満を待しての皇太子登場




「ほら、この首筋を見ろ」


 俺は検視に夢中になってしまい、次第に自分が魅婉ミウァンであることを忘れた。


「布で首を締めた痕が残っている。この女は二回、首を絞められ、殺害後に小指を切り取られたようだ」

「なぜ、わかるのですか」

「両手が弛緩している。その上に左手と右手の爪を見ろ。抵抗したり、何かを強くつかめば、その後が爪に残るはずだ。生きてるいるうちに、切り取られたら激痛に何かをつかむはずだ。爪が剥がれたり、傷ついたりしてないってことは、抵抗していない。つまり、死んだ後に切り取っているが、ただ、直後だから血が流れた。これが死後数刻後だったら血も流れなかったはずだ」

「首を絞められたときは」

「ほら、こうだ」


 俺は立ち上がると、腰から紐を取り、すかさず天佑チンヨウの首に巻きつけた。背が高くて、つま先立っても届かない。


「な、何をする!」


 近くにいた宦官が鋭い声を上げたのを、天佑は手で制した。


「わかるか。このように身体の小さいものが人を締めようとするのは難しい。紐の位置も下がる。しかし、この女官は小柄だ」


 俺は片手をあげて、女のために祈りを捧げたのち、彼女の首に紐を巻いた。


「この違いだ。被害者は俺よりも小さな女だ。最後の犯人は大柄だろう」

「最後とは?」

「この女はふたりの犯人に殺されている。最初は女、次に男だ。そいつは手慣れた者にちがいない。なんのためらいもなく締め、抵抗する間もなかったろう。爪に残る抵抗の皮膚片が少ない、それが、もう一つの理由だ」

「検視医官! 魅婉殿の見立てをどう思う」

「実に理にかなっており、非常に感服いたしました」


 小柄な医官が、俺を見る表情は驚きに満ちている。


 俺といえば、それどころじゃなかった。気が滅入るばかりだ。女官を見て、それから、視線を天佑チンヨウに移した。


 この現場は、いやになるほど見てきた。

 何年もかけて追ったシリアルキラー森上莞しんじょう・かんのやり口をそっくり真似ている。

 模倣犯ってのも変だが、そんな奴が異世界にいるのか。

 しかし、事件を見たこともない模倣犯が、この世界で同じ罪を犯すなど、あり得ない。


「提督東廠」と、俺は天佑チンヨウに聞いた。

「この同じ手口を、これまで見たことがあるか」

「手口とは、どういう意味ですか。時々、意味のわからぬ言葉を使いますな」

「手口とは、首を締めたあとに小指を切り取り、このような姿で外部に晒すことを聞いている」

「いや、ありません」

 

 即座に彼は否定した。


「後宮で、このような酷い人死には起きていない」


 ふんっと鼻で笑ってみた。


 問題は、彼らは後宮内での事件しか知らないことだ。SNSが発達した現代なら、地球の裏側のニュースも時差なく知ることができるが、ここは違う。

 王宮内の事件でさえ、おそらく全容をつかむことは難しいだろう。


「これは刑部に報告する事件になったようです」

「刑部とは?」


 天佑の説明では、表の事件は刑部けいぶという警察機構が扱う。男が入ることができない後宮を宦官で組織された東廠とうしょうが扱い、刑部に引き渡すという仕組みになっているらしい。


 犠牲となった仙月シェンユは皇太子妃付き高級女官である。実家も、それなりの名家であるはずだ。

 それが、こんな哀れな姿を人目に晒すなど、みなの衝撃は大きいにちがいない。


「防備をしっかりしないとな。この後、事件は続くだろう。残念だが、警戒することだ」

「なぜ、わかるのですか」

「これは、異常者がする犯罪だ。こういう犯罪者は自分の欲望を抑えきれない。捕えるまで繰り返す」


 俺も気分が落ち込んだが、同時に、どこか片隅で高揚するものもあった。

 あいつがいる。

 間違いない。

 この未開な世界で、もし、奴が俺と同様に誰かを支配しているとすれば、そいつを見つけるのは容易ではないだろう。しかし、今度こそ息の根を止めるチャンスでもある。


 森上莞しんじょう・かんは無表情なやつだった。

 にやりと笑った顔に感情がなく、ピエロのような笑顔で、そのおぞましさに身慄いを感じた。

 あれは人ではない。悪魔だ。

 数年の地道な捜査で、やっと追い詰めた。

 完璧な包囲網だったはずなのに、捨て身の戦法で潜り抜けた。ビルの屋上から落ち、俺をクッションにして逃げたのだ。


 あの瞬間、光の玉が発光して、まぶしくて目を開けていられないほど輝いた。


 奴も、ここに来たのだ。まちがいなく、ここにいて俺を観察しているはずだ。

 周囲を見渡した。


 宦官か、あるいは、女官にか。


 その時、周囲に立っていた人びとが、いっせいにこうべを垂れ、ざっと膝をついた。


 ここはあまり人の来ない場所だ。普段なら灯篭の灯りもない。

 それが、今は多くの灯りで煌煌と夜を照らしている。

 人びとがひざまずくなか、誰かが堂々とした立居振る舞いで、こちらに向かって歩いてきた。雅やかな装いをした男だ。

 宦官のふたりが腰をかがめて提灯で男の道を照らす。

 背後には多くの女官と宦官を従えていた。


 近づいてきた男……。

 細おもての顔で、鼻筋が通り、涼しげな目をしている。すっとした和風人形のような気品があった。

 色白で端正だが、どことなく酷薄な印象も受ける。きっと女が惚れたら危険な男だろう。

 彼の存在だけで、周囲が華やかになったような、そんな錯覚を覚える。

 男であるが、どうしようもなく惹きつけられた。

 皇太子、殷麗孝イン・リキョウ

 魅婉ミウァンの感情に侵食されたにちがいないと思うが。しかし、彼女は暁明シァミンに恋していたはずだ。

 なぜ、皇太子にそんな感情を覚える。


 俺は、なぜか、動くことができなかった。



(つづく)

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