第十六稿 私と同じようにしてください ★

 今出版社の編集部にいる。

 約束の時間に早く到着してしまった私は、来客用の椅子に腰掛けて待っているところだ。ここからはもちろん遠坂さんの仕事振りがよく見渡せる。


 誰かと話をしているかと思えば、受話器片手に深々とお辞儀をしている。パソコンに向かい合ってのタイピングは私の比にならないくらい高速。そして上司と思しき人のデスクの前に立ち頷いているところなど、すべての行動において背筋がピンと伸びていてまさに凛としている。


 プライベートとはまったく違う姿に惚れ惚れしていると、いつのまにか彼女は目の前にいた。


「れな、おまたせ。ごめんね長引いちゃった」

「日向のお仕事してるとこ見てたらあっという間だった!」

「途中から見られてるのに気付いてて、頑張らなくちゃって気合いが入ったよ」

「じゃあ毎日お邪魔しようかなー?」


 などと話しながら並んで廊下を歩き、会議室へと入っていく。


「れな、ちょっとここなんだけどやっぱり」

「あのですね。今はお仕事中なのではないでしょうか……?」

「あっ、すみません。ええと先生、今回のネーム直しなのですが――」


 今日は出版社に立ち寄る用事もあって、いつもなら自宅でする打ち合わせをこの部屋でする事になった。当然お互いに仕事モードになるはずなのだけれど、2人きりになってからすごく視線を感じる。明らかに彼女は集中できていない。


「ちょっとちょっと、遠坂さん」

「はい、何でしょう?」

「こうです。私と同じようにしてください」


 テーブルの上で手を握り合うと彼女の気持ちは落ち着いていった。明らかにプライベートが仕事に侵食している気はするけど、進行が滞るのは困るしこのくらいならいいはず。

 私達はお互いに頷く。温もりを感じたまま打ち合わせは進んでいくと時間になった。


「先生、長々とお疲れ様でした。今月もよろしくお願い致します」


 会議室を出て私達はロビーで向かい合っている。


「こちらこそ。遠坂さんはまだお仕事あるんですよね?」

「私も一緒に帰りたい……」


 うな垂れる彼女は言葉を小さくこぼした。


「あ、そうだ。ちょっとだけ待っててください! すぐ戻りますから。絶対ここにいてくださいね」


 ブラックの缶コーヒーやお菓子を1階のコンビニで購入すると駆け出した。喜ぶ顔を想像すれば、背伸びしたくて履いたハイヒールの足の痛みも気にならない。息も絶え絶えに彼女の元へと戻る。


「れな、そんなに慌てなくても大丈夫だからね……?」


 屈んだ彼女は心配そうに私の顔を覗き込む。


「どうしても渡したかったの。応援してるから頑張ってね!」


 次会う時までの気持ちを絶えず温めておきたい。

 彼女に向けて両手を握りポーズを作ると、同じようにそれが返ってきた。



 彼女と月に会えるのは基本的に打ち合わせでの2回と、完全にプライベートな月末のお疲れ様会での計3回。それ以降はお互いの都合がつけばさらに増える。

 数回電話でのやり取りもあるのだけど、それは当然会った内には入らない。


 本当はもっと会って色んな話をしたい。だけど贅沢は言っていられない。仕事に集中できないと自分の生活すら危ういし、アルバイトとして来てくれているまりもや夢子にも迷惑が掛かってしまう。


 そんな板挟みのような生活の中で、連載の合間を縫って描いている物語がある。


 それは、姫を騎士を題材としたファンタジー恋愛もの。お互い惹かれていく二人は身分の違いもあって素直になれないでいる。それでも近づいていく距離。そんな中、姫は敵国の王子との縁談が決まってしまう。泣きながら別れを告げる彼女に対し、一人打ちひしがれる日々を送っていた側仕えの騎士はついに決断を下す。


 これは他でもない、遠坂さんに会えない気持ちだけで描いたラブレターのようなものだ。


 自分の描きたいものが売れるものに繋がるのは稀であって、作者と編集は一つのチームとして売り上げと戦っている。それは担当になってからすぐに遠坂さんから言われた事だ。

 初めこそは理解できなかったし反発もした。けれど、それがわかってくるにつれて理想と現実の折り合いをつけざるを得なくなる。


 その結果、私は昂ぶった心を逃がす場として人知れずこの物語を綴るようになった。描いていて楽しく心躍るような物語は本来、こういう風にして生まれていくのだと思う。


「あたしそういうの好きだな。いつもより自由で伸び伸びしてるじゃん。れな、もしかしてどこかに売り込みにでも行くの?」


 背後から声が聞こえ振り返れば、親友まりもがパソコンのモニターを覗き込んでいる。


「これは誰にも読ませないつもりだよ。だって私だけの秘密だもん。でも、まりもにだったら続き見せてもいいよ?」

「それは光栄なんだけどさ、もっと色んな人に見てもらった方が絶対いいと思う。あたしみたいに刺さる人間なんていくらでもいるだろうしね」

「え……どうやったら見てもらえるの?」

「ちょい貸してみ。ここでアカウント作って淡々と載せてれば、見たい人だけが見るし好きに感想もくれるでしょ。せっかく書いたなら自分の中だけに秘めておくのはもったいないって!」


 そう言ってまりもはとあるイラスト投稿サイトを教えてくれた。

 中学の頃、教室で彼女に初めて物語を見せた時のように。今度は見知らぬ誰かが共感してくれたのなら。

 それだけを想像すれば心が弾むような思いがして、私はすぐに1話目を投稿した。



『はやく日向に会いたいよ~』

『私もすぐにでも会いたい』


 画面越しの彼女はにこっと笑う。


『よし、じゃあ今月も頑張っていっぱい一緒に過ごそ!』

『この間の……お話の続きもしたいしね。だから決めたよ。仕事中はもうちょっと厳しくいこうって』

『ど、どうかお手柔らかに……』


 寝る前にビデオ通話をする頻度も増えていっている。初めは私からばかりだったけれど、最近は交互に掛け合うようになった。

 家での別れ際の出来事を思い返すとドキドキするのが止まらない。今してしまえば済む話なのかもしれないけど、やっぱり顔を見て直接伝えるのが一番ではないかと思うのだ。

 彼女の方もそれを望んでいるかのように、無理に話題にするような事はしなかった。


 だから今は何事にも前向きに当たっていくしかない。

 おやすみの声を聞いたあと、スマホを握ったまま私はいつの間にか眠っていた。

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