チェスボード 後編(5 / 15)

テツトたちがモーフィーと相対していたその時、帝都の宮廷内は議論の声が飛び交っていた。


──第二魔王国チェスボードの方角、南東から10万の軍勢が接近中。


今朝未明に入ったその報せにより、急きょ各地から精鋭の戦略家たちが集められ、もしも魔王軍のその行動が再度の侵攻を目的とする場合の対応策が話し合われていたのだ。


「緊急通信が入りましたッ!」


激論が交わされる会議室に、勢いよく戸を開け放って入ってきた帝国軍情報部の男の声が響き渡る。


「帝国南西レハーム領コウラン冒険者組合にて【禍々しい結界のようなもの】が発生! 逗留とうりゅうしていたクロガネイバラの面々を飲み込んだとのこと!」


ザワッ! と、会議室がにわかに騒がしくなる。


「こ、こんな時に新たな問題か……! いったい何者の仕業かっ!?」


「不確定ではありますが、このタイミングでの検知でしたので魔王軍によるものではと……」


「クッ……ということは新手の魔王軍幹部か!? いつの間に国内への侵入をっ!? 国境警備隊は何をしていたのだッ!」


立て続けの異常事態に会議室は混乱を極めた。頭をかきむしる者、深いクマの刻まれた顔を両手で覆って嘆く者で溢れかえっている。


ただし、そんな中でひとり──




(……ふぅ、間に合ったか)




──静かに安堵の息を漏らす者が居た。


会議室内の混乱の様子を静かに見渡しているその初老の帝国軍幹部の名は、クロット。


(……モーフィー様が例の術式チェスボードを使ったんだな? 作戦通りだ)


よしよしと思いつつも、クロットはニヤけそうになる頬を引き締めた。


クロットの正体はモーフィーが魔力塊タマゴ1つを使用して生み出した【ドッペルゲンガー】と呼ばれる種族のモンスターだった。 【完全なる模倣イットヒーイズ】スキルで帝国軍幹部へと成り替わった第二魔王国チェスボードからのスパイである。


(……予定では昨日のうちにモーフィー様が動くはずだったのに、その予兆も無くヒヤヒヤとしたものだったが……まあ結果オーライだ)


クロットは舌なめずりをする。


(……俺のすべきことはモーフィー様の元へと【災害人形ロジャ】が向かうように軍内部からサポートすること。それには、議場が混乱に沈むいまが好機!)


クロットが戦略方針を提言しようと口を開きかけた、その時だった。




「──さすがに五月蠅うるさいですな、みなさま方」




よく通る低い声が会議室に集まった者全ての耳朶じだを打った。


「トーカー伯爵……」


「落ち着きましょう、今は取り乱している場合ではない」


その声の主はヴルバトラの父でありトーカー家の現当主であるヴァイント・トーカーのものだった。彼はどっしりと椅子に腰を据えて、急報を持ってきた男を見る。


「さて、まず禍々しい結界とやら……それを観測したのは誰だ?」


「はっ。トーカー伯爵、観測者は結界の発生した冒険者組合員です。結界の規模は3メートル四方とのことで、ギリギリ難を逃れたのだとか」


「ふむ。それで結界が魔王軍のものだという根拠は? 帝国内の他の誰かが行使した術式によるものの可能性はないのか?」


「はっ、いえっ……ただ事前の届出も周知も無いものでしたので……!」


「……なるほど。詳細は未確認か。お主も緊急通信を受けてそのままこちらに走らされて来たのだろう? であれば仕方あるまい」


トーカー伯爵はゆったりと構えて室内を見渡した。


「さて、落ち着きましたかみなさん。南西で観測された結界はそもそもまだ魔王軍のものと確定したわけではありません。浮き足だって早合点するのは敵の思う壺ですぞ」


トーカー伯爵らのそのやり取りに、クロットは内心で舌打ちをした。


(……的確な一問一答によって急報の内容が会議室内で均一化されてしまった。精神的に追い詰められておかしくないこの局面で、ずいぶんと効果的な情報整理をしてくるじゃないか)


