チェスボード 後編(14 / 15)

「さあ、テツトっ、来ぉぉぉいッ!」


モーフィーが迎え撃つ構えを取るその正面へと、俺は間合いを測りつつ駆けていく。


10メートル、8メートル、6メートル──


……やはり、モーフィーは強い。


めまぐるしく思考を巡らせて攻めどころを探すが、どこにもスキが見当たらない。


……ならばっ!


俺は決意を固め、一気にモーフィーの真正面1メートルへと間合いを詰めた。


「ッ! いいぞぉっ、テツト! 自分が1番に本領を発揮できる位置にきたか!」


「舌噛みたくなけりゃ──黙ってろッ!」


魔族に対して威力の倍加する黄金の剣、その金色の一閃に、しかしモーフィーはためらわずに弾き返した。


「しかァしッ! 生身の人間の速度じゃあ僕には通用しないぞ!」


剣を弾き返した勢いをそのままに、モーフィーが鋭い爪に濃密な魔力を宿し俺を貫かんと腕を振るって来る。


「さあせてみろ! 君の全力をッ!」


「言われなくても──ッ!」


俺は思い出す。あのとき、黒の騎兵ナイトを退けたときの感覚を。




──体から、自ずと魔力が噴き出してくる。




これまでとは異質な濃度のその魔力が体を覆い、時間が急速に緩やかになっていく。


「セェェェィ──ッ!」


モーフィーの攻撃を悠然と受け流し、先ほどよりも遥かに鋭い黄金の一撃を放つ。


「……ハハァっ! そう、それだ! それだよテツト!」


モーフィーの胸に横に走る一文字の傷がついていた。浅いが、それでも俺の放った攻撃がモーフィーに届いたらしい。




──ピキッ、と。体に痛みが走る。




「……ッ!」


……違う。これじゃさっきの二の舞いだし、逸脱者として力を振るうのと大差ない。


また体に反動が来ていた。これじゃあきっと長くはもたない。


「どうしたテツト! 1度でおしまいかいっ!?」


「……うるせぇっ!」


……考えろ、どうすれば反動を受けずに生身のままで力を振るえる?


ロジャはいったいどうやってあれだけの力を生身のままに振るっているのだろう。ただの天賦の才能と恵まれた体質が合わさって、たまたま何ともないだけなのか……いや、違う。そんなわけない。


……才能を言い訳にし始めたら終わりだ。ロジャのことは俺が一番知ってるじゃないか。そうだ、ロジャは普通の女の子だった。


剣才はあった、飲み込みも早かった。でもそれは……あくまで人間の常識の範疇に収まるものだったはず。


……まあ、剣を覚えて半年あまりでカマイタチを使えるようになるほど魔力操作の習得が早かったときはめちゃくちゃ驚いたけど──




──ん? あれ、魔力操作……?




「テツト、君が来ないならまた僕の方から行かせてもらうよッ!」


モーフィーの攻撃が迫ってくる。そんな中でしかし、俺は思考を止めなかった。あと少し、もう少しで何かが掴めそうだった。


……そうだ、魔力。普段のロジャからは逸脱者アウトサイダーに感じる膨大で異質な魔力を感じない。戦闘をしているときでさえ、大技を使う時以外のロジャの周囲の魔力はなぎの海原ように静かなままだった。


「──そうかっ!」


全てを悟る。そして迫りくるモーフィーの攻撃を──俺は紙一重でかわせた。反撃まではできない、しかし続くモーフィーの連撃も問題なく対処する。


「……ほう、また速くなったな? 何かを掴んだかっ?」


「おかげさまで──ねッ!」


俺は緩やかになった時間の中、剣を振るう。先ほどよりも速度が落ちており、攻撃を当て辛くなっていた……が、代わりに体への反動は皆無。それも当然のこと、俺は異質で膨大な逸脱者の魔力にいっさい頼っていなかったから。




──ロジャが生身のままで人を超越した力を振るえていた理由、それは恐らく……最大効率で、必要な時、必要な身体の部位にだけ自らの魔力を集中させていたからだ。




「ハァッ──!」


モーフィーが鋭く長い爪を振るう。俺はそれを紙一重でかわす。


「セェ──イッ!!!」


黒い血の結晶、散弾のように飛んでくるそれらも全てかわし切る。


……大丈夫、ぜんぶ視えるッ!




