チェスボード 後編(13 / 15)
そこから始まったのは、再びのベルーナとモーフィーによる壮絶な知恵比べだった。序盤にあったような早い差し手は鳴りを潜め、ふたりは脳から汗を絞り出すような苦渋の表情を浮かべながら一手一手を進めていった。
黒【00:09:23】
白【00:10:58】
終盤、35手目。
持ち時間はお互いもうほとんどなく、盤面の駒はその半分以上が失われていた。しかし、未だお互い
「……はぁっ、はぁっ……」
ベルーナは脳疲労のせいか肩で息をしていた。これだけ駒数が少なくなってきたなら、その先の展開は俺にも読みやすい。
……現状、俺たちは
「ク、ククク……まさか、ここまで巻き返されるとはな……!」
モーフィーが冷や汗をその額に浮かべつつ、しかし口元に歪んだ笑みを浮かべる。
「クロガネイバラのリーダー、ベルーナ。お前のその思考力には驚くばかりだ……。そしてテツト、君にもね」
「……俺?」
「ああ。まさか君に
「そりゃどうも」
「だけどね、やはり君は死ぬよ。それは君のせいじゃないけれど……連れ添う仲間はよく考えて選ばないとね」
モーフィーを鼻を鳴らして、ナーベとマリアの方を向いた。
「人間の良くないところだよ。どんな強者でも弱者を守るがゆえに足を引っ張られる。テツト、もうこの盤面は分かるだろう……? そのふたりが君たちの邪魔になっているんだよ」
「……!」
誓って、俺はナーベとマリアに足を引っ張られているとは考えていない。だから言い返したいところだったが……しかし、モーフィーが指摘していることはこの盤面において的を射ていた。
──ふたりを他の黒駒から逃がしつつ手を進めていては、いつまで経ってもモーフィーを盤面の隅へと追いやれないのだ。
「君の実力をもう侮りはしない……認めるよ。君はメイスと同じ、
「──それは、どうかしら」
横から言葉を挟んだのは、ベルーナだった。息を荒くしながらも強い力の込められたベルーナのその眼光に、モーフィーは舌打ちする。
「ハッタリを言うな。この終盤に僕が読み違えることはない」
「ええ、そうね。きっと全て読めているのでしょう──あなたが勝手にあり得ないと断定している計算を除けばね! Rg3──
「──なッ!?」
動いたのは白の
「……他の駒の動きを活かすため、ルークを死地へと追いやったか……ふふ、少し驚いたよ。この終盤でとうとう仲間を捨て駒にするとは……だがな、僕はあらかじめそれも【読んでいた】よ」
モーフィーは不敵に微笑んだ。
「追い詰められたお前たちが最終的に仲間を切り捨てる選択をするくらい承知の上さ! これまで相手した人間もそうだ。どれだけ高潔な英雄であろうとも、いざ瀬戸際に立たされたら仲間に犠牲を強いるその様を僕は何度も見てきた。ゆえに断言しよう──お前たちに勝機などハナから無いのだと!」
モーフィーは大仰に髪をかき上げる。
「いけっ!
「──ナーベさんっ!!!」
俺は思わず叫んだ。先ほどの
……ベルーナさんはモーフィーを詰ませるのにクロガネイバラも参加すると言っていた。それはまさか……こんな、捨て駒という形でなのかっ!?
「──これでも先輩だぞ、あまり侮り過ぎるなよテツト」
ナーベは斬りかかってくる黒の
「帝国一の冒険者チーム【クロガネイバラ】は捨て駒なんて使いやしないんだよっ!」
ナーベが盾を前へと突き出したの同時、
「【
マリアの祈りがナーベへとかかる。恐らくは防御力の向上効果のあるそれを受け、ナーベは黒の
「ナーベ! ポーンは振り下ろしの攻撃を防がれたあと、剣を引いて突いてくるわっ!」
ベルーナから声がかかる。果たして黒の
「ハァァァ──ッ!!!」
ガキンガキンと、剣と盾が打ち合わされる音が響く。
──ナーベは対応していた。
「……すげぇっ! 渡り合ってる……!」
「最初に言ったでしょう、テツトくん。私たちは犠牲なんか出さないって」
ベルーナが真剣なまなざしでナーベの戦いを観察しながらも、その口角を吊り上げて不敵に笑ってみせた。
「相手がたとえ
「……ははっ!」
思わず笑みがこぼれてしまった。頼りになる、頼れる姉御たちが帰ってきた……そんな感覚に胸が躍る。
「さあモーフィー! どうするのかしらっ!? 時間いっぱいまでやり合ってみる? 私たちはいつまでだって付き合ってやるわよっ!」
「こっ、小癪な……! お前たちの狙いは
予想外の結果に、モーフィーが苦虫を噛み潰したような顔で真横に映し出されている残り時間の表示を見た。
黒【00:05:50】
白【00:10:58】
「クソッ……! ポーン、攻撃中止だ!」
モーフィーがそう宣言すると、ナーベを攻撃していた黒の
「へぇ……攻撃を中止なんてできるの。まだルールを隠していたのね。でも、その結果はあなたの移動失敗……また私たちの手番ね!」
「……!」
歯噛みするモーフィーへと、指を突き付けてベルーナは宣言する。
「テツトくん、b8──黒陣最後列へ! そしてクイーンへと
「──おおっ!?」
俺が最後列のマスへと進むと、一瞬にして俺の移動範囲が広がるのが分かった。どうやらそれはチェスのルールで、
「そして
「……」
モーフィーは無言で……しかし、その口元にあったのは微笑みだった。それはまだなにか策がある──そういったものとは無縁の、純粋な笑みだった。
「まさか、この世界で僕が追い詰められるなんてな。300年生きてきて初めてのことだ……瀬戸際だというのに、なんだろうか、この胸の高鳴りは」
モーフィーは顔を上げると、両手を大きく広げた。
「いいだろうッ! 真正面から受けようじゃないか、その
「……!」
モーフィーは俺と自身の間に黒駒を挟んで
「さあ、白番だぞ……ここで白黒つけようじゃないか、テツト。君がこの手番で
「……分かったよ、モーフィー。決着をつけよう」
「ああ、来いッ!」
俺は黄金の剣を抜く。モーフィーは体から並々ならぬ魔力を噴き出させ、姿勢を低くした。
「頼んだわよ、テツトくん──g8へ! モーフィーを討ち取って!」
「任せてッ!」
俺はチェスボードの最後列を、モーフィーへと向かって駆け抜けた。
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