精霊と最後の楽園
「──名前? そんなもんはないわい。ワシはただの鍛冶の精霊だ」
オグローム領主、つまり今は俺が所有する屋敷の客間のソファに、ひげの男はガッチリと筋肉のついたその小さな体を埋めるように預けて言った。
「どうしても呼び分けるための識別子が要るというのなら、ワシのことは【カジ】とでも呼ぶがいい。精霊の森では普段『鍛冶の』と声をかけられておる」
俺たちは武器や装備の並ぶ市場からその男──鍛冶の精霊を連れ出して、屋敷へと連れ帰ってきていた。
「じゃあ、えっと……カジさん」
「『さん』? 要らん。カジだ」
「……じゃあカジ。あんたは強い剣士を頼って来たって言ってたよな? それはいったいなんでだ?」
「精霊の森を助けてもらいたいのだ」
「助けるって、何から?」
「そりゃ魔王軍に決まっとろうが。ずぅーっとネチネチ攻撃されておってな、しまいには奴ら、痺れを切らして森を焼きに来おった」
カジは大きなため息を吐いた。
「このままではもう1カ月も保たん。森が消えればこの世界に精霊たちの寄る辺は無くなってしまう。なので早急に助けにこい」
「……助けを乞うにしては、なんだかすごく上から目線なのが鼻につくのですが……私だけですか?」
そう言ったのは、来客用にお茶を淹れて持ってきてくれたジャンヌだった。
「ええと、カジさんでしたっけ? あなたの目の前にいらっしゃるこのお方はとても寛大ではありますが神です。それを弁えてご発言を」
「……ジャンヌ、俺は神じゃない」
「いいえ、テツト様は神様です。私の持っている聖書にもそう書いてありました」
「それはジャンヌがそう書いたからだよねっ!?」
ジャンヌ、いよいよ妄想と現実の区別をつけなくなってきたな? 二人のときならまだしも客の前でやられると困るのだが。
「まあ、ワシは相手が神でも人間でも構わんのだが」
カジは俺とジャンヌのやり取りを意に介した様子もない。
「非礼があったなら詫びよう。精霊以外の存在と会話をするなんぞ数百年ぶりでな。慣れていないんだ」
「そうなんだ。いや、俺は気にしてないよ。そのままで大丈夫」
「うむ。助かる」
カジはそれから精霊の森について説明をしてくれた。なんでもそこは、この世界でめっきり見かけることの少なくなった精霊たちの寄る辺──現世における【最後の楽園】らしい。
「精霊は神秘の無い世界に存在はできぬ。現世からは多くの神秘が消え失せた。例えば火。それは暗闇に光をもたらし、人々に文明をもたらした神秘だった。だが時が進むにつれ人々は火を当たり前のように使い始め、神秘はいつしか平凡になり下がり、そうして火の精霊は消え失せた」
「神秘が無いと消える……精霊の森だと消えずに済むのか?」
「ああ。あそこは特別だ。あの森それ自体がひとつの神秘なのだ。そこに居る限り、現世で力の弱まった精霊たちもこの世に留まり続けることができる」
そしてその森が今、魔王軍によって焼き払われようとしている。事態は精霊たちにとって相当に深刻だということが分かった。それに、俺たちにとっても他人事ではない。
「行こう。これからすぐにでも」
……神秘が無くなれば、もしかしたらマヌゥもまた消えてなくなってしまうかもしれない。
そんなのは絶対に嫌だ。だけど、その時が訪れない保証はない。であれば精霊の森は絶対に失ってはいけない場所だろう。
「そうか、ありがたい。【原初】と、その原初が信頼する人間が加勢してくれるのなら心強い」
カジは俺の後方で肩を縮めていたマヌゥを見ながら言う。マヌゥはよりいっそう肩を縮こまらせて、『私? 私のことなのですかぁ?』とでも言いたげに辺りをキョロキョロとしていた。
「カジはさっきからマヌゥのことを原初って呼ぶよな。原初ってなんだ?」
「ふむ、知らんのか? 創世の神話は書物として人間界にもあったはずだが……とはいえ、ワシも詳しいわけじゃないし、説明も苦手だ」
カジは困ったように頭をガシガシと掻いた。