つい先ほどまでのような混乱した慌ただしい雰囲気が無くなってしまい、会議室は冷静を取り戻していた。これでクロットの仕事はやりにくくなった……と思われたが、しかし。


「しかしトーカー伯爵、南西は魔王軍と確定してはいないといえ、見て見ぬふりするわけにもいきますまい」


「そうですな。ゆえに、我々は2つの戦線を抱える覚悟をもつ必要があることに変わりはない」


ざわ、と。再び議場が騒がしくなる。


「二正面……今の帝国にはとてもじゃないですが複数戦線を抱えておけるだけの余裕はありませんぞっ!」


「今はオグロームの復興に資源を集めている最中……今からそれを北から南へと逆に? 負担が大きすぎる!」


「まさかこれほどまでに早く魔王軍が攻め込んでくるとは……誰が予想できようか!」


整理されたその現状を嘆く帝国軍幹部たちに対し、


「ふむ、要は早々に片方の戦線を片付けて、もう片方の戦線に集中するほか無いというワケでしょうな」


トーカー伯爵はそうまとめた。




(……ふふ、しかしまあ、結局はモーフィー様の筋書き通りか)




クロットはほくそ笑む。トーカー伯爵の結論はまさにクロットたちの望む通りのものだった。


(……南東の10万の軍勢を先に片づけるか、それとも帝国南西に潜入済のモーフィー様を優先するか……帝国に選択権は無い)


「では、南西の方の問題を先に片づける他ありませんな」


帝国軍幹部のひとりは当然のようにそう主張する。


「すでに帝国の腹の内に忍び込んだ謎の個体を未確認のままにはできませぬ。国境の警備に何ひとつとして引っかからず、謎の結界を行使する魔導に長けた者……仮にこれが敵だと仮定した場合、戦力は未知数です。放置は愚策でしょう」


「……ううむ、でしょうなぁ」


トーカー伯爵は渋い顔をしつつも頷いた。どうやらそれが魔王軍の手のひらの上ということがおぼろげながらも理解しているように。


(……だが、何度でも言うが帝国に選択権など無いのだよ。悩むだけ、抗うだけ無駄なことさ)


「では、早々に南西へとロジャ殿を派遣してはどうでしょう?」


クロットは初めて口を開く。この場の幹部たちがいずれ至るであろうその結論を先に提示してやった。


「今やロジャ殿はおひとりで帝国最大の戦力ともいえましょう。その他の兵士で南東を抑える間に、ロジャ殿に南西の事態を見極めていただくのです」


「……ふむ。良案かとは思いますが、しかし未知数の状況へとロジャ殿を派遣するリスクが……」


「現状取り得る選択肢の中で一番低リスクなのは確かです。最小規模の最大戦力で南西の問題を片付けられるのです。その上、内線戦略も南東をメインに据えて考えることが可能になり、現場と作戦室の負担も軽くなります。最善が尽くせるのであれば尽くすべきではありませんか?」


クロットは歯切れの悪いトーカー伯爵を押し切るように言う。会議室の他の面々は納得げに頷いていた。


(……いける。もう一押しで災害人形ロジャをモーフィー様の元へと──)




「……不要。南西に、私は要らない」




ガチャリ、と。会議室の戸を開けるなり、そんな声が響いた。入口に立っていたのは話題の張本人である災害人形ロジャ。その隣にはヴルバトラの姿があった。


「遅れて申し訳ございません、お父様!」


「ああ、よくロジャ殿を連れてきてくれたな、ヴルバトラよ。さて早速だが……ロジャ殿、先ほどはなんと?」


トーカー伯爵は真意を問いただすような強い視線を向けたが、しかしロジャはそよ風でも受け止めるように無表情だった。


「……南西に私は不要、そう言った」


意外な言葉に、会議室に集まった面々は反って静まり返り互いに顔を突き合わせる。クロットもまた、口をポカンと開けるしかなかった。


「それは……何故だね?」


「……行っても無駄、だから」


「南西で結界を発生させた者は魔王軍ではないと確信した、ということかい?」


「……」フルフル


トーカー伯爵の問いにロジャは小さく首を横に振って、


「……それは知らない」


そう断言した。


それはあまりにもロジカルさを欠いた発言……しかし、謎の説得力がそこにはあった。


「で、であれば! 余計にロジャ殿に行っていただくべきではっ? 南西の問題の解決を確実に行うかどうかで、帝国の明暗が分かれるのですっ!」


焦り、思わず直接主張をぶつけたクロットだったが……しかし、ロジャはどこ吹く風だ。


「……問題ない。南西には、シショーが居るから」フフンッ


何故か得意げに胸を張って言うロジャに、


(……【シショー】っ!? なんだ、それは……!?)


クロットの頭は混乱を極めた。

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