──魔力には限りがある。それは人が内包できる魔力量に限りがあるからだと思う。




先ほど逸脱者アウトサイダーになりかけたことで理解した。突然体の内側からあふれ出したあの魔力は、到底人の器に収まる量ではなかった。ゆえに、体は自らを守るために逸脱者アウトサイダーへの進化を促したのだろう。


「──ラァッ!!!」


「ヌッ!?」


モーフィーの大振りのスキをついて、俺の反撃の一閃がモーフィーを捉える。


「モーフィー、お前は確かに強い。でもそれはお前が逸脱者アウトサイダーだからだ」


「くっ……」


逸脱者アウトサイダーへと進化した者が急激に力をつける理由……それは急激に身に宿った異質で膨大な魔力のせいだろう? そして、お前はそれに頼り過ぎだ」


正確ではない例えだが、分かりやすく言えば逸脱者アウトサイダーとなることで人はその肉体を動かすエンジンが変わり、これまでの魔力も軽油からハイオクへと変わり、車体ボディはミニからスポーツカーへと変身を遂げ、より高出力を得られるようになる。


「クッ……クククッ! なら、テツト! 今の君はどうだというのだっ? 君だって、逸脱者アウトサイダーになりかけの力を振るっている過ぎないのではないかっ!?」


「いいや? まあ、経験は活かしてるがな。俺が武器にしているのは燃費さ。これでも、弟子ロジャに負けないくらい、魔力操作にだけは自信があるんでね」


俺はロジャに倣い、自前の限られた魔力をただの一点にだけ集中させている。それは、肉体にではない。自らの内側──【精神】に対してだ。


「俺の内側には∞の世界が広がってる。それは、精神の世界だ。たぶん、とある∞の世界で心を折られては再生しを繰り返してたせいでね……その後遺症かな?」


「なにを……∞だと? 荒唐無稽な話を……!」


「信じられないなら信じずともいいさ。ただし、俺は今からその力でお前を越える」


俺は再び、魔力を精神へと集中させる。


……俺はその魔力の流れを操作し、∞の世界をフィルターに外界を見る。それを通じて見えるのは、一連の時間の流れが限りなく【コマ送り】され、限りなく【停止】に近づいた世界だ。


モーフィーの動作、周囲の状況、それら全てをこの停止した世界で観察し、先読みをする。最適な技術をもってしてモーフィーの攻撃を最大効率で避け、捌き──生身のただの人間の体でその先を行く。


「教えてやるよ、モーフィー! これが、お前が見下した【ただの人間】の底力だッ!」


「グッ──!」


モーフィーの攻撃はもはやかすりもしない。俺の黄金の剣の軌跡のみが、モーフィーの肉体を縦横無尽に切り裂いた。


「いくのじゃテツトッ! 押しておるぞッ!」


「気張りやす、お兄さんッ!」


イオリテとメイスの声援が俺の背中を押す……いや、ふたりのものだけじゃない。


「あと少しだテツトっ!」


「主よ……どうかテツトさんにご加護をっ!」


ナーベもマリアも、固唾を飲んで俺の戦いを見守っていてくれた。そして、


「テツトくん──っ!」


両手の指を組んで、強く祈りを捧げるように。ベルーナのか細い声が俺の耳を打つ。


「──負けないで、テツトくん……!」




……もちろん、完璧に勝つ!




モーフィーへと何度も何度も黄金の斬撃を見舞う。


……精神に魔力を集中させてしまっているから、与えられるダメージが少ない。もっと、もっとパワーが必要だ。


ロジャはどうだった? ああ、こんなもんじゃない。魔力の流れを瞬時に切り替えて、攻防に割り振る魔力を最適化していた。


……俺だって!!!


