第三十四稿 友達から恋人になるのってありだと思う?

「皆さん、今月もお疲れ様でした。少し早いですが私はこれにて失礼します」


 月末のお昼過ぎ。仕上がった原稿を手にした遠坂さんを見ると頬がいつもより赤く染まっている。気にはなるものの彼女は会釈をして出版社へと戻っていった。


「すっごい背の高い美人さんだった~! わたしもああいう感じになりたいな!」

 仕事風景を見に来ていた莉子ちゃんが興奮気味に声をあげる。


「それじゃいっぱい牛乳飲まないとね」

「お姉ちゃんも一緒に飲みましょう! そして目指せすらっとクール美女!」

「だめだめ。私はもう伸びないよ~」

「そんな、諦めちゃダメですよ。あ……わたしもそろそろ帰らないといけないんでした! 皆さん、今日は色々べんきょーになりました!」


 るんるんと彼女が立ち上がると、


「でしたら私が送っていきましょうか。今日は友人と用事があるので……今のうちなら間に合います」


 帰り支度をしていた夢子が私に声を向けた。


「ゆめちゃん、本当に行ってもらってもいいの?」

「任せてください。ですから、その……お願いします」

 彼女はまりもを気にするように小声で囁いた。


「わかった。ありがとねゆめちゃん」


 夢子と莉子ちゃんを見送ると部屋はすっかり静かになって、まりもは何度目になるだろう大きな溜息を吐くとテーブルに突っ伏してしまった。

 いつもの元気さは完全になりを潜めていて、朝に顔を合わせてからずっとこんな調子だ。


「まりもー。今日はどうしたの? 何かあった?」


 私は正面にコーヒーカップを置いたあと椅子に腰掛けて待っている。

 立ち上る湯気が見えなくなってきた頃、ようやく体を起こした彼女と目が合った。


「れな……。れなさ、今日ちょっと付き合ってもらっていい? ダメ?」


 ゆっくりと立ち上がったまりもは、もじもじと落ち着かない様子でどこかいつもとは雰囲気が違って見える。ここまで大人しいのは中学の時以来だ。


「いいけど、どこか行きたいところがあるの?」

「まあ、ちょっと」

「じゃあ支度するからちょっと待っててね」


 そうして私達は家を出た。



 連れられるまま近所のバッティングセンターへ到着した。

 昔からあるのは知っていたけれど、こういうところに来るのは初めてだ。


「何か意外だなー。まりもってこういうとこよく行くの?」


 カキンカキンと響き渡る音を背景に、金属バットを持った彼女に問いかける。


「たまーにね。ストレス溜まった時に寄る事が多いかも」


 と言って来た球を豪快に空振りして、その後も一度も掠りはしない。


「その割には下手すぎない?」

「いーのいーの。こういうのはフルスイングできればいいんだからっ!」


 ブンと力強い音をさせてようやく弾き返したまりもは満足気だ。


「お、やるね~」

「れなもやってみ? 絶対気持ちいいから」

「お、じゃあ一汗流しますか!」


 しばらくの間お互い声を掛け合いながらバットを振り続ける。


「ちょっと、これ全然当たらない! 少しは手加減して欲しいんですけど!」

「甘いね~。こういうのは、人生と同じでそうそう思いどおりにはいかないわけ。来るもの全部打てたら面白くないっしょ」

「何その格言! よし、もう一球こーい!」

「れなは相変わらず負けず嫌いだよね」


 その後私達はゲームセンターやカラオケなど、中高でよく遊んだところばかりに立ち寄っていき気付けば夕方が近い。


「いやー、楽しかった!」

「ねえれな。今日はあたしん家に泊まっていってよ」

「いいけど……この間みたいに抱きついたりとかしないよね?」

「さすがに日向っさんに顔向けできなくなるからしないって」


 そうして私はまりもの家に上がりこんだ。

 部屋の中は綺麗に片付いていて、あれほど充満していた煙草の臭いも感じない。

 それからは、何事もなく夕飯やお風呂を済ませて同じベッドで眠る事になった。


「初めて会ってから……8年になるのかな。まさかここまで続くとは思わなかったけどさ」

「そうだねー。私にとってはまりもはもう家族みたいな感覚があるなぁ」

「家族、かあ……。さすがにそうなっちゃうものかな」


 そのまま静かになってしばらくすると、何か寝言を呟いたまりもが寝返りを打って私のすぐ側にまで近づいてきた。

 結局彼女が何に悩んでいるのかはわからないままだ。その申し訳なさから彼女の頭をぽんぽんと叩いたあと、気付けば私は眠っていた。


 翌日、リビングで朝食をとりながら正面にいるまりもは少しだけ元気を取り戻したように見える。


「例えばなんだけどさ、れなだったら友達から恋人になるのってありだと思う?」

「恋人に? それって今のまりもの悩みと関係してる話なのかな」

「いいから教えてよ」

「そうだね。うーん、私は……。あ、ちょっとごめん」


 着信音が鳴ったのと同時にすぐに通話を押す。


『日向、どうしたの?』

『れな……』


 苦しそうな息遣いが聞こえきたあと大きな物音が響いた。


『ねえ、日向。日向、返事してよ!』


 何度呼び掛けても遠坂さんからの応答がない。


「ごめんまりも。私ちょっと行ってくる!」


 彼女の反応を待たずに私は家を飛び出した。

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