魔王城にて~事変・巫女~
──テツトがチェスボードの結界内にて、真祖モーフィーを斬り伏せ勝利を収めた……その数時間後、魔王城にて。
「──クソッ……! まさかモーフィーが……!」
魔王軍幹部であり、かつ魔王軍幹部たちを総括する立場を任されていたファシリは魔王城の廊下を急ぎ歩く。
「それも、モーフィーを倒したのが
ファシリはモーフィーに大きな信頼を寄せていた。しかし、同時に万が一のことを考え第二魔王国チェスボードにおいてその動向をつぶさに観察していたのだ。
「想定外だッ! まさかメイス・ガーキーまで帝国側に寝返っていたとは……作戦の大幅な練り直しが必要d──」
「──いえ、不要ですよ。ファシリくん」
ドスッ、と。ファシリの胴体──心臓の位置を正確に、細く長い腕が貫いていた。
「ゴフッ……!?」
「君の手腕はもう充分に見せてもらいましたとも」
「……元……帥……ッ!」
ファシリが振り返った先に居たのは、真っ白な髪をオールバックにしたメガネの初老。身長3メートルにもなる長尺の魔族……【魔王教魔王軍元帥】ヌルトだった。
「なんて酷い有様だね、ファシリくん。魔界へと上がってきていた報告書から見えた以上の大惨事じゃあーりませんか」
「……げふっ、ごふっ……」
「血反吐する暇があったら言い訳のひとつでもして欲しいものですね……ふざけているので?」
「ぐっ……がぁぁぁッ!?」
ヌルトはグリグリと、ファシリの内臓をかき回すように腕を動かし続ける。
「表のこの生命エネルギー溢れる【生】の世界を【負】なる魔力で染め上げるための作戦の完遂率……およそ15%? 10年もかけてコレですか?」
「ぐがっ……やめっ……!!!」
「当初の計画ではすでに50%を越しているはずでしたが……まったく、これだから表の軟弱な魔族どもはアテにならない。
ヌルトは大きなため息を漏らす。
「だから私は最初から【
「ゲェッ……ゲボォッ」
「さっきから五月蠅いですよファシリくんッ!!! 血ィ吐くなら黙って吐け──っと、ああ。なんだ……もう死んでしまいましたか」
ヌルトは物言わぬ屍になり果てたファシリを冷たく見下ろすと、その死体を蹴とばしてどける。
「はぁ……【魔王教執行部隊】から幾人かをこちらの表の世界に派遣するのは決定として……このままなんの成果も無く帰るのでは私が叱られてしまう。せめて……帝国だけは【死の色】へと染め上げていくことしましょうか」
ヌルトはメガネの位置をクイッと直すと、大股で魔王城内を闊歩し、魔王軍の中でも数人にしか知られていない地下深くへの道を行く。
その終着点となる階、そこにあったのは硬質な両開きの戸……いや、門と言った方がまだしっくりとくる、そんな趣の巨大な扉だった。
「入りますよ──巫女殿」
ギィィィ、という音を立ててその扉が開く。
その先、かび臭く暗い部屋にただひとり、足首を鎖に繋がれて座り込んでいたのは巫女装束に身を包んだ少女。白銀の髪に黒いヤギの角、紅い瞳が特徴的な──
「──相も変わらず忌々しいお姿ですなッ! 【巫女殿】はッ!」
犬歯をむき出しに吠えるヌルトに、巫女と呼ばれたその少女は怯えたように肩を跳ねさせた。手首につけた鈴がチリンと震える。しかし、ヌルトはそんな反応をお構いなしに少女との距離を詰める。
「その白銀の髪! 雄々しい黒山羊の角! そして悪の象徴たる澄んだ紅色の瞳ッ! その全てが伝承に語られる魔王様そのものッ! ああ、怖気が奔るッ!!!」
「……ッ」
「ああ、喋るな、声を出すな、ひとりの魔族でありながら不敬にも魔王様を
ヌルトは怒鳴り散らしたことで荒げた呼吸を整えると、
「……さて」
メガネの位置を直す。
「巫女殿、貴女にはしっかりとその目に焼き付けてもらいますよ……貴女が精製した【
