第十四稿 今から抱き枕になります ★

 間近からすうすうと寝息が聞こえる。

 朝目覚めて、昨夜のように抱き合ったままなのに気付くと私の心臓はすぐにドキドキとし始めた。


「ひな、日向さん。起きて、ないですよね……?」

「んん……おはようございます?」


 やった、遠坂さんの二度目の寝ぼけ眼。じゃなくて。


「わぁっ! あの、これは……その!」


 完全な密着状態な事もあって、私はとにかく慌てふためいた。


「すみません、これは私が原因だと思います。恥ずかしながら……昔から抱き枕がないと眠る事ができなくて」

「え、抱き枕ですか……?」


 遠坂さんの新しい属性が追加された瞬間である。

 思い返せば彼女の家に泊まった時も同じような事があったわけで、彼女が抱きついてくるのがようやく理解できた気がする。


「あ、じゃあ私今から抱き枕になります。どうぞ!」

「えっ……?」

「まだ起きてしまうには早いですし。それとも、私じゃなれませんかね……」

「いえ、決してそのような事はありません。それではれなさん、不束ながら抱かせて頂きます」


 いつもとは違うぼやけたキリ顔。

 その物言いはどうなんだろうと思っているうちに、彼女はすうすうと寝息を立て始めた。きっとまだ頭が働いてなかったんだろう。そして、寝るまでの時間は大分早い部類に入ると思う。


 もみもみもみもみ。

 彼女からやたらと脇腹を揉まれている。寝ている時の癖にしては強めの力だ。

 実際には私の肋骨ろっこつはごりごりといっていて泣きたくなる。

 少しでもお肉をつけようと人知れず決意しつつ、抱きしめあったまま再び眠りに落ちていった。



 目覚めるとお昼前になっていた。

 朝食兼昼食ブランチとして、昨日の余ったご飯を使ってチャーハンを作ってみた。お米がすごくパラパラ。もちろん遠坂さんの指導の賜物だ。


「れなさんは飲み込みも早いですし、なかなか筋がありますね。次回は私の補助なしで何か作ってみますか?」

「えー、ちょっと不安ですけど……。私、褒められると伸びるタイプだと思ってるので頑張っちゃいます!」


 言うまでもなく遠坂さんはしっかりと平らげていた。

 そして私も脇腹のせいで、かなり無理をしつついつも以上に食べてしまった。これもすべて抱き心地の為だ。

 食後は昨日の事を気にしていたのか、彼女が率先して食器洗いをしてくれた。


「さて、今日は日向さんがしたい事をしてみましょうか」

「では昨日言っていたぼうっと……してみたいのですがよろしいでしょうか?」


 カーテンを開ければベランダからは光が差していて、今日もいい天気なのがよくわかる。日の当たる辺りの床にクッションを置き隣り合って座る。


「ちょっと肩を失礼」

 遠坂さんに軽く寄りかかる。

「もう少し近くで構いませんよ」

 彼女に肩を引き寄せられる。


 静かな空間に二人。カーテンが優しい風に吹かれ揺れている。それからはかなり無心でぼーっとしていた気がする。


「あー……。なんかいいかもしれないです」

「私も落ち着いてきたような気がします」


 ぽかぽかとして気持ちがいいし、なにより彼女との無言が気にならない。

 ほどなくして、お腹一杯になったせいもあってかだんだんと始める。


「また寝ちゃいましたねー」

「でも、すごく心地のいい時間でした」



 すっきりと目が覚めた午後の3時。

 私達は普段なまりがちな体を動かそうと、近場の散歩コースへと来ている。さすがに昨日今日は食べて寝てばかりなのもあって、お互いになんとなく罪悪感もあったようなのだ。


「れな」


 目的地を並んで歩く途中で隣から声が聞こえた。彼女が私の名前を呼んだような気がするのだけど、今のが聞き間違いだったら恥ずかしい。


 頭をフルに回転させて心当たりを探る。

 あな、いな、えな、うな、おな。悠々とまで到達して、それでも可能性のある2文字が見つからない。

 そうしていると、


「れ、れな?」

 今、確かに言った。確実に聞き間違いじゃない。


「はいっ! なんでしょうか?」

 私は思わず立ち止まってしまった。


「あ、その。この間れなさんが言っていた砕ける練習をしようかと思いまして」

 照れたように遠坂さんはもじもじとしている。


「お、おおっ……! そうだったんですか。じゃあ私もやってみようかな?」


 そうしてコースの折り返しを合図に、家に帰るまでの間気さくに会話できるようになるための特訓を開始した。


「ねえれな」

「どうしたの?」

「今日はいい天気だね」

「本当にねー」


「れな?」

「なーに?」

「に、にんじん」

「もしかしてしりとりしてない? でも日向、もう負けてるよ……?」


「うう……。会話が続かないどうしよう」

「無理して何か言おうとしなくていいんだよ。特にないならそのままでいいの!」

「わかった、私、まだ、頑張る」


 彼女がギギギとロボットのような動きをすると、すれ違った人が振り返りこっちを見ている。いくらなんでも極端すぎて可愛い。


「ええと、れなは付き合ってる人いるの?」


 それは通常会話にも大分慣れてきた頃だった。


「いないよー」

「じゃあ、れなはどういう人が好き?」

「背が高くて、よく食べて、不器用だけど一緒にいて楽しい人かな~」


 言ってから思ったけどこれほぼ告白みたいだ。

 じいーっと遠坂さんの様子を窺う。

 彼女はなんとなく落ち着かない様子だ。というか私がそうであって欲しいから、そんな風に見えているだけかもしれないけど。


「なるほど」

「じゃあ、そっちは?」

「いつも明るくて、一生懸命で、小さくて可愛い人」


 言ったきり彼女とずっと目が合ったままだ。

 明るいというか能天気だとは思うし、一生懸命というよりは必死なだけ。小さいのは間違いなくあってるけど可愛いのかは微妙だ。だけど全部私であって欲しい。


「ねえ日向、それって私のこと」


 そう言いかけるのと同時に遠坂さんのスマホが鳴り、彼女はごめんねとそれに出る。その間、私はお預けをくらった犬のように待つしかない。

 通話を終えた彼女はふうと溜息を吐いた。


「れな、今日はもう帰らないといけなくなっちゃった。本当にごめんね……」


 彼女は悲しそうな顔を見せた。


「ううん、今のってお仕事の電話だったんでしょ? じゃあ急いで戻らなくちゃね!」


 思い切って遠坂さんの手を握る。恥ずかしくて顔が見れないまま私達は家まで戻ってきた。プライベートモードの彼女が、あと少しで終わってしまうと思えば寂しさばかりが募ってしまう。

 帰り支度を済ませ、玄関先で靴を履いた彼女が私に向き直った。


「あのさ……れな。さっき言ってた、背の高いって言うのなんだけど。あれ私も可能性あるのかな? なんて……あはは」


 彼女は真っ赤な顔をしたまま家をあとにする。


「ひゃ、100パーセント以上あるから! 次会った時にちゃんと話しよ!」


 思った以上の大きな声に自分でも驚いている。振り向いた彼女の表情がぱあっと明るくなるのがわかって、私の心は暖かな気持ちで満たされていった。

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