼は主犯格の元丞相の子だ。

 宦官として生きる道を開いた。

 それを暁明が望んだかどうかはわからない。

 魅婉の記憶では、暁明は思慮深くあまり感情を表にださない穏やかな性格で、ずっと魅婉を見守っていた。そんな優しく包容力にあふれた彼に恋しているのだろう。


 あれから魅婉はおし黙ったまま、表面にでてこない。

 家族を失い、その上に恋した男と一生結ばれることはないと知って絶望しているのかもしれない。

 皇太子は温情で彼女を側室にしたのだろうが、魅婉と暁明には、いっそ残酷なことだったかもしれない。

 生まれながらに王族である彼に、その自覚はないだろうが。

 この三人は、いろんな意味で複雑な関係だ。


「じゃ、太華。着替えるぞ」

「でも、魅婉さま」

「俺がかってに着てもいいのか。それも、かまわんが。衣服なんぞ、大事なとこ隠しときゃ、用は足りるからな」

「お手伝います! きっちりお手伝いさせていただきますッ!」


 太華は、強い口調で宣言して黒い宦官衣装を着せ、青銅の胸当てをつけた。

 おお、これは動きやすい。

 やはり男の服はいいな。


「良いな。この格好は気に入った」

「姫さま、哀しゅうございます」

「では、行ってくる」

「わたくしも」

「太華は残れ、恐ろしいものを見ることになる」

「なにをでございますか」

「検視する遺体だ」


 太華は腰をぬかさんばかりに驚いた。


「ダメにございます。魅婉ミウァンさま。お姫さまとして、そのような場に参ってはなりません」


 俺は文句を言う太華に背を向けたまま大股で部屋から出た。宦官用の烏帽子をかぶる前に、一応、手は振った。

 太華が、その場でひざまずき両手をすりあわせて、必死に祈る声が聞こえた。


「なにとぞ、なにとぞ、姫さまに災いがございませんように。あずまにセイリュウ、なむスザク、とんでビャッコにゲンブましましッ……」


 俺は吹き出しそうになるのを、必死でこらえた。

 



 今日は冷えこみが厳しく、朝から吐く息が白くなるほど寒さが厳しい。最初に思った季節は秋だったが、実際は冬なのかもしれない。

 これはいい。

 冷凍庫などない世界では遺体が腐るのを遅らせるだろう。俺はパンっと頬を叩き、まっすぐに大医署たいいしょに向かった。


 大医署は医療や薬草を扱う部署であり、後宮の北西、薬草園に隣接した建物で、帝と皇太子がそれぞれ持つ後宮の境目にある。どちらの要望にも対応しやすい場所だからだろう。


『北枝舎』から、北側の内壁にそって歩いていくと、さまざまな薬草が植えられた二十坪ほどの薬草園に至り、その先に大医署たいいしょがあった。

 仙月シェンユの遺体が安置されているはずだ。


 案内を乞い出てきた主医官は昨夜に会ったはずだが、昼間に見ると印象が違った。

 顔にシワが多く、長い後宮勤めで多くの見たくないものを心の奥深く閉じ込め、驚くという感情を失ったように見えた。

 俺は彼が気に入った。

 なにより、余分なことを言わないところがいい。


「医官か、魅婉ミウァンだ。昨夜の遺体を見せてくれ」


 彼は驚いた表情を浮かべたが、黙って遺体安置室に案内した。


 強い香の匂いが漂ってくるので、扉を開く前に、この先が安置室だとすぐに知れた。この強い香は遺体の腐敗から発する匂いを消すためだ。

 部屋に入ると、一番奥にある寝台に仙月は横たわっていた。

 触れると、かなり冷たい。これは身体の水分が蒸発することによって熱が奪われ起きる現象だ。


「この遺体の冷え方。全身の硬直もあることからも、やはり発見の二時間ほど前に殺害されているようだ」

「二時間とは?」

「一刻くらい前のことだ」

「なぜ、そうわかるのですかな」

「医官よ、深く考えるな。ただ、信じて良い」


 俺は全身を確認した。

 発見されたときは、上肢つまり手から肩にかけて死後硬直が起きていた。

 今は、硬直が全身に及んでいる。


 死後硬直は冬場の寒い場所なら、七十時間ほどで溶けていく。

 昨夜の発見から、まだ十時間ほどしか過ぎていない。では、いったいどこで殺害されたのか。

 その場所を特定するのを急がなければ、時とともに証拠が消えるだろう。


 その後、遺体の解剖に最後まで顔色も変えずにつきあった俺に、医官ははじめて驚きの表情を浮かべた。


「医官や医女たちでさえ、解剖の現場には慣れないものですが。姫さまは、ほんに肝がすわっておられますな」

「そこを気にするところではない。それより、この娘、妊娠していたな」

「お、畏れ多くも、皇子さまのお命が奪われたことになりましょう」


 医官の顔は恐怖で震えていた。


「では、東廠とうしょうで会おうか」




(つづく)

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