チェスボード 前編(2 / 10)

どうやらフェルマックの背後にいつの間にか立っていたその男はヴルバトラの父らしい。


……にしてもいっさい気配が無かったな。このヴルバトラの父というだけあって相当な実力者であることは間違いないらしい。


「貴殿がこのオグロームを取り戻せし英雄、テツト殿だとお見受けする。私はヴァイント・トーカー。トーカー家の現当主にしてヴルバトラの父だ。娘が世話になっているようだな、テツト殿」


「あ、はい。初めまして、トーカー伯爵。こちらこそヴルバトラさんにはいつもお世話になってます」


握手を交わす。やはり、手の皮はとてもぶ厚い。


「……ふむ。やりおる」


「?」


何やら感心したようにトーカー伯爵は口髭を撫でた。


「お父様、本日はどうしてこちらに?」


「うむ、陛下に政策の意見を求められて帝都に行ってたんだが、お前がここに居ると聞いてな」


ヴルバトラの問いに答えるとトーカー伯爵は再び俺に向き直る。


「それにしても良かった。こうして直に会えるとはな、テツト【辺境伯】。今後とも娘をよろしく頼むぞ」


「こちらこそ──って、辺境伯?」


トーカー伯爵はニッコリと微笑んだ。


「ああ、娘から貴殿の活躍は聞いていたからな。このオグロームの運営に関して、テツト殿に任せてはどうかと提言してきたところだ。この地を治めるにあたっての叙爵じょしゃくについても、陛下から許可を得た。ゆえにテツト殿、貴殿は近いうちに私と同じ【伯爵】だ」


「「は、はいぃぃぃッ!?」」


めずらしく、俺とフェルマックの声が被った。


「い、いや、そんなこと急に言われても……!」


「そ、そうですッ! 平民ふぜいが突然伯爵の地位をっ!? そんなの、貴族派閥の他家も黙っては──」


トーカー伯爵が無言で片手を挙げ、フェルマックの言葉を制した。それからにこやかな笑みを浮かべ、俺へと向き直る。


「案ずるな、テツト殿。貴殿を忙しくさせる気はない。領地運営は元々この街で働いていた者たちに任せればよい。この地を奪還した本人である貴殿がこの街を治める、その建前が民を安心させるのだ……それに、その建前が必要なのは何も民だけではあるまいしな」


「えっ?」


トーカー伯爵はキョトンとしているヴルバトラを見やり、イジワルそうに笑う。


「娘をめとるなら伯爵位くらいはないとな。その成長を幼き頃から可愛がり見守ってくれた我らの領民たちに示しがつかぬだろう?」


「なッ……お父様ッ!?」


「ハハッ、お前相手に持ち込まれた縁談は数多いが、テツト殿ほどの強者は居らなんだ。手を握れば実力のほどは分かる。彼にだったらお前を任せられる」


「いえ、だからってそんな……テツトにも迷惑がかかるし、勝手な──」




「──そっ、そうですぞッ! なんていう冗談を仰るのですか、トーカー伯爵ッ!!!」




ヴルバトラの言葉に被せるように叫んだのはフェルマックだった。


「この際、冒険者テツトに辺境伯の地位を預けることは置いておくにせよ、元平民にご息女……ヴルバトラ様を預けるなど!」


「ふむ? 何がいけない?」


「いったい血をなんと心得るかっ!? トーカー家はその血族に不純物を交えることを良しとするのですかッ!?」


「ほほう……言ったな、青二才が」


「──ひっ?!」


トーカー伯爵は笑顔のままだった。しかし、体の芯を震わせるような低い声が響く。


「トーカー家内の決定に異議を唱え、その血の在り方を問う……それも他家の当主でもない人間が、トーカー家現当主の私に対してだ。それは心してのものか、フェルマック殿?」


「い……いえ……っ! もっ、申し訳ございません、出過ぎた発言でした……!」


「……まあよい、楽にせよ。それに娘の将来については、何も決して私の勝手な判断ではないしな」


「……は?」


ポカンとするフェルマックから視線を外すと、トーカー伯爵は俺とヴルバトラを交互に見て微笑んだ。


「ふたりはあの戦いの夜、ねやを共にしたと聞いているぞ?」


「「なぁっ!?」」


今度は俺とヴルバトラが同時に声を上げる番だった。


「えっ? あの……いったいなんで!?」


「宮中のメイドがな、娘の部屋から朝帰りするテツト殿を見たと」


「うそぉっ!?」


……ヴルバトラとの蜜月な男女の関係が、まさかの父親バレ。俺、どう対応したらいいんだ?


開いた口で何と言えばいいかわからない俺、顔面を真っ赤にして口をパクパクとさせるしかないヴルバトラの隣で。


──ドサリ、と。フェルマックが地面に崩れ落ちた。


「う、ウソだ……そんな……ヴルバトラ様……? 嘘ですよね……?」


「……ッ!」


ヴルバトラは顔を覗き込もうとしてきたフェルマックから完全に視線を背けた。それが、何よりの答えとなった。


「あ……そ、そんな……うぅ……! 吐きそうだ……!」


「ああ、そうだフェルマック殿」


トーカー伯爵は足腰の立たなくなっているフェルマックの手を掴み、ヒョイと立ち上がらせると、


「これまで娘の親衛隊を務めてもらい、感謝する。帝国軍参謀とも協議し本日をもって貴殿らの任を解くことになった」


「……はへ?」


「娘にはとある理由から男性のみで構成された親衛隊が必要ではあったが、喜ばしいことにテツト殿のおかげでその制限を克服することができたようだ。これまでの功労に値する報酬は後ほど送らせてもらおう。フェルマック殿はひとまずご自分の領地に帰って休息を──フェルマック殿?」


フェルマックはトーカー伯爵に立たされたまま、白目を剥いて気絶していた。


「なんだ? 気骨のないヤツだな……よいせっと」


トーカー伯爵は軽々とフェルマックを担ぐ。


「それでは、私はここで失礼しよう。式の相談などが必要であればいつでも領地に来てくれよテツト辺境伯。歓迎するぞ」


ハッハッハ、と豪快に笑いながらトーカー伯爵は去っていった。

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