チェスボード 後編(9 / 15)

──超S級冒険者ベルーナ、彼女は生まれついての天才だった。


ベルーナの生まれはスラムだった。母は娼婦。ベルーナは搾取される者と搾取する者を間近にして、格差というものを肌で感じながら幼児期を過ごした。


母が病気で死んでからは、父の居ないベルーナはスラムの人々に生活を支えられながらその才能を発揮した。独学で読み書きを覚えると、拾ったゴミを工夫し町で高値で売って生計を立てるようになったのだ。周囲から賢い子だと褒められながら明るく育ち、そして──10歳のとき。


町のザルな警備のせいでスラムに十数体のモンスターが侵入する事件が起きた。しかし町の冒険者たちがスラムに駆けつけたとき、モンスターたちはすでに全滅していた。その中心に立っていたのがベルーナだった。


『お前が倒したのか? いったいどうやって?』


事態の把握のためベルーナに町の警吏けいりが問うと彼女は、


『だってみんな、決まった動き方しかしないんだもの』


ひと言、そう言ったという。


ベルーナはスラムの人々に的確な指示を出し、ひとりの犠牲者も出さずに全てのモンスターを討伐してみせたのだ。モンスターの急襲を受けながらも冷静にその動きを観察する胆力もさることながら、中でも特に【論理的思考力】は飛び抜けて優れていた。


そして、そんな出来事の直後のこと。


『お前はこの町を治める男爵様の娘だ』


男爵からの遣いはそう言うや否や、問答無用でベルーナを男爵家に連れていった。男爵は念のための【備えストック】としてあちこちで子供をこしらえており、ベルーナはそのひとりなのだそうだった。


ゆえに、男爵にベルーナに対する愛情などカケラもなかった。ベルーナはただの駒に過ぎなかった。彼女に武力と教養を身に着けさせて跡継ぎである怠慢な長男の護衛と補佐をさせようとしたのだ。


ベルーナは拒否しなかった。むしろその幸運に感謝した。彼女は男爵によって与えられたその環境で多くの知識を吸収した。


──しかし感謝したのはその数奇な運命の巡り合わせに対してのみ。ベルーナは決して許してなどはいなかった。スラムに母を置き去りにし病死させ、自らの強欲を満たすために領地内の格差を広げ続けるその男爵のことを。


ひたすらに自己研鑽に勤しみ、それと同時に男爵家の違法税や談合などの不正の証拠を押さえたベルーナは3年で家督を簒奪さんだつ。元男爵とその家族を国外追放し、さらに多くの他家の弱みを握るに至った。


ベルーナは貴族社会で恐れられた。美しくも毒のトゲを持つ少女──【黒い薔薇】と呼ばれ、誰も彼女に手出しをできなかった。


ベルーナは領地内の町への議会制導入によってこれまでの格差の温床となっていた汚職体制を一掃すると、それから爵位を皇帝へと返上。そして、平民の冒険者としての道を歩み始めることにした。彼女が14歳の時のことだった。


ベルーナは悟っていた。この世界で真に力を持つのは決して貴族などではなく、むしろ何も持たぬ者──【身軽な武辺者ぶへんもの】であると。


だからベルーナは集め始めた。良識あり権力に属さない強者たちを。救済すべき者を救済できるように。そして結成されたのがあらゆる圧力や武力にも屈しない鋼鉄の薔薇の園、【クロガネイバラ】である。


──天才ベルーナ。彼女はその超常的な論理的思考力によって全ての障害を排し、自らの夢を叶え続けてきた。


ゆえに盤上の【戦略ごっこチェス】なんて、それが例えどれだけの強者が相手でどれだけ自分に縛りがあろうとも、ベルーナにとっては朝飯前だった。




* * *




白【01:42:03】


「──Bh6、チェック」


ベルーナはほとんどノータイムで駒に指示を出し続けていた。盤面を見つめるその瞳にはいっさいの迷いがない。


「グッ……! Kg8……!」


モーフィーは歯を食いしばりながら黒のキング──つまりはモーフィー自身を動かし逃がすしかない。しかしすぐにまたベルーナの指し手によってモーフィーは追い詰められる。




黒【00:53:44】


20手目。試合が中盤に差し掛かる頃、黒番であるモーフィーの持ち時間は大きく俺たち白番の持ち時間を大きく下回っている。互いの駒はその1/3が失われ、戦局は白番有利となっていた。


