第五稿 最大限砕けられるよう善処致します ★

 日曜のお昼前。私は遠坂さんと大通りを歩いている。すれ違う人達の視線が自然と彼女に向くのは無理からぬ事だ。

 遠坂さんはそれを気にする様子もなく颯爽としながらも、歩幅だけは私に合わせるようにしてくれている。彼女は私の少し斜め後ろをキープし続けているのだけど、身長差からすればそれは不自然だと言っていい。


「れなさん、そこまで急がなくても大丈夫ですよ」


 遠坂さんは早足がちになる私に向けて声を掛けた。

 本当は踵が痛いし彼女と同じように歩きたい。まるでその気持ちが見透かされているようで気恥ずかしくもある。そしてそれと同時に私の変化に気付いてくれたのかもしれない事が何よりも嬉しい。


 浮かれついでに本音を言うなら私は堂々と手を繋ぎたい。ただ、気持ちすら伝えてない今はまだその時ではない。


「だって、ずっと楽しみにしてた映画なんです。待ちきれるはずがないんです。日向さん。ね、はやく行きましょ!」


 想像の中で遠坂さんに左手を差し出すと彼女は私の手を取る。現実では、誰にも触れていないこの手の切なさを小さく握りしめた。


 そうして駅近くの大型シアターに到着した。館内のロビーは、家族連れと友人やカップルに見える二人組みなどで混み合い相変わらずの賑わいを見せている。

 正直なところ、目的の映画自体は公開日初日から何度も見ている。だから遠坂さんに告げた理由なんて口実以外の何者でもない。そう、私が一番見たいのは彼女の横顔はもちろん普段見た事のない表情なのだから。


「ようやく開場時間になりますね。しかしこの人だかり……ここはいつもこうなのですか?」


 少し疲れたような表情で横髪を弄っている。

 その遠坂さんの様子から見るに、普段からこういう場所にはあまり足を踏み入れないのかもしれない。


「そうなんです。それじゃ日向さん、先に中で待っててもらってもいいですか? 座席はチケットの番号を見ればすぐにわかるようになってます。私はちょっとお手洗いに行ってきますので」


 そう言って一旦遠坂さんと別れるとトイレには寄らずに売店へと向かう。こっちから誘ってるのだから、彼女には私に気を遣う事なく楽しんで欲しいと思う。


 お待たせしましたと、座っている遠坂さんの隣についてジュースの入ったカップとチュロスを手渡す。彼女が財布を取り出したところでタイミングよく場内が暗くなった。こうなるように時間直前まで待機してた甲斐がある。


 映画が始まると、私はスクリーンに目も暮れずちらちらと彼女の方に意識を集中させる。

 睫毛、思ってたとおり長いな。髪に隠れて左頬にホクロがあるのは気付かなかった。そして――私はいつか彼女の一番近くに行ってみせる。


 エンドロールまでに、それほど大きく表情が動く事はなかったけどいつもより長い間彼女を見つめられた。それだけで満足のいく時間を過ごせたと思う。


 シアターを出たのは1時過ぎ。遅い昼食を取ろうと、近くにあるパスタ専門店へ入り今しがた注文を済ませたところだ。


「映画、どうでしたか?」

「まず構成がとても素晴らしいと思いました。中盤から終盤にかけて二人のもどかしい気持ちがよく表現されていて、ついに迎えたラストシーンの告白では――」


 一緒に観ている時はわからなかったけど、身振り手振りを加えつつなんだか熱を感じるような語り口に嬉しい気持ちになった。


「楽しんでもらえたみたいでなによりです! 誘ってよかった!」

「こちらこそ良いものを教えて頂き、ありがとうございます。ところで先ほどの御代なのですが……」


「お客様、お待たせしました~」


 その時ちょうどトレーを持ったウェイトレスのお姉さんがやって来た。

 私の目の前には大好きなゆず胡椒明太。遠坂さんのは具沢山なペスカトーレだ。


「わあ、そっちのもすっごく美味しそう! そうだ日向さん、半分ずつにしませんか?」

「私もれなさんのお皿が気になっていました。よろしければお願い致します」


 食べ始めるとしばらくお互いに静かになった。私は目の前の様子をちらちらと窺っている。むしろそれがメインなわけだけどもちろん彼女は気付いていない。


「あの、今日ずっと思ってた事を言いますね。日向さんは言葉遣いが硬すぎる気がするんです。さすがにお友達のようにとまでとは言わないですけど、もう少し砕けていきましょ?」


 遠坂さんの皿が半分くらいになったタイミングを見計らって、彼女に関して気になってた部分を振ってみた。


「すみません。私としましても仕事上での癖が抜けず大変困っております。しかしながら、れなさんにそう仰られたからには最大限砕けられるよう善処致します」

「うーん、まだまだ時間が掛かりそうですね? なので今後もお付き合い頂きますよ!」

「それは構いません。ですが、れなさんは私などといても退屈ではありませんか……?」


 フォークを置いた彼女は俯き加減に声量を抑えて言った。

 出会ってからを通じて、これまでになかった暗い表情をしてしまうのにはどんな理由があるのかが気になる。


「日向さんと過ごしてると、何もかもが新鮮で楽しい気持ちしかありません。ご迷惑でなければ……これからもよろしくお願いしますっ!」


 だからこそ知りたい。何歩か踏み込んでしまおう。この場面で大好きな感情を抑える必要なんてあるはずがないのだ。

 今私がしてるのはきっと、鏡の前の練習だけでは到底表す事のできない表情なのだと思う。どうにかして笑って欲しくて、彼女にありったけの思いをぶつけたつもりだ。


「ありがとうございます。私の方こそよろしくお願い致し……。いえ、こちらこそよろしくお願いします」


 そう言って微笑んだ遠坂さんはキラキラと輝いて、出会った時と同じように私の心を貫いていった。

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