第十三稿 お先にお風呂頂きました ★
「お湯加減どうですか? もしぬるかったり熱かったら温度変えちゃってくださいね」
私は脱衣所の擦りガラス越しに声を掛ける。
「ありがとうございます。ちょうど良いですよ」
ちゃぷんという音と共に遠坂さんの声が室内を反響する。
「カゴに着替え置いときました。ドライヤーとフェイスクリームもあるので使ってくださいね」
用意してもらったLサイズの寝巻きはかなり大きめでこれなら不足はないだろう。
この合間に全体的に散らかってる部屋はないかだけ確認しておく。とはいえ私にできるのはクローゼットに押し込む事だけだ。ただ、寝室だけは念入りにチェックをしてベッドシーツの皺をピンと伸ばしておいた。
「お先にお風呂頂きました」
「あ、おかえりなさ……」
それからしばらくして、食器を洗っていると遠坂さんはリビングへ戻ってきた。湯上りで上気した頬からはそこはかとなく大人の色気を感じる。水も出しっぱなしなまま、気付けば私はその姿を呆けて見ていた。
「あの、れなさん……? どうかしましたか?」
彼女は黒い髪をサラサラとなびかせて私を見ていた。
「え? あ。終わったら私も入ってきますね!」
「でしたらその続きは私が引き受けましょう」
「いえ、あとこれだけなので大丈夫です。それじゃあテレビとか好きに見ててください!」
私は手にした皿を食器乾燥機に放りこんでお風呂場へと向かった。
いつ見てもお子様のようだ。
シャワーで体の泡を流し終えてお風呂場の鏡と睨めっこをする。私にはまりものように豊かに揺れ動くものがないしお尻も小さい。身長もそうだけど体形も中高の頃からあまり変わっていない気がする。
「はぁーあ」と、これ以上考えても溜息しか出てこないし空しさだけが募る一方だ。浴槽に浸かりながらお気に入りを何曲か口ずさんだ後、お風呂を出た。
「やっぱりお風呂上りはアイスですよね~。はい、もう1本どうぞ!」
「それでは遠慮なく頂きます」
キリッ、もぐもぐ。
ライムグリーンの寝巻きに身を包んだ遠坂さんは、食べ物の事になると途端に目の色が変わる。食べている彼女からは正直かなり幼い印象を受けてしまう。普段とのギャップにやられ私はついつい餌付けをしたくなってしまうのだ。
アイスもそこそこに夕方時と同じように隣り合ってテレビを見ている。バラエティー番組にも関わらず彼女の表情はあまり動いてはいない。
お風呂上りのせいなのか、いつもより暖かい匂いを彼女から感じてほのかにドキドキする。今更だけど私っていい匂いフェチなのかもしれない。
「そういえば、日向さんって食べ歩き以外の趣味ってあるんですか?」
ちょうどCMに入ったところで彼女に対し体を向ける。
「趣味ですか。そうですね……」
そう言ったきり彼女は何かをずっと考えている。
「お休みの日によくしてる事でいいんですよ~」
「食べる以外ですと……、よく家でぼうっとしています。つまらない答えですよね」
「そうですか? 私はぼーっとするの好きですよ」
「しかしそれは果たして褒められたものでしょうか……? 私にはとてもではないですが」
彼女は視線を落とした。
その場面を想像しただけで面白いとしか思えない。けれど、これは私が勝手に楽しいと思っているだけであって彼女にとっては退屈な日常の1コマなのだろう。
「いえいえ、いいと思いますよ。お休みの日くらい頭を休めて時間を過ごすのも悪くはないんじゃないですかね? もしよかったら、今度二人でひなたぼっこしながらぼーっとしてみません?」
「なるほど。リフレッシュという観点で言えば理に適っているのかもしれませんね……。そういう事であれば、前向きに検討してみたいと思います」
「やった、それは楽しみです! ところで……もうこんな時間なんですね」
と言って遠坂さんを寝室へ案内する。ここだけを重点的に整えておいた事もあって、まるでホテルの一室のようだ。
「ところでれなさんは……どちらでお休みに?」
部屋を出ようとしたところで声を掛けられる。
「私はソファーでも床でも平気なので、お気にせずです!」
「いいえ、家主の方がそれではいけません。そして先日の話を引き合いに出すのであれば、私達は同じベッドで寝るべきではないかと思うのですが」
「えっ……。でも本当にいいんですか?」
頷いた遠坂さんはさあ、と言って隣に来るよう私を促す。
今日は飲んでいないし変な事にはならないはず。私は意を決してベッドへ滑り込んだ。
「もう少々中心に寄って頂かないと落ちてしまうのでは?」
「では失礼して……。じゃあ電気消しますっ」
部屋が暗くなった事もあって私は大分落ち着き始めてきている。
ただ緊張のせいですぐには寝られそうにない。
そうこうしているうちに、床に就いてから五分ほどが経った。
「れなさん、起きていますか?」
暗闇の中で遠坂さんの声がする。声の近さからしてこちらを向いているのだけはわかる。
「な、何かありました?」
「日頃の感謝をお伝えするいい機会かと思いまして。そのままで聞いて頂けますか?」
「わかりました」
次の言葉を考えているのか少し間が空いた。
「れなさんといると……私の知らない自分がいる事を再認識できると言いますか。恐らく……私は楽しいと感じているのだと思います。ですから、こうして時間をともにできる事が嬉しいです」
「私も一緒にいられて楽しいし嬉しいですよ」
「本当に……そう思っていますか?」
一際低いトーンでそれは返ってきた。
「私はいつだって、日向さんに全力でぶつかってきたつもりです。それを信じてもらえないならいじけてしまうかもしれません」
「ああ、すみません。違うのです。これもすべて私の自信のなさゆえに……」
「私だっていつも自分に怯えてますから……。だからあんまり気にしない方がいいと思います。えーっと、これからも私達の知らない日向さんを二人で探しにいきましょ!」
「ありがとうございます。れなさんのご迷惑でなければ……今後もお付き合い頂けると幸いです」
そうしてお互い静かになると、再び私の鼓動は速くなった。舞い上がってしまいそうなこの気持ちを一旦収める。
これからも焦らず1歩1歩近づいていこう。そうすればきっと願いは届くはず。
そう決意した瞬間だった。
「あの、日向さんっ……どうかしたんですか!?」
もう眠ってしまったのか返事はなく、寝息だけがさっきよりも近くに聞こえた。
あろう事か、遠坂さんは私を引き寄せるようにして肩に腕を回してきたのだ。
私は身動きの取れない状態で固まったままだ。暖かな大好きな匂いに当てられて私の全身は火照ったように熱を帯び始めた。
遠坂さんの体がより近づいてくると、ゆっくりとした鼓動の音が伝わってくる。
たまらず私も同じように近くに寄って、彼女の柔らかい感触に顔をうずめる。
「れなさん……」
寝てしまうまでの間、彼女は私の名前をうわ言のように呼び続けていた。
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