「信じてたぞ、リーダー! リーダーなら……ベルーナならやってくれるって!」


確かな手応えに、ベルーナの隣の位置で盾を構えていたナーベが笑う。


「お前はいつも絶対に何も諦めたりしない。私たちがどんなに何度も挫けそうになっても、見捨てずに何度でも立ち上がらせてくれる。勝利への道に導いてくれる!」


「当然よ。ナーベ、マリア、そしてネオン……あなたたちはみんな私の信念について来てくれる大切な仲間だもの。ひとりだって犠牲にしない。完璧に──勝つわ」


ベルーナは断言すると、


「マリアっ!」


盤上の左辺を大きく広げる役割を果たしていた聖職者ビショップのマリアに合図を出す。


「Bb7──左斜め前へと前進! 敵陣2列目のポーンを討ち取って! このままチェックメイトまで畳みかけるわっ!」


「承知しました、リーダー」


マリアが胸元の十字架ロザリオを手に持つと、それは大きな十字の剣へと形を変える。


「私は駆けましょう、あなたの示す勝利へと! 【備えられし馬は戦いの日のためにマイロール・

されど救済は主によるものなりてフォーマイロード──】!」


祈りによって強化された身体能力でマリアが敵陣へと迫る。そしてその剣で黒の歩兵ポーンの首を刎ね飛ばす──




ガキンッ!




──ことはできなかった。


「……えっ!?」


マリアの剣は黒の歩兵ポーンの持つ剣によって容易く受け止められていた。そして、それだけではない。


「マリアッ! 避けてッ!!!」


黒の歩兵ポーンはマリアの剣を弾くと、すぐに切り返して彼女の首元へと剣を奔らせた。


「っ!」


辛うじて、混乱から立ち直ったマリアは上体を反らしてその攻撃を避ける。しかし、それだけで黒の歩兵ポーンの反撃は終わらなかった。体勢の整わないマリアに対して次々に、縦横無尽な剣技が襲い掛かる。


「マリアさんっ! マスから退避ッ!!!」


黒の歩兵ポーンとマリアの技の応酬を見て、俺は悟ってしまった。


……あの歩兵ポーンの剣技、S級冒険者の剣士並みの実力を持つはずのマリアさんを軽く凌駕りょうがしてる! このままじゃ絶対に勝てないッ!


「……くっ、離脱しますッ!」


マリアは歩兵ポーンの攻撃を屈んで受け流すと、そのまま後ろに大きく跳んで後退しようとした。だが、


「──無駄だ、弱きビショップよ」


モーフィーの声が聞こえるのと、マリアが何かに衝突する音が響いたのは同時だった。


「がはっ……!? 壁……!?」


マリアは後ろから何かに弾かれたように背中をのけ反らせていた。恐らくそこにあったのは透明な壁。今も俺たちの周りを囲み、移動を妨害しているモノだった。


「ルール説明の時に言ったろう? 『チェスのルールに則らない移動はできない』とね。駒は一度の手番で二度は動けないのさ!」


モーフィーが指を鳴らす。次の瞬間、黒の歩兵ポーンの振り下ろした剣がマリアの体を袈裟けさ斬りにした。


「かはっ……!」


マリアの体が、光に包まれて消失する。


「マリアッ!!!」


マリアを呼ぶ、ベルーナの悲鳴にも似た声が響く。俺も思わず息を飲んだ。なにせ、その演出があまりにもゲームオーバーを想起させるものだったから……しかし、


「──いったい、何が起こったのです……?」


「え……マリア……!?」


マリアは立っていた。いつの間にか元の位置──【移動する前のマス】でキョトンとした表情で首をかしげていた。斬られたはずのその体には傷ひとつ無かった。


「さてさて、どうやら【移動失敗】のようだね」


驚愕に目を丸くする俺たちに、モーフィーはニッコリとした表情を向けて言う。


「クロガネイバラのリーダーよ……まさか貴様がここまでチェスの腕が立つとは予想外だったよ。だがら僕の計画に狂いはない。反撃を始めさせてもらおうか」

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