「ッ!」
「いまだに【
ヌルトは部屋にあった大きな鏡へ向けて指を鳴らす。すると、そこに映し出されたのは帝国。空高くから俯瞰した帝国の大地が映し出されていた。
「私の合図によって、帝国に秘密裏に仕込んだ【
「……ッ!」
「悲しそうな表情をするんじゃないッ! 魔王様に全身全霊を捧げた巫女として仕えるッ! それこそが穢れた貴女にできる唯一の
巫女の少女は首を振り、そっぽを向こうとする。
「いいから鏡を見なさいッ! 顔を上げて見なさいッ! 見なさいよ! 見なさいったら……見ろォォォッ!」
ヌルトは少女にギリギリ触れない瀬戸際に立って、その顔に唾を吐き掛けるがごとく叫ぶ。
「見やがれェェェッ!!! そして目に焼き付けろォォォォォッ!!! 帝国がッ! 帝国に巣食うウジ虫共がッ! 死の瘴気に包まれッ! 絶命する様をッ!!!」
ヌルトが鏡の前、両手を合わせ魔力を込めた。
「さあ開けよ地獄の門……【瘴気解放】ッ! 帝国を飲み込めやァァァッ!!!」
「……ッ」
「……!」
「……」
「……!?」
──ヌルトの気合いの入れ用とは正反対に、しかし鏡の前の帝国の景色は何一つ揺るがない。何も起きない。
「……なっ、何故ですっ? 【
ヌルトは鏡の中の景色を食い入るように見ると、歯を食いしばる。
「チクショウめ……! 何から何まで上手くいかんではないですか……! 故障かっ? 何かしらの生命エネルギーに浄化でもされたかっ? とにかく情報が必要だ……ッ!!!」
ヌルトは巫女の少女をひとつにらみつけると、その部屋を足早に出ていった。それを見送って……少女は静かに、小さく息を吐く。
「……助けて、テツト──」
産まれてから十数年、ひとつの名も与えられなかったその名無しの少女は漠然と天井を仰ぎ呟いた。
「テツトの生なる力、無縫なる性のエネルギーが、世界に必要とされている……」
少女は冷たい床で丸くなり、目を瞑る。思い描くのはもちろんひとりの男の姿。メイスに仕込んだ呪術神、その裏側に密かに仕込んだ僅かなメッセージを通じ、産まれて初めてコンタクトの取れた外界のその男──テツト。
「……やっぱり、テツトの夢にも出ておけばよかったかな……」
瘴気──負の魔力が一時的に満ちた帝国に、少女は僅かであるが意識を飛ばすことができていた。
ゆえに、彼女には言葉を持たぬ幻影としてテツトの目の前に出る、あるいはテツトの夢に出て直接語りかけるチャンスがあった。しかし──
「……でも、お喋り難しいし……」
少女はその扱いの酷さがために、歓談の経験がない。
少女はヌルトのせいで、他人に恐怖を感じている。
少女は……極度の人見知りで恥ずかしがり屋である。
しかし──自分を始めてひとりの個体として、それが例え魔王という勘違いであったとしても、認識してくれたテツトに対しては……何故か、何とも言えぬ好意を抱いていた。
それゆえに結局、
「……やっぱ、無理……!」
照れた少女は冷たい床の上、身もだえしながらゴロゴロと転がるのだった。
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ここまでお読みいただきありがとうございます。
だいぶ長くなってしまいましたが、チェスボード編はこれで終わりです。
1編あたりが段々と長くなっていってますね・・・読んでいただくのもひと苦労になるのではとヒヤヒヤしてます。
毎度お付き合いいただきありがとうございます。
次回の更新はまた近い内にできればと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
それではっ!
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