シリアルキラーの履歴書
俺の持論だが、気持ちに余裕のある者と余裕のない者とじゃあ、圧倒的に前者が有利だ。この場合、皇太子と俺の状況を言っているんだが。
もともと俺は決断に迷うことがない。
あっちと決めれば、あっちへ突進する性格だ。部下であった佐久間は、よくそんな俺に、『自覚のないお騒がせなんです。獅子王さんは』なんてことを、ブツブツ言っていた。
今は、逃げることが最適解と思うのは、皇太子がいろんな意味で手強い相手そうだからだ。
目をつけられたら、まずいとは思う。しかし、困ったことに、こういう時に限って俺の悪い癖が爆発してしまう。
実は相当の負けず嫌いなのだ。
逃げは負けだ。俺は負けるわけにはいかない。
大きく息を吸ってから、ゆっくり周囲の状況を確認した。
殺された女官は寸分の狂いもなく
俺と同じように、奴がこの世界に来たのか……。
屋上から落ちて逃げていく、あのクソッタレの姿を最後に意識を失った。
足を引きずって逃げていく奴。しかし、いくら俺をクッションにしたとしても無事ではありえない。半死の状態で逃げ切れるはずがない。
あの時、奇妙な光は奴の背後から追ってきた。
俺が
俺と同時に、この世界に転移したにちがいない。
いったい誰に?
男か?
おそらく、俺の存在にいち早く気付いたはずだ。
今も、近くで俺を嘲笑っているかもしれない。
「
「殿下。なぜ、彼女がこのような惨たらしい姿で亡くなったのか。その理由は謎にございます」
「何もわからない。それが今の結論なんだろうな。わかった。全権をそなたに託す。必ず解明せよ」
「承りました……。それにつきまして、ひとつお願いがございます」
「なんなりと申せ」
そうっと、現場から離れようとしている俺を
「大変に畏れ多いことにございますが。
「へ? へええ?」
すっとんきょうな声で、俺は思わず叫んでしまった。
いや、それは、願ってもないが、しかし、別の意味でまずいことでもある。
「殿下」
なぜか、
「なんだね」
「それは、大変に危険にございます。このように惨たらしい事件に、
「暁明、昔から、そなたは魅婉のこととなると」と、皇太子は苦笑いを浮かべて、途中で言葉を切った。
俺は男だ。
女の心理はよくわからんが、男たちの感情なら読める。
魅婉は惚れた弱みから、
しかし、実際は暁明も魅婉に惚れている。
幼馴染であった皇太子も、少なからず関心を持っており、捜査のことで、
この流れはまずい。
まずいのだ、たぶん。
いや、わからない。かえってやりやすいのか。
「やります! やらせていただきます!」
俺は右手をあげて、大声で叫んでいた。その声が自分の耳にも、むだに可愛らしく聞こえて調子が狂う。
もし、ここに
いや、この愛らしい姫が俺とは、つまりあの身長一八三センチ、腹筋バキバキの体脂肪率十パーセント。身体を鍛え抜いた獅子王警視正三十八歳とは、さすがに想像するのは難しいかもしれない。
そうであって欲しい。
自分でさえ、吐き気がするんだ。
夜が深くなるにつれ、さらに冷え込んできた。ホッホー、ホーとアオバズクの鳴き声が聞こえ、周囲は深とした静けさに満ちている。
「よかろう。今後は随時、進捗状況を余に報告せよ」
「ありがとうございます。殿下」
「魅婉も危険なことはするな」
「魅婉さまの安全は、この天佑が心してお守りいたします」
これは喜ぶべきところだろう。
奴の捜査に俺以上の適任者はいない。
俺は
実際の彼は男としては背が低く痩せぎすだった。
顔が小さく少女みたいな容貌、きめ細かい肌が異様に白い。だから女装がよく似合った。喉仏の突起を見なければ、女だと思ったかもしれない。
奴は女装して相手を安心させて騙し犯行に及ぶこともあった。
人を操ることが巧みで、実行するには、必ず共犯者がいた。
公になった最初の犠牲者は、東京新宿区内に住むラテン系音楽バーで働く、小柄で豊満な胸をもつ女性歌手だった。
被害者はビルの谷間で打ち捨てられたように壁に背を預けていた。
二番目の犠牲者は、その一年後。
湘南の海に遊びに来た大学生で、やはり小柄で小麦色の肌が魅力な娘だった。彼女が発見されたのは、逗子海岸に向かうトンネル内だ。
その半年後、八王子の郊外で発見された女性の遺体により、警察は広域捜査に切り替えた。
それぞれの事件の間に、数ヶ月以上の冷却期間があり、これは大量殺人者とは異なる点だ。犯行の状況を分析すれば秩序型のシリアルキラーに当てはまる。
最初に事件が起きたのは四年前だが、実際はもっと前から犯行を繰り返していると俺はにらんでいた。
相手が生まれながらのシリアルキラーである場合、表沙汰になってない事件が必ずあるはずだからだ。
新宿で起きた事件の五年前、自殺として扱われた事件があった。
浅黒い肌の十代の少女で、受験の失敗による自殺という捜査報告書が残っていた。彼女の小指がなかったのは、縊死した木から落ちた時、岩に潰されたからと書かれていた。
この少女は埼玉県在住の高校生だった。
彼女は
数年前なら、通りすがりの殺人ほど厄介なものはなかった。被害者と接点がない場合、犯人逮捕に至るのは困難を極める。
しかし、路上に設置された防犯カメラや車載カメラにより、無差別殺人に対する捜査は精度があがった。
防犯カメラの重要性は高い。
逆に、三点が遠方であるがゆえに、どの現場でも現れた人物は犯人以外にはありえなくなる。
東京新宿のバー近辺、神奈川県の逗子市、八王子郊外。そして、過去の自殺。
殺害日に三地域で目撃された人物、それこそが
後宮で起きた凄惨な殺人は
彼と同じ性癖の人物がこの世界にいるのか、あるいは、俺と同じように、この世界の誰かの心に奴が憑依したかだ。
いずれにしろ、殺害と殺害のあいだに、これからしばらく冷却期間が入るはずだ。
現代と違い、監視カメラのない後宮で、いかに奴を発見すればいいのか。
俺は手をあげ、可愛い声で叫ぶしかなかった。
「やります! やらせていただきます!」
(第2章完結:つづく)
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