「簡単に言えば、そこの娘の姿をした沼の精霊はな、今ワシたちの居るこの世界すべての大元だ。この世界で生きとし生けるものすべての親といったところだな」
「マヌゥが親……!?」
思わず振り返ると、マヌゥはブンブンと首を横に振る。
「うっ、ウソなのですぅっ! 私に出産経験なんて無いのですよぉっ!?」
「マヌゥが親……お母さん……マヌゥママ……」
「うぅぅぅっ!!! ママじゃないのですよぉっ!」
マヌゥが地団駄を踏まんばかりに憤慨し始めた。うむ、ちょっとからかってしまった。マヌゥはすごく大人っぽい見た目になったけど、中身は子供っぽいのでママって感じではないよな。
「で、カジ。続けて訊いてしまうけど、マヌゥがいると心強いっていうのは? マヌゥの実力を知ってるのか?」
「言い伝えでだがな。数万年か数十万年くらい前までは沼の精霊も精霊の森に居たらしくてな。ワシは2000年そこそこしか生きていないから、その時のことを直接見聞きできたわけじゃない」
「気が遠くなるほど昔の話だな……」
「森で必要なものはすべて沼の精霊が生み出して、時折世界の裏側から滲む魔を退けていたのもまた沼の精霊だったそうだ。いわゆる精霊の森の守護者といったところか」
「へぇ……でもマヌゥは生まれた時からゾロイメイコの町の沼に居たからなぁ。カジの言う精霊とはまた別だと思うけど」
「む、そうなのか?」
いま必死になって首を縦に振って肯定の意を示しているのだろうマヌゥの気配を後ろに感じて苦笑いしつつ、俺は頷いた。
「うん。でも安心してよ。マヌゥはめちゃくちゃ強いし、その仲間の俺たちも充分に役に立てる」
「……ならよかった。この町に剣士は数居れど、お前に目をつけて声をかけたのは正解だったな」
「テツトだ。人間とか剣士とか、種族名や職業名で呼ぶのはやめてくれ」
「分かった。テツト、よろしく頼む」
カジの差し出してきた手を、俺は掴む。
──キィィィン。
そのとき、体に何か不思議な感覚が走った。
「ん? なんかこの感じ、身に覚えが……」
「うむ。契約が成立したな」
そう言ったカジの体は僅かに周囲のキラキラの発光の度合いを増していた。
「精霊と人間の間で交わした約束は契約となる。それは一方が何かを差し出し、それにもう一方が応じることで成立する」
「差し出し……って、俺は何も差し出してないぞっ?」
「差し出したのはワシだ。ワシは、テツトに鍛冶の精霊としての力の全てを捧げた」
「な……!?」
言うやいなや、カジの体は崩れるように光の粒となって消えていく。
「嘘だろっ、カジっ……死ぬのかっ!?」
「案ずるな。契約が果たされるまでの間、ワシの力がお前に宿るだけだ」
光の粒子となったカジは渦巻くようにして、俺の右腕へと入っていった。
『これで、お前はこれからワシの力の全てを振るうことができるようになった。とはいっても戦う力はまるでないが』
精霊融合の状態でのマヌゥと同じく、カジの言葉が脳内へと直接響く。
『ワシは鍛冶の精霊。お前に授けたのは鍛冶の力だ。どれ、試しに1本作りかけの剣でも鍛えにいってみるがいい』
「いや、そんなこと言われても……そんな都合よく未完成の剣が手に入るか?」
『何を言っておる。テツト、お前の背中にあるだろう』
「……えっ?」
『その【黄金の剣】のことだ。どこで手に入れたかは知らんが、それはまだ完成しておらん』
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ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回から精霊の森編です。
「創世の神話ってなんじゃ」「そんなの忘れた」「でもちょいと気になる」という方は【原初の沼】というタイトルのエピソードをご覧ください。
12月からのカクヨムコンテストの準備もあるので次の更新は少し遅れるかもしれません。気長にお待ちいただければ幸いです。
それでは!!!
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