第3話 心ってこわれもの

 ひろみどり、リサイクルショップのアルバイトから社員になって四年目。

 人並みの仕事をこなすのもやっとなこの私が、社員だなんて。


 それでも、多少背伸びしてでも、一人暮らしがしたかった。


「中学で一緒だった〇〇ちゃん、結婚したんだって」

「お隣の娘さん、今度お子さん産まれるらしいよ」


 実家にいると、母の遠回しな催促が鬱陶しかったってのが一番。

 ……直接言われるのが、電話に変わっただけ?

 それはそう。でも、顔を合わせなくて済む分、だいぶ気が楽だから。




  *




 今日も私は午後から出勤。お仕事がんばろう。


「安心するなぁ~、広田さんがいる日は」

「そッスね。広田さんいると職場が明るくていいッスよね」


 自慢じゃないけど私、バイトの子たちには好かれてるみたい。

 正直なところ人気半分、ナメられてるの半分って感じはするけど、贅沢言っちゃいけないよね。


 何せ、今の職場にはあの子がいるんだもの。

 クールで真面目で、時々お茶目な――はらりんちゃん。


「小原さん、そっち終わったら言ってね」


 レトロなゲーム機、二台お買い上げ。薄めた洗剤を霧吹きで布に含ませて、せっせと汚れを拭き取っていく。

 二人で作業台に並んで立つ、二十センチの距離がもどかしい。


「広田さん、見てください。綺麗になりました」

「うん…………綺麗な指……」

「えっ」


 しまったぁああ! 今の言い方は変態っぽすぎるって!

 ……ダメだ、私。最近ちょっと浮かれてる。


「あ……っと、指、先……爪とか、綺麗にしてるなぁって」


 我ながら上手くごまかせた――と思いたい。


「はい。わたし、楽器やってるので」


 思いがけない凛ちゃん新情報だ。変態でよかったぁ…………よくないけど。


「そうなんだ。小原さん、ギターとか似合いそう」

「ギターも一応……今はベース弾いてます。大学のサークルで」


 ベース! カッコいい! 好き! ……って叫びたい。叫ばないけど。なぜって、仕事中だから。

 私が自分を抑えてる間に、横から店長が割り込んで来た。


「へぇ~。小原ちゃん、音楽やってるんだ。彼氏の影響かな?」


 何言ってんだ、このオッサンがぁ! リサイクルショップ経営する前にテメェの頭ん中リサイクルしろぉ!

 ……あ、でも彼氏の有無は気になる私。ちゃっかり聞き耳立てる。


「……いえ。彼氏とかはいたことないです」


 よかった……ってのも何か違うな。小原さん、友だちとか作るの苦手だって、こないだ聞いたばっかりだし。ちょっと反省。

 ……って、あれっ? 小原さん、こっち見てる……?


「広田ちゃんさぁ……」


 え? 店長まで!? もしかして聞き耳立ててたのバレた……?


「それ、洗剤付けすぎじゃない?」

「あ、あわぁああぁ――――っ!!」


 泡だらけになった作業台を見て、私は泡を食う羽目になった。




 まったく、私と来たら……一度もやらかさずに過ごせる日は訪れないのかなぁ。


ひろさーん、動作確認完了ッス」

「ごめんね、川上かわかみくん。作業代わってもらっちゃって」


 申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、私は洗剤まみれになったクロスの塊をバケツに放り込む。

 顔を合わせるのが億劫だ。屈託のない男子学生の声も眼差しも、今の私には眩しすぎるよ。


「いッスよ、べつに。むしろオレがそっち代わったほうよかったんじゃ……」

「ううん。失敗したのは私だし、自分で片付けるべきかと」


 じっと手を見る。はらさんの綺麗な手とは比べるのも恥ずかしい。作業で荒れた指に、古びたペンだこが未練がましく居座り続けてる。

 好きだったはずの絵から逃げて、母親からも逃げて、この体たらく。本当にみじめだ。


「……私、ホントはこの職場いないほうがいいって思うよね……?」

「いや。全然思わねッスけど」


 即答! 強っ! 眩しっ!


「広田さんスゲー気配り上手ッスし、雑用とかも何気に率先してやってくれてるじゃないッスか。オレら、そーゆーとこマジリスペクトしてんッスけど?」


 こんなにも真っ直ぐに褒められたこと、大人になってからされた憶えがなかったから。

 嬉しかったけど、何だかむず痒くて、つい反論しちゃった。


「それは……あなたたちだってやってくれてるじゃない。置きっぱなしの備品戻してくれたり、床の汚れ見つけ次第拭いてくれたり……」

「広田さんの真似してるだけッスよ」

「……私の……?」

「そッスよ。つか、小原さんが『わたしたちも広田さんみたいに周りに気を配るようにしよう』って言ってくれたんスけどね」


 小原さん――見ててくれたんだ、私のこと……


「んなわけッスから広田さん、オレでよかったら愚痴ぐらいいつでも聞きますんで。今日はどもおつかれっした」

「う、うん。ありがと」


 川上くん、チャラいけどいい子だよなぁ……でも小原さんは渡さないんだから!


「広田さん」

「ふへぇ……っ!?」


 びっくりして変な声出ちゃった。川上くんと入れ替わりに、帰り支度の整った小原さんがバックヤードの戸口に立っていた。


「あの、これ……使いかけで申し訳ないんですけど、もしよければ……」


 小原さんが両手で差し出したのはハンドクリーム……そっか。私が洗剤で手荒れとかしてないか心配してくれてるんだ。


「私に、くれるの?」

「手帳のお礼です……差し上げます」


 その小さなチューブに詰まった大きな優しさを、私は胸がいっぱいになりながら受け取った。


「……嬉しいな。有り難く使わせてもらうね」

「は……それでは、おつかれさまでした!」


 お辞儀の勢いもそのままに、小原さんはつかつかと店をあとにした。

 ――かと思いきや、すぐに私の前まで引き返して来る。


「あの……さっきの話、本当なので」

「さっきの話?」

「……な、何でもないです!」


 行っちゃった……。


 思いがけず私の手の中へと舞い込んで来た――りんちゃんの香り。甘くて、あたたかくて、弱った私の心を優しく包んでくれる、そんな香り。




 それからしばらく、私はすっかり浮かれてた。以前にも増して和やかになったこの店で、あんなことが起きるなんて思ってもみなかったから。

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