「ラァァァ──ッ!!!」


精神へと集中させる魔力、肉体へと集中させる魔力の切り替えをさらにスムーズに。さらに、さらに、さらに効率化を!


「グッ……!」


モーフィーの表情が苦悶に歪む。魔力で強化された俺の攻撃は、着実にモーフィーの体へとダメージを刻むようになっていった。


「ク……クハハハハッ!!! さらに速く強くなるとはッ!!! それも、ただの人間の身の上でッ!!! おもしろいッ! おもしろいぞッ!」


モーフィーはしかし、歓喜に打ち震えるような愉悦を漏らす。


「これだよ、テツト! いつもこのチェスボードを展開すれば、僕に待っているのは絶対的な勝利だった……それはつまらない、ただのチェックメイトまでの単純作業だ。でも、やはりチェスというのは【どちらが勝つのか分からない】。それだからこそ楽しいものなんだ!」


「楽しいっ? この土壇場で何言ってんだかなッ!」


「土壇場だからこそ! 最期になるかもしれないからこそ、その時を楽しむものだろうッ!?」


モーフィーは俺の攻撃を弾くと、その体から噴き出させる魔力量をさらに上げた。


「正真正銘の全力を見せるよ、テツト……これが僕の真祖ロードの力だッ!!!」


辺りを漂う魔力が血のような赤へと色を変える。渦巻いたそれらがモーフィーの内へと取り込まれると、ドクン。その体が大きく脈打った。


「オ──オオオォッ!!!」


ミシリミシリと音を立て、モーフィーの体がふた回り巨大化した。鋼とも比べ物にならないであろう強度の筋肉の塊がその全身を覆う。


「終局ダ、テツト──」


牙をむき出しにした口を開いたモーフィーが拳を振り上げ、その巨体に見合わぬ速度で俺へと迫ろうとした。


──それはこれまでとは一線を画した速さ、パワー……まさしく逸脱アウトサイドした身体能力。これまでと同じ攻撃では、人間としての力では決して斬り裂けないのだろう。


「ありがとう、ありがとうテツト──とても楽しかっタッ!」


「そうかいそりゃあ良かった……そしてこちらこそありがとうだ、モーフィー」




──だけど、俺は知っている……経験として。




生身の人間のままであっても、一瞬であれば人智を越える力が振るえることを。それもまたロジャが実践していたことだから。


「一発勝負、だな──」


深く息を吸い、精神をフラットに整える。∞の時間の中……俺はこのチェスボード空間の中心点──急所クリティカルを探し出す。


これを∞の世界の力を借りず、一瞬でやってのけるロジャはやはり天才なのだろう。ロジャならきっとこの世界に閉じ込められたとて、一瞬で脱出できてしまうんじゃないだろうか?


……でも、その天才の境地もまた、こうして努力と工夫と時間の積み重ねによって追いつける域に在ったのだ。


「──やるか」


俺はその急所を見つけ、剣技【カマイタチ】の要領で傷をつけた。空間の直後、吹き荒れるのは嵐。


「なッ!?」


瞬間的に巻き起こった猛烈な風圧に体勢を崩したモーフィーが驚愕に表情を歪ませる──が、もう手遅れだ。俺が水平に振るった黄金の剣を包むように、暴風が宿る。


……まさか、あの時ロジャに『使うな』と言った技を、他でもない俺が使うことになろうとは。


「お前が強くて良かった……おかげさまで新技の習得ができたよ、モーフィー」


── 壱の太刀で暴風を呼び、返す弐の太刀でその嵐を剣に纏う。


自前の魔力だけでは足りない力を埋めるのは自然の理の力。世界を、災害さえも味方につけて、俺たち人間は戦うのだ。


……この技に名前を付けるなら、そうだな。




「これはまさしく、【災禍テンペスト】だ」




黄金の剣から飛び出したのは雷にも似た一閃。凝縮された風の刃はモーフィーの体を両断し、さらにチェスボードの世界、その天をふたつに